5.労働、それは喜び
ユージュはいつものように2人でお茶会をしようとアイリスを王城に招待したが、なかなかデジール家の馬車が到着しないことにソワソワとしていた。
到着はまだかと数分置きに側近に確認していたが、待ちきれなくなり馬車が到着するだろう正門付近でウロウロとしていた。
だが、待てども待てども馬車の姿は見えず、自ら探しに行こうとしたがもちろん止められたため、近衛騎士に様子を見に行かせた。
約束の時間に遅れることなど今までなかったため、不安ばかりが募る。
正門で馬車がやってくるだろう方向を見ていると、単騎で駆けてくる近衛騎士を見つけユージュは息を呑んだ。
デジール家の馬車が一緒ではなく単騎で騎士が駆けてくるということは、何か緊急の知らせを持っているということだ。
辛抱できずにユージュは駆けだした。近衛騎士が馬から転がり落ちるように降りてユージュの前に跪く。
「殿下に申し上げます!デジール家の馬車を赤い森の入り口にて発見いたしましたが、デジール家の護衛騎士3名、さらに馬車の中に侍女1名が負傷し倒れているのを発見いたしました!」
「アイリスは!?アイリスはどうした!?」
ユージュはその情報に愕然としながらも、早く情報を聞き出したくて近衛騎士の肩を掴み揺する。
まさか、、、まさか、、、
「デジール家の御息女は馬車の中には確認できず、現在、周囲を捜索中です。争った形跡があり、馬車にも損傷が見られました。複数の足跡を確認し跡を追いましたが赤の森の中に消えました。恐らく・・・。」
近衛騎士が唇を噛む。
「・・・恐らく、デジール家御息女は何者かに連れ去られた可能性が高いかと。」
「なっ!!」
そんな、と、ユージュは脱力し、その場に座り込んだ。
(アイリス・・・アイリス・・・・私の大切なアイリスが攫われたなどと!)
ユージュはぐっと手を握りしめ、同じく唇を噛んで悔しそうに顔を歪めている近衛騎士に命令した。
「なんとしてでもアイリスを探し出せ!捜索隊の増員もだ!私も赤の森に向かう!」
「なりません、殿下!赤の森は惑いの森でございます。出てこられなく可能性があるため、どうか私達にお任せください!」
「ならん!こうしている間にもアイリスの身に危険が迫っているかもしれないのにこんな所で待ってなどいられるか!」
赤の森は遥か昔からの古代樹が立ち並ぶ大森林だ。樹は高く、太く、密集しているため太陽の光が遮られ昼でも暗い。さらに森の中には磁気を纏う鉱物があちらこちらに埋まっているため、一旦中に入ると磁石が狂い出てこられなくなる。入った旅人が迷い、歩き回り、靴が削れて足が血塗れになっても出てこられないことから、赤の森と呼ばれるようになった。そんな森にアイリスがいるかもしれないことにユージュは戦慄した。
誰からも大切に大切に育てられたアイリス。怖いことなど今まで一度たりとも経験したことがないはずだ。今、どんな状況にいるのか情報が足りなさ過ぎてユージュの想像は悪い方にばかり膨らんでいく。
自ら探しに行こうとするユージュを周囲は何とか抑え込み、の捜索隊を編成しアイリスを探した。だが、どんなに探しても赤の森の中に消えた足跡を辿ることはできなかった。鬱蒼と草木が茂る森の中ではアイリスの形跡は髪の毛一つ見つけることは叶わなかった。
「ふんふんふーん、うふふふふふ♡」
朝からご機嫌な鼻歌が聞こえる。時折歌声も交じり、澄んだ美しい歌声に森の動物達が集まっている。
鳥が歌声に合わせてさえずり、空を舞っている。ウサギやリスがぴょんぴょん跳ねる。シカやトラやクマまで集まりウットリと聞きいっている。弱肉強食の世界は今この場には存在していない。皆お友達。
空に虹までかかっており、シャボン玉が飛んでいる。
そんなファンタジーな光景が本来は暗く陰気な赤の森の中に生まれていた。
