第十一話 祝福【後編】
湯殿へ足を踏み入れると、湯気が立ち込めていた。
装備を脱ぎ、旅の埃を洗い流す。
湯へ肩まで浸かると、思わず息が漏れた。
「……生き返りますね。」
「はっはっは!」
向かいに座る王が豪快に笑う。
「旅帰りの風呂ほど気持ちの良いものはあるまい!」
「……ええ。」
湯気の向こうで王が目を細める。
「勇者よ。」
「先も言ったが、今ここにいるのは王と勇者ではない。」
「娘を想う父親と、一人の男だ。」
「肩の力を抜いて話そう。」
「……はい。」
しばらく静かな時間が流れた。
湯の音だけが耳に届く。
やがて王が静かに口を開いた。
「あいつはな。」
「母親を知らん。」
俺は王を見る。
「王妃は病だった。」
「娘が物心つく前に逝ってしまった。」
王は遠くを見るような目をしていた。
「寂しかっただろうな。」
「それでも泣かぬ子だった。」
「泣けば、父であるわしが困ると思ったのかもしれん。」
「幼い頃からいつも笑っていた。」
「いや。」
王は小さく笑う。
「笑おうとしていた。」
胸が締め付けられる。
「あいつは王女として育った。」
「誰かを頼ることより、誰かを支えることを覚えてしまった。」
「旅の途中でも、自分一人が犠牲になればいい。などと言ったのだろう?」
俺は静かに頷く。
「……聞いていましたか。」
「いや、父だからな。」
「娘のことくらい分かる。」
王は湯をすくい、静かに流した。
「あいつは、とても強い子だ。」
「だが。」
「強い子ほど、誰にも弱音を吐けん。」
その一言が胸へ深く刺さる。
王は俺を真っ直ぐ見た。
「……勇者よ。」
「あの子が甘えられる存在に、お前がなってやってくれ。」
俺は少し俯いた。
旅の記憶が蘇る。
苦しそうに笑う王女。
自分一人が犠牲になればいいと言った姿。
木の上から飛び降りてきた、小さな少女。
あの屈託のない笑顔は、ずっと俺の支えだった。
俺は静かに顔を上げた。
「……はい。」
「必ず。」
王は嬉しそうに笑った。
「それで十分だ。」
湯から上がると、王は豪快に俺の背中を叩く。
痛い。
「返事は明日、改めて聞こう!」
「もう夜も遅い!」
「今夜は泊まっていけ!」
「ありがとうございます。」
「さて。」
王はにやりと笑う。
「娘も湯浴みを終えている頃だ。」
「……あとは若い者同士で話してこい。」
その笑顔に、俺は少しだけ照れ笑いを浮かべた。
◇ ◇ ◇
案内された部屋の扉を開ける。
柔らかな灯りが室内を照らしていた。
窓の外では、豊穣祭の明かりがまだ王都を彩っている。
「勇者様。」
振り返ると、湯上がりの王女が立っていた。
金色の長い髪はまだ少し濡れていて、月明かりや豊穣祭の明かりに照らされて神秘的だった。
旅装ではなく、落ち着いた寝間着姿。
ふわりと、花を思わせる優しい香りが漂う。
その姿に思わず見惚れてしまう。
王女は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「どうかなさいましたか?」
「……いや。」
「綺麗だなと思って。」
王女は耳まで赤く染める。
「もう……。」
二人で顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれた。
外では時折花火が上がり、俺と王女を赤や青に染める。
しばらく穏やかな時間が流れていた。
そして、花火の弾ける音が途切れたことをきっかけに、俺は意を決して口を開いた。
「……話したいことがあるんだ。」
王女は静かに頷く。
「俺は昔、お前に助けられたことがある。」
「……え?」
「子どもの頃。」
「年上の子どもたちに囲まれていた俺を。」
「木の上から飛び降りてきた女の子が助けてくれた。」
王女の瞳が揺れる。
「木……。」
王女は小さく目を見開く。
「……あ。」
「あの時の男の子……。」
その表情を見た瞬間、俺には分かった。
思い出したんだ。
「勇者様……だったんですか。」
涙が頬を伝う。
「やっと思い出したか。」
俺は少し笑った。
「俺はあの時。勇者として城に迎えられた時から気付いてた。」
「でも。」
「思い出してほしかった。」
「俺が言うんじゃなくて。」
「お前自身に。」
王女は涙を拭いながら笑う。
「どうして……。」
「もっと早く教えてくださらなかったんですか。」
「その自然な笑顔を見たかったから。」
「昔みたいに。」
「心から笑うお前を。」
王女は泣きながら笑った。
「勇者様……ありがとうございます。」
「私……。」
一歩近付く。
「旅をする中で。」
「いつの間にか。」
「あなたのことが、好きでした。」
「今も。」
「これからも。」
胸が熱くなる。
俺は照れくさそうに頭をかいた。
「……俺もだ。」
「昔から。」
「ずっと。」
王女はそっと俺の胸へ寄り添う。
俺もその肩を優しく抱き寄せた。
窓の外では、豊穣祭を彩る最後の花火が夜空へ咲く。
祝福するように。
未来を照らすように。
二人は静かに見上げた。
そして。
互いの手を取り合い、ゆっくりと歩き出す。
これから先、どんな未来が待っていようとも。
二人なら乗り越えられる。
そう信じていた。




