第14話 ゼロ組の八人
翌朝、第七組の教室に、先生は来なかった。
始業の鐘が鳴って、さらに鐘が鳴って、窓の外の鳥が三回入れ替わったころ、扉がようやく開いた。
「ごめんなさい。寝坊したわ」
入ってきたのは、栗色の髪を無造作に束ねた、三十がらみの女性だった。白衣の襟は曲がり、目の下には濃い隈がある。
「第七組担任、ミレーユ・ハルト。あなたたちの退学までの記録係です」
あまりにも、あっさり言った。
教室の空気が、さらに沈んだ。
「冗談よ。半分は」
ミレーユは、出席簿をぱたんと閉じた。
「自己紹介してもらいます。名前と、ここに来た理由。順番にどうぞ」
最初に立ったのは、後ろの席の青年だった。
「ユリウス・フォン・アーヴェル」
整った顔立ちに、仕立てのいい制服。けれど、袖口は擦り切れていた。
「没落した伯爵家の次男です。基準点まであと三点足りず、家からは家名を汚すなと言われています。どうせ三か月で解散ですが、礼儀として申し上げておきます」
皮肉な口調だった。
「次」
「ミーナ」
窓際の少女が、分厚い本から顔を上げずに言った。眼鏡の奥の目は、紙の上を追っている。
「魔力、少ない。知識、ある。以上」
それだけ言って、また本に戻った。
「ゴ、ゴードンです」
隣の席で、小山のような少年が、立ち上がりかけて机にぶつかった。
「魔力はあるんですが、うまく出せなくて。出すと爆発するので、ゼロ組です」
爆発。
周りが、そっと椅子を引いた。
「はいはいはいっ! ニーナです!」
元気のいい声が響いた。そばかすの少女が、勢いよく手を挙げる。
「村の仕立て屋の娘です! 魔力は少ないけど、針仕事なら誰にも負けません!」
「ロルフだ」
低い声が、後ろから聞こえた。
三十路の男だった。日に焼けた肌と、頬の古傷。
「元傭兵。魔力は少ないが、戦場でなんとか生き延びてきた。今さら魔術を学び直したくなってな」
教室が、どよめいた。
「最後は」
ミレーユが、窓際の最後尾を見た。
机に突っ伏して、ぴくりとも動かない少女がいた。
「エルナ」
呼ばれた少女は、顔を上げずに、ぼそりと答えた。
「エルナ。眠い。魔力は少ない。でも、流れは見える」
流れが、見える?
ルカは、ふと少女を見た。
けれど少女は、すぐにまた伏せてしまった。
「はい、そこまで。最後に、あなた」
ルカは、立ち上がった。
「ルカ・ノイスです。魔力は最小目盛りの『一』です」
一瞬の沈黙。
「一?」
ユリウスが、片眉を上げた。
「柱にかすかに光っただけの、あの一ですか」
「はい」
「初めて見ました。実在したんですね」
誰かが、吹き出した。
トマスが、慌てて割って入る。
「ルカはいいやつだぞ! 昨日、荷物の整理を手伝ってくれた」
「ありがとうございます」
ルカは、少し笑った。
(いい組だ)
ふと、そう思った。
八人。それぞれ、足りないものを抱えて、ここにいる。
(このまま、解散させるわけにはいかない)
*
午後は、合同実技だった。
訓練場に、一組から七組までが集められている。壇上には、各組の担任が並んでいた。
「本日は、基礎術式『灯火』を実習する」
進行役の教官が告げた。
「掌に蝋燭一本ぶんの炎を灯し、十秒維持すること。詠唱は、教本の第一章のとおり」
一組から順に、実習が始まった。
生徒たちが、教本の長い詠唱を、よどみなく唱える。
掌に、ぽっ、と炎が灯る。
高魔力の一組は、当然のように全員が成功した。
セシリアの掌には、蝋燭ではなく、人の頭ほどの火球が浮かんでいた。
「大きすぎる」
教官が、咳払いした。
「抑えなさい」
「十分に抑えていますわ」
涼しい顔で、セシリアは火球を消した。
やがて、第七組の番が来た。
誰もが、緊張で固まっている。
最初に前へ出たのは、トマスだった。
「い、いきます」
掌を前に出し、教本の詠唱を、一語一語、必死に唱える。
「灯れ、小さき火よ、わが手の中に、静かに宿り、揺れ、揺れて、やがて」
長い。
詠唱が終わるころには、トマスの額に汗が滲んでいた。
掌が、じわりと温かくなる。
けれど、炎は灯らなかった。
ぷす。
かすかな煙だけが上がった。
「あー」
トマスが、肩を落とす。
一組の列から、笑いが漏れた。
「やっぱりゼロ組だ」
「詠唱だけで精一杯じゃないか」
「いくら唱えても、魔力が足りないんだよ」
トマスの耳が、赤く染まった。
ルカは、その様子をじっと見ていた。
(違う)
詠唱の最中、トマスの魔力が、薄く細く長く流れているのが見えた。
七つの節に分けて、少しずつ。丁寧に。
けれど、その薄さが問題だった。
炎は、一定以上の魔力が、一瞬に集まらなければ灯らない。
薄く長く流すやり方は、魔力が豊富な人のやり方だ。
