第五話 街道の先で
俺たちは変わらず街道を歩き続ける。
昼間に立ち寄った小さな村はもう遠く、家々も夕焼けの向こうへ消え始めていた。
隣では王女が静かに歩いている。
旅に出たばかりの頃と比べれば、その足取りは随分と軽くなっていた。
「今日は宿場町まで行けそうだな。」
街道の先を見ながらそう言うと、王女も視線を向ける。
遠くには、夕日に照らされた町並みが小さく見えていた。
「今日から宿に泊まれるのですね。」
「ああ。明日からは、山道に入る予定だからな。」
「山道ですか……。」
王女は少し緊張したように呟く。
「そこから古代神殿までは、あと一週間くらいだ。」
「そんなにあるのですね。」
「ああ。でも、焦る旅じゃない。無理なく進めばいいさ。」
そう答えると、王女は安心したように頷いた。
「勇者様は、本当に旅に慣れていらっしゃるのですね。」
「魔王を倒すまでに、嫌というほど歩いたからな。」
苦笑すると、王女も小さく笑みを浮かべた。
その時だった。
「困ったな……。」
街道の脇で、一人の商人が立ち往生しているのが見えた。
荷馬車の片輪が、ぬかるみに深くはまり込んでいる。
俺は王女と顔を見合わせる。
「少し行ってくる。」
「はい。」
俺は商人の元へ歩み寄り、頭を下げた。
「大丈夫ですか?」
「車輪が抜けなくてね。もう日も暮れるっていうのに。」
これは確かに一人では厳しそうだ。
「二人で押せば、何とかなると思います。」
俺が荷馬車の後ろへ回ると、王女も当然のように隣へ並んだ。
「私もお手伝いします。」
商人は目を丸くした。
「お、王女様……?いけません、王女様まで……。」
王女は穏やかに微笑む。
「いえ、お気になさらずに。私も旅の仲間ですから。」
その言葉に、俺も思わず笑ってしまう。
「無理はするなよ。」
「はい。」
三人で息を合わせる。
「せーの!」
掛け声と共に、車輪が軋む音がした。
もう一度力を込めると、荷馬車はゆっくりとぬかるみから抜け出した。
「おお!」
商人は何度も頭を下げる。
「本当に、本当に助かりました。お二人がいなければ、今日は町へ着けないところでした。」
「気にしないでください。」
俺がそう答えると、商人は少し考えるように荷馬車を見た。
「……よろしければ、宿場町まで乗っていきませんか?」
俺は思わず王女と顔を見合わせる。
「お礼と言うほどのことではありませんが、このまま歩くよりは楽でしょう。」
「町まで行くなら、ちょうど同じ方向ですし。」
王女が俺を見る。
宿場町までは、もう少し距離がある。
「……それじゃあ、お言葉に甘えます。」
商人はほっとしたように笑った。
「そう言っていただけると、私の気持ちも楽になります。」
俺たちは荷台へ腰を下ろした。
荷馬車はゆっくりと動き出し、夕暮れの街道を進んでいく。
歩くよりも少し高い位置から眺める景色は、どこか新鮮だった。
草原を渡る風が、心地よく頬を撫でていく。
「勇者様。」
王女が景色を眺めながら小さく呟く。
「荷馬車に揺られながらの旅も素敵ですね。」
「ああ。」
「歩いている時とは、景色がまるで違って見えます。」
王女は楽しそうに辺りを見回している。
その様子を見て、商人も優しく微笑んだ。
「お二人は古代神殿へ向かわれているのですか?」
「ああ。」
「昔からある立派な遺跡ですからねぇ。若い頃、一度だけ近くまで行ったことがありますよ。」
「そうなんですか。」
王女は興味深そうに耳を傾ける。
「ええ。でも私は入口を眺めただけで帰ってきました。商人ですから、あまり縁のある場所ではありませんし。」
俺は苦笑する。
「俺も、今回は少し用事があるだけさ。」
「そうでしたか。」
商人は穏やかに頷いた。
荷馬車はのんびりと街道を進んでいく。
やがて宿場町が近付くと、夕食の支度をする香りが風に乗って漂ってきた。
家々の窓には明かりが灯り、人々の笑い声が聞こえ始める。
「さぁ、着きましたよ。」
商人は荷馬車を止めた。
「本当にありがとうございました。」
「こちらこそ。」
俺は荷台から降りながら頭を下げる。
「乗せていただいて助かりました。」
「またどこかでお会いできたら、その時はぜひ。」
商人は笑顔で手を振り、荷馬車を引いて町の中へ消えていった。
その姿を見送りながら、王女が静かに口を開く。
「勇者様。」
「ん?」
「今日、少しだけ分かった気がします。」
王女は商人が去っていった街道へ視線を向ける。
「勇者とは、魔王を倒すだけの存在ではないのですね。」
「人々に安心を届ける存在でもある……今日、それが少し分かった気がします。」
俺は少し照れくさくなって苦笑した。
「そんな立派なもんじゃない。」
「困っている人がいたら、手を貸す。」
「それだけだよ。」
王女は静かにその言葉を胸に刻むように頷いた。
「……はい。」
その返事は小さかった。
けれど、どこか温かかった。
旅へ出た頃の硬い表情は、もうそこにはない。
昔の笑顔までは、まだ遠い。
それでも、一歩ずつ。
宿の窓から漏れる明かりが、長い旅路を終えた旅人たちを静かに迎えていた。




