第二十二話 壊すものと壊されるもの
「そんなこと、出来るはずが……。」
「……どうやって。」
女神は明らかに困惑していた。
そりゃそうか。
ただの人間が、神が創り出した循環を壊すと言っているのだから。
俺はそんな女神を横目に、自分の手のひらに視線を落とした。
「俺が持ってるこの力を使えばいい。」
「……。」
さっきまで感じていた熱はまだ消えていない。
胸に手を当てると、確かに何かが身体の奥底にある。
「……ずっと、気づけなかった。」
「でも、女神様から力があるって聞いた時に確信したんだ。」
「この力は、魔王を倒した時からずっと俺の中にあった。」
女神は俺の目から胸の方へと視線を移す。
「それは、もはやあなたが制御出来る力ではありません。」
「それに……私が与えた力でもありません。」
「魔王が残した加護と、私の管理を外れた力。」
「こんな状況は今まで観測したことがありません。」
「そんな得体の知れない力を使うなんて……。」
その瞳には戸惑いが残っていた。
「女神様も知らない力なんだな。」
俺は女神を見る。
「だったらこの力で終わらせられるんじゃないか。」
「いったい……何を。」
「女神様が持っている力を。」
女神の表情が微かに険しくなった。
「神託を与える力。」
「魂の輝きを集める力。」
「人間を魔王に作り替える力。」
「それを全部壊す。」
女神は静かに首を振った。
「そんなことをすれば、私は世界を維持できなくなります。」
「そうか?」
「そうに決まって――」
「でもさ、女神様が何かしなくても、世界は今のかたちになったんだよな?」
女神の視線が僅かに揺れる。
「それは……。」
「そもそも、女神様は自分の身体を使って、土を作っただけなんだよな。」
長い沈黙。
神殿の奥から風が入り込む。
僅かに揺れた布が静かな音を立てていた。
「雨が降って。」
「海ができて。」
「草木が生えて。」
「動物が生まれて。」
「人間が生まれた。」
「それは、女神様が一つずつ作ったんじゃない。」
「世界自身が、そうやって生まれてきたんだろ。」
女神は何も答えず、ただ遠くに広がる世界へ目を向けていた。
「だったら、世界を守るために勇者と魔王を作り続ける必要なんてないと思う。」
「……。」
「俺が壊すのは世界じゃない。」
「壊すのは、女神様が世界を管理するために作ったこの循環だ。」
女神の手は僅かに震えていた。
「俺があなたを。」
女神が顔を上げる。
「……あなたも助けてみせる。」
「だから、誰かが犠牲になるのはもう終わりにしよう。」
胸の奥から腕を伝って、手のひらへと力が集束していく。
さっきまで感じていた熱は、身体の内側を巡っていた。
俺はゆっくりと女神との距離を縮めていく。
「ま、待ってください。」
初めて、女神の声に明確な動揺が混じった。
「それを壊せば、私は……。」
「世界を維持できなくなる。か?」
「……はい。」
「そうだよな、何かを失うって怖いよな。」
女神は答えなかった。
視線が泳いでいるように見える。
「ずっと、怖かったんだろ。」
「世界がなくなることが。」
「だから、ずっと誰か一人を犠牲にしても。」
「勇者と魔王が意味のない戦いを繰り返しても。」
「自分が世界を管理していれば、世界は続くって信じてきたんだよな。」
「……私は。」
女神の声が小さく震えた。
「この世界を愛しているのです。」
そして、ゆっくりと神殿の外へ目を向ける。
崩れた壁の隙間から見える木々が、風に揺れている。
その向こうには、どこまでも続く空があった。
「分かってるさ。」
「だからこそ、信じてみてくれないか?」
「……何を。」
「この世界を。」
女神は目を見開いた。
「女神様が管理しなくても、世界は続いていけるって。」
「そんなこと……。」
「それを俺が証明するから。」
俺は女神に歩み寄り、力を帯びた手でその身体に触れる。
人に触れるのとはまるで違う感覚。
知らないはずなのに知っている、懐かしいような新しいような不思議な感覚。
そして、触れる指先から女神の中にある力の奔流が伝わってくる。
その瞬間。
俺の身体の奥に何かが流れ込んできた。
目の前にいる女神が歪み、一瞬だけ意識が遠のく。
「……これが。」
無数の光が頭の中を流れていく。
神託。
祈り。
魂の輝き。
勇者。
魔王。
それぞれが光の糸となって絡み合い、ひとつの大きな流れを作っている。
その流れの先に女神がいる。
「これが……全部。」
俺はその流れに触れる。
「……いや、やめてください!」
女神はその声と同時に、必死に俺を跳ね除けようとする。
「それを断てば――」
「……もう誰も、犠牲にならなくていいんだ。」
俺を跳ね除けようとする女神の腕力に、さほど脅威は感じない。
その些細な抵抗を無視し、力の奔流を掴む。
そして、拳を握る要領で集束した力を一点に込める。
「……あぁっ!」
女神の悲鳴と共に眩い光が神殿を満たしたあと、何かが砕けるような音が聞こえた。
「……っ。」
俺はあまりの眩しさに反射的に目を閉じた。
「……。」
――恐る恐る目を開く。
ぼやけた視界が少しずつ回復していく。
一方女神は、呆然と立ち尽くしていた。
「……終わったのですか。」
「たぶん。」
「……。」
俺は周囲を見回す。
神殿は一切崩れていない。
床も壁もそのままだった。
「特に何も変わってないな。」
神殿も。
大地も。
空も。
何も変わっていない。
俺は外へ目を向けた。
「世界は……そのままだな。」
女神も同じように外を見つめた。
「……私の世界。」
その声は震えていた。
「私が愛した世界のまま……。」
「ああ。」
「私が……力を失っても。」
「世界はそのまま続いている。」
女神は自分の手を見つめた。
何度も握っては開く。
そこにあったはずの力を確かめるように。
「もう、何もできません……。」
「神託を届けることも。」
「あなたの魂の輝きも……感じられません。」
「肉体を再構築する力も。」
女神は静かに呟いた。
「……何もかも、無くなってしまった。」
その言葉の後。
神殿に再び静寂が戻った。
俺は女神を見つめる。
「でも。」
「世界は続いてる。」
長い沈黙のあと、女神は小さく口を開いた。
「……私は。」
「ずっと、勘違いをしていたのかもしれません。」
「世界は私が守るべきなんだと。」
「世界は私だけで支え続けなければならないと。」
「そう思い込んでいました。」
俺は何も言葉に出来なかった。
「でも。」
女神は外の世界を見つめる。
風に揺れる木々。
遠くを飛ぶ鳥。
どこまでも続く空。
何も変わらない。
「世界は……私が手を放しても。」
「生きている。」
女神の瞳が静かに揺れる。
「……だったら。」
そして、消え入りそうな声で呟いた。
「私は、もう……。」
「……どうすればいいのでしょう。」
俺は少しだけ笑った。
「そんなの決まってるだろ。」
「え……。」
「元々世界の半分は女神様なんだろ?」
「だったら分ける前に戻ればいい。世界と一つになればいい。」
「私が……。」
女神の瞳が大きく見開かれた。
「……世界と。」
小さく、呟く。
「一つに……?」
女神はしばらく言葉を失っていた。
そして。
生まれた我が子を見るような、穏やかな眼差しを世界に向けていた。