(少ない魔力は、束ねて、一息に出さないと)
あの水晶の柱と、同じだ。
一度に集めた魔力でなければ、ふるい落とされる。
「トマス」
ルカは、小声で呼んだ。
「詠唱を半分に切ってください。『灯れ、小さき火よ』だけ。それから、息を吸って、止めて、掌に一気に」
「え? それ、教本と違う」
「大丈夫です。信じてください」
トマスは、一瞬迷って、それから頷いた。
息を吸う。
「灯れ、小さき火よ」
息を止める。
掌に、ぐっと力を込めた。
ぽっ。
小さな炎が、掌の上に灯った。
揺れている。
確かに、燃えている。
「つ、ついた」
トマスが、呆然と呟いた。
「ついた! ルカ、ついたぞ!」
「十秒、維持してください」
「お、おう!」
炎が、ゆらゆらと揺れる。
一、二、三。
一組の笑い声が、止まっていた。
九、十。
トマスの掌から、炎が静かに消えた。
「合格です」
進行役の教官が、驚いた声で告げた。
「あ、ありがとうございます!」
トマスが、涙目で振り返った。
ゼロ組の面々が、一斉に立ち上がって歓声を上げた。
「俺もやる!」
「教えて!」
「ルカ、私にも!」
わっと、人が群がってきた。
ルカは、目を丸くした。
「え、あ、順番に」
一人ずつ、手の形と息の吸い方を教える。
ユリウスは、疑わしそうに眉を上げながら、それでも試して、三度目で成功した。
「なるほど。魔力を節約するのではなく、一瞬に集めるのか」
「はい」
「教本に反しますね」
「反しています」
ユリウスは、肩をすくめた。
「礼を言います、ノイス」
ミーナは、成功した炎をじっと見つめてから、ぽつりと言った。
「理論、合ってる」
「え?」
「束ねたほうが、変換効率は上がる。計算した。合ってる」
ミーナの目が、初めてルカを見た。
ゴードンは、慎重に魔力を絞って、掌にそっと小さな火を灯した。爆発はしなかった。
「で、できた」
「すごいです」
大きな体を丸めて、ゴードンは嬉しそうに笑った。
ニーナは、飛び跳ねて喜んだ。
ロルフは、無言で炎を灯して、静かに口の端を上げた。
エルナだけが、ぼんやりとルカを見ていた。
「あなた」
エルナが、眠そうな声で言った。
「流れが、変」
「え?」
「あなたの魔力、すごく細い。でも、すごくきれい」
ルカの心臓が、どきりとした。
「どうして分かるんですか」
「流れが、見えるから」
エルナは、それだけ言って、また目を閉じた。
ゼロ組八人のうち、七人が合格していた。
残っているのは、ルカ自身だった。
ルカが前に出ると、訓練場がしんとなった。
「最小目盛りの『一』が、やるのか」
一組の誰かが、小さく笑った。
ルカは、掌を前に出した。
息を吸う。
止める。
束ねる。
ぽっ。
掌の上に、小さな、けれど確かな炎が灯った。
揺れる。
十秒。
炎が消えた。
一組から、笑い声はもう聞こえなかった。
*
訓練場の隅で、セシリアが腕を組んでいた。
「今のは何ですの」
隣の取り巻きが、首をかしげる。
「教本にない詠唱ですね。違反では」
「違反ではありませんわ。結果は合格ですもの」
セシリアの視線は、ルカの背中に、じっと注がれていた。
*
夕方、片づけをしていたルカの背後で、声がした。
「ノイス君」
ミレーユだった。
眠そうな目はそのままだった。けれど、声は昼間より少し真剣だった。
「あの術式、誰の考え?」
「みんなで試していたら、偶然」
「偶然ね」
ミレーユは、小さく笑った。
「教本にない手順なのに、安全装置はちゃんと働いてる。ふつう、そんなことは起きないの」
ルカは、息を詰めた。
「誰の考えか、聞かないでおくわ。ただ、一つだけ」
ミレーユは、指を一本立てた。
「査定の基準点は、水晶柱で三十。過半数、つまり五人が届けば、組は存続する」
三十。
「入学時の基準が二十で、トマスは十九だった。みんな、三十まで届いたことなんてない」
ルカは、頷いた。
「ただし」
ミレーユは、声を落とした。
「あの柱で、少ない魔力がまともに測られると思う?」
ルカは、目を見開いた。
「気づいてたんですか」
「気づいてる人間は、ほかにもいる」
ミレーユは、ひらひらと手を振って、背を向けた。
「だから期待してる。三か月、ゼロ組をお願いね、組長さん」
「組長?」
「今、決めた」
ルカは、頭を抱えた。
(目立たないつもりだったのに)
夜。
寮の窓から、月に照らされた大講堂が見えた。
あの水晶の柱が、そこに立っている。
束ねた魔力は、あの柱で、どう測られるのだろう。
もし「一」が、本当は「一」ではなかったとしたら。
ルカは、隣のベッドで眠るトマスを、そっと見た。
それから、静かに上着を羽織った。
(確かめに行こう)
今夜。
誰にも見つからないように。
第14話 了