動物達に囲まれて簡素な麻のワンピースを着たアイリスが頭に頭巾をかぶり、大きなタライの中に入れた洗濯物を洗っていた。その横ではアライグマが数匹、洗濯を手伝っている。優しいご指導も込みで。
「あぁ、朝からなんていいお天気なの。皆さん、おはようございます。」
動物達にあいさつをすれば皆がうっとりとして捕ってきた獲物をアイリスに差し出した。
「まぁ、美味しそうな木の実に果物。嬉しいわ、ありがとう。」
アイリスが微笑めばそれがご褒美ですというように皆が歓喜に震えている。そうして貢ぎ物が増えていく。
「なぁ、俺らは朝から何を見せられてんだ?あの一角だけ光が射して虹がでてねぇか?」
「知らねぇよ。なんでトラの背中にウサギが乗ってんだよ。餌だろ?なんで仲良く頭揺らしてんだよ。」
今度はアイリスの歌声に合わせて動物達が左右に揺れだした。リズムをとっているようだ。動物が。
その光景を顔を引きつらせて見ている男が二人。アイリスを攫った黒髪のインサと茶髪のジェントだ。
ボスの命令でデジール公爵家の令嬢を赤の森の隠れ家に攫ってきたまではよかった。
だが、この令嬢、全く怖がりもせず泣きもせず、汚い隠れ家に喜んだ。
「初めて見る物、触る物ばかりでとても興奮します。」
目を輝かせて、あちこち触りまくる。いかにも荒くれ者の様相をしている2人にも全く怖気づかない。
これはなんだ、あれはどう使うのだと平気で聞いてくるため2人とも毒気を抜かれていた。
しかも、自分の世話を自分でできると喜んでいたと思ったら、物足りなかったらしく掃除や洗濯など使用人のようなことまでやり始めた。するなと止めればいつの間にか集まった猛獣達が牙を剥きだしにして2人を威嚇してくる。2人は命の危機を感じ、ボスもまだ帰ってこないので好きにさせるしかなかった。
こうして今、目の前で起こっているようなファンタジックな光景が日々繰り広げられるようになった。
まずアイリスの歌に反応して周囲の動物達が集まりだした。狂暴な肉食獣までもが毒気を抜かれ、トラなどただの猫に成り下がっている。女神に献上するかのように隠れ家の前には毎日食べ物や薬草など貢物が置かれた。
「掃除をしてみたかったの!」と訳のわからないことを言って、どこからか掃除道具を見つけてきて、なんとなく掃除を始めればネズミや鳥が一緒になって掃除を始めた。むしろアイリスにやり方を教えている。
水を汲むための小川が少し遠かったのだがモグラ達があっという間に地面を掘って水源を見つけ、庭には小さな湧き水が湧くようになった。
「あいつは何だ。魔女か?魔物か?悪魔か?それとも神か?」
インサが遠い目をしてアイリスの歌声に揺れる動物達を見る。
「いやいや、ただの人間だろうが。ちょっと動物に好かれ過ぎなだけの人間の女・・・だよな?」
ジェントが自身なさげにこぼす。
2人はとんでもないものを攫ってきてしまったと後悔していた。
「早くボス帰って来てくんねぇかな。」
「だな。俺らじゃどうしたらいいかわかんねぇ。」
そんな2人の悩みも知らずにアイリスは人生で初めて充実した日々を送っていた。
「あぁ、労働って素敵。これが生きるという事なのね!」
粗末な衣服も汚れる手足も満足にお風呂に入れないことも簡素な食事も気にならなかった。
生きるために働く。汗を初めてかいた。手足を動かし、重たい水桶も持った。
筋肉痛も初めて経験した。お腹から聞こえた音は空腹の音だった。
人は食べなければ空腹になることを初めて知った。
働けば疲れる、粗末で固いベッドでもぐっすりと眠れた。
綺麗に整えられていた爪にはすぐに泥が詰まってしまうため短く切った。
髪の毛は毎日洗って保湿剤を塗って櫛で梳かなければすぐにボサボサになってしまったが全く気にならなかった。少し日焼けもしたような気がする。血色が良くなり真っ白だった顔も化粧もせずとも薄っすらとピンクに色付いている。
アイリスは初めて自分が生きていると感じた。今までの日々が嘘のように毎日に幸せを感じていた。




