第13話 最小目盛り
王都は、一年ぶりだった。
石畳の大通りを抜けると、白い石の塔が並ぶ丘が見えてくる。王立魔法学院。三百年の歴史を持つ、
王国最高の学び舎だ。
その丘の向こうに、もう一つ、細い尖塔が見えた。
研究院。
そのすぐ隣の更地が、黒く焦げた痕のまま残っていた。
第三研究棟の跡地だ。
ルカは目を逸らして、帽子を深くかぶり直した。
「ここからは一人だな」
門の手前で、ヒューが馬を止めた。
「俺は城下で護衛の口を探す。東区の灰猫亭にいる。何かあれば来い」
「はい」
「お前なら大丈夫だ」
ヒューは、少しだけ考えて付け足した。
「たぶん」
「たぶんは、いりません」
ルカが言うと、ヒューは笑って馬を返した。
*
受付の事務官は、ルカの入学許可証を受け取って、推薦状を開いた。
そこで、手が止まった。
「アーデル・ノクス」
事務官は、小さく呟いた。
「この名前の推薦を見るのは、三年ぶりです」
「三年ぶり?」
「いえ」
事務官は咳払いをして、書類を揃えた。
「承知しました、ノイス君。魔力測定は午後です。大講堂へ」
ルカは首をかしげた。
三年前にも、あの人は誰かを推薦したのだろうか。
それ以上は、聞けなかった。
*
大講堂の中央に、水晶の柱が立っていた。
人の背丈の三倍はある。掌を当てた者の魔力量に応じて、柱が光る。強ければ強いほど、光は高く昇る。
新入生が順番に前へ出る。
一人目。腰の高さまで光って、歓声。
二人目。胸の高さ。
十人目あたりから、光は肩を越え、頭を越えた。
「次、セシリア・ローゼンハイム」
金色の髪の少女が、悠然と歩み出た。
白い指先が、柱に触れる。
その瞬間、光が奔流のように天井まで駆け上がった。
大講堂が、どよめいた。
「測定値、八百。過去十年で最高値です!」
歓声が弾けた。
少女は表情ひとつ変えずに手を引いた。
当然だと言わんばかりの顔だった。
やがて、名前が呼ばれた。
「ルカ・ノイス」
ルカは前へ出た。
周囲の視線が刺さる。小柄な編入生。くたびれた旅装。
柱の前に立ち、掌を当てる。
ほんの少し、魔力を流した。
ぽっ。
柱の根元に、蝋燭の火のような光が、一瞬だけ灯った。
消えた。
静寂。
それから、くすくすという笑いが、波のように広がった。
「測定はできていますか?」
検査官が、困った顔で尋ねた。
「結果は、これです」
「最小目盛りの『一』。新入生で最下位です」
笑い声が、大きくなった。
ルカは表情を変えなかった。
慣れている。
研究院にいたころも、同じ目で見られていた。
けれど、そのとき、ルカの目は、柱の内側へ吸い寄せられていた。
水晶の中を走る、細い術式の線。
(ひどい)
思わず心の中で呟いた。
魔力を光に変える回路が、三段階。しかも一段ごとに、一定量の魔力が熱として捨てられている。
(これ、少ない魔力は、最初の段で全部消える)
捨てられる量が決まっている。それ以下の魔力は、光にすらならない。
つまり。
(魔力の少ない人間は、実際よりずっと少なく測られている)
ルカは、掌を柱から離した。
自分の魔力が少ないのは、事実だ。
けれど、「一」という数字は、嘘だ。
この柱は、少ない魔力を、正しく測れない。
「静粛に」
壇上に、痩せた老人が立った。灰色の長衣。厳しい眼差し。
「教授のガイスト。新入生諸君に、現実を伝えておく」
大講堂が、静まった。
「魔力は才能だ。生まれで決まり、努力では覆らない。これは三百年の統計が示す事実である」
老人の視線が、ルカの上を通り過ぎた。
「基準に満たない者は、第七組に配属する。通称、ゼロ組。諸君も、現実を知りなさい」
ゼロ組。
名簿の末尾に、ルカの名前が書き加えられた。
*
ゼロ組の説明は、別室で行われた。
古い教室。窓は小さく、机は八つ。
生徒は、ルカを入れて八人。誰もが、うつむいていた。
事務官が、書類から顔を上げずに告げる。
「第七組は、一学期の終わりに査定を受けます。組の過半数が基準点に達しなければ」
一拍、置いた。
「組は解散。全員、退学です」
教室の空気が、凍りついた。
「毎年のことです。では、解散」
淡々とした声だった。
ルカは、拳を握った。
三か月。
八人の落ちこぼれ。
*
男子寮の部屋は、二人部屋だった。
扉を開けると、栗色の癖毛の少年が、荷物を床に広げていた。
「お、同室か! 俺はトマス。パン屋の三男だ。よろしく!」
少年は、人懐こい笑顔で手を差し出した。
「ルカ・ノイスです」
「ルカな。お前も、ゼロ組だろ」
ルカが頷くと、トマスは、へへ、と笑った。
「俺もだ。基準点まで、あと一点足りなかった。たった一点だぞ!」
「それは悔しいですね」
「悔しいなんてもんじゃない。パン屋の息子が魔術師になるって、村じゅうで宴会までしたのに」
トマスは頭をかいた。
「でも来ちゃったもんは仕方ない。やれるだけやるさ」
何も考えていないような顔で、それでも目の奥には、必死さがあった。
ルカは、少しだけ肩の力が抜けた。
「風呂に行こうぜ。大浴場、広いらしいぞ」
「あ、いえ」
ルカは慌てて首を振った。
「荷物を先に片づけます」
「そっか。じゃあ夜だな。夜は空いてるって、先輩が言ってた」
(夜も、無理だ)
ルカは、鞄の中の母のランプを、そっと握りしめた。
男装は、この先、一番の綱渡りになる。
*
消灯のあと、暗い部屋の中で、トマスが小声で話しかけてきた。
「なあ、ルカ。知ってるか」
「何ですか」
「来月、冠位術師の誰かが視察に来るらしい」
冠位術師。
王国最強の魔法使いたち。
「史上最年少で冠位を取った人でさ。ライナルト様って言うんだって。俺たちゼロ組なんて、
きっと目にも入らないだろうけど」
トマスの声は、あくびに溶けて、やがて寝息に変わった。
ルカは、枕元のランプに触れた。
淡い蜂蜜色の光が、ゆっくり明るくなって、暗くなる。
呼吸するような光の中で、今日見た水晶の柱を思い出す。
誰もが信じている物差しが、歪んでいる。
ならば。
(その歪みを、証明すればいい)
三か月。
八人。
魔力が足りない者たちが、足りないままで勝つ方法を見つける。
ルカは、ランプの光を見つめた。
小さな光が、静かに、呼吸していた。
第13話 了




