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第十話 豊穣祭

 神殿を後にしてから、幾日が過ぎた。


 山を越え、川を渡り、小さな村々で休息を取りながら、俺たちは王都への帰路を歩き続けた。


 旅はずっと穏やかだった。


 道中ですれ違う旅人たちの表情にも、以前のような張り詰めた空気はなかった。


 そして――。


「見えてきましたね。」


 王女の声に顔を上げる。


 遠くに王都の城壁が見えた。


「ようやく帰ってきたな。」


 長かった旅もこれで終わる。


 そう思うと、不思議と少しだけ寂しい気もした。


 王都へ入ると、街は豊穣祭の賑わいに包まれていた。


 色鮮やかな旗が通りを飾り、広場には屋台が立ち並ぶ。


 子どもたちは走り回り、大人たちは酒を酌み交わしながら笑っていた。


「勇者様だ!」


 誰かの声をきっかけに、人々がこちらを振り向く。


「勇者様、お帰りなさい!」


「王女様もご無事で!」


「魔王を倒してくださって、本当にありがとうございました!」


 次々と声が飛び交う。


 笑顔で頭を下げる人。


 手を振る子ども。


 俺は照れくさくなって、小さく手を振り返した。


「勇者様!」


 今度は屋台の店主が威勢よく声を掛ける。


「焼きたての串焼きだ!ぜひ、一つ食べていってくれ!」


「いや、ちゃんと払う。」


「何言ってるんですか!今日は祝いの日ですよ!」


「勇者様から金なんてもらえませんよ!」


 周りの屋台まで笑い始める。


「王女様もぜひ!」


 店主は焼きたての串焼きを二本差し出した。


 王女は少し困ったように笑い、小さく頭を下げる。


「ありがとうございます。」


「熱いうちが一番うまいですよ!」


 俺は一口かじる。


「……熱っ。」


 思わず声が漏れる。


 店主が豪快に笑った。


「はっはっは!焼きたてですからね!」


 王女も一口食べる。


「これ……美味しいです。」


 その笑顔に、店主も周りの人たちも嬉しそうに笑った。


「勇者様!」


 今度は向かいの屋台から声が飛ぶ。


「冷たい果実水もどうぞ!」


 差し出された木の器には、果実水がたっぷり注がれていた。


 器の表面には、小さな水滴が浮かんでいる。


「……いただきます。」


 一口飲む。


 ひんやりとした甘酸っぱさが、乾いた喉を心地よく潤した。


「……生き返るな。」


 思わず漏れた言葉に、店主が満足そうに頷く。


「長旅の後ですもんね!」


 王女も静かに口を付ける。


「冷たくて……とても美味しいです。」


 その笑顔を見て、人々はまた笑顔になった。


 平和になったんだ。


 そんな当たり前のことを、改めて実感する。


 歓迎の声が少し落ち着き、俺たちはゆっくりと祭りの通りを歩き始めた。


 賑やかな音楽。


 屋台から漂う香ばしい匂い。


 楽しそうな笑い声。


 王女は辺りを見回しながら、小さく微笑んでいる。


「勇者様。」


「ん?」


「約束、覚えていらっしゃいますか?」


 そう言われて思い出す。


 旅立ちの日。


 帰ってきたら、一緒に豊穣祭を見て回ろう。


 あの日に交わした約束を。


「もちろん。」


「忘れるわけないだろ。」


 王女は嬉しそうに微笑んだ。


「では、ご一緒してくださいますか?」


「ああ。」


 二人でゆっくりと屋台を巡り始める。


 焼き菓子。


 色鮮やかな果物。


 木彫りの玩具。


 見たこともない細工品。


「勇者様。」


「ん?」


「あちらは何のお店でしょうか。」


 王女が指差した先を見る。


「さぁ、なんだろうな。」


「俺も初めて見る。」


 そう答えると、王女はくすっと笑った。


「勇者様もご存知ないんですね。」


「祭りなんて来たことなかったからな。」


「私もです。」


 二人で顔を見合わせる。


「私たちにとって、初めての豊穣祭ですね。」


「ああ。」


「思っていたよりも、ずっと賑やかだ。」


「はい。」


「一緒に来られて良かったです。」


 その言葉に、俺は小さく笑う。


「俺もだ。」


 王女は少しだけ目を丸くして、それから嬉しそうに微笑んだ。


 甘い香りに誘われて、一軒の屋台の前で立ち止まる。


「さぁさぁ、甘くておいしいあつあつの焼きりんごですよ!」


 店主が焼きたての果実を並べている。


 蜜がとろりと表面を流れ、甘い香りが辺りに漂っていた。


「とてもいい匂いです。」


 王女が目を輝かせる。


「食べてみるか?」


「はい。」


 二人で焼きりんごを受け取り、一口かじる。


 熱々の果肉と、とろける甘さが口いっぱいに広がった。


「甘い……。」


 王女が嬉しそうに笑う。


「こんな食べ方があるんですね。」


「俺も初めてだ。」


 初めて見るもの。


 初めて食べるもの。


 その一つ一つを二人で分け合いながら、祭りの時間はゆっくりと流れていった。


 一通り屋台を巡り終えて、祭りの喧騒から少し離れる。


 ふと目に入った一本の大きな木に、足が止まった。


 見上げるほどの大きな木。


 昔と変わらない姿だった。


「……まだ残ってたんだな。」


「勇者様?」


 王女が不思議そうに俺を見る。


「この木。」


「昔、この木に登っていただろ。」


 一瞬、王女が固まった。


「……え?」


「見られていたんですか?」


「まぁな。」


 そう答えると、王女は少し頬を赤らめた。


「は、恥ずかしいです……。」


「子どもの頃は、その……じっとしているのが苦手で。」


「そうか。」


「あの高さまで登る奴なんて、初めて見た。」


「もう……。」


 照れくさそうに笑いながら、王女は木を見上げた。


「でも、不思議ですね。」


「ん?」


「どうして勇者様は、そのことを覚えていらっしゃるんでしょう。」


「さあな。」


「なんとなく、忘れられなかっただけだ。」


 あの日の笑顔だけは、今でも鮮明に覚えている。


 もちろん、そんなことを王女は知らない。


「そういうものなのでしょうか。」


 王女は小さく笑い、もう一度木を見上げた。


 何を思っているのかは、俺には分からない。


「行きましょうか、勇者様。」


「ああ。」


 俺もその後を追う。


 夕暮れが王都を茜色に染め始める。


 祭りの笑い声は、空へ溶けるようにずっと響き続けていた。

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