21.塔の中に
一人、部屋に残されたアイリスは眠ることもできずベッドの上で自分の膝を抱え込み座っていた。
時間は真夜中だろうか。部屋の中には時計もなく、小窓から漏れる光で時間を予想するしかなさそうだ。
小窓から月明かりが入り込んでいる。そういえば今日は満月か。窓は小さいが月明かりが強いため思ったより部屋は明るい。
一人になると嫌なことばかり考えてしまう。
「・・・ユージュ殿下。」
思わずぽつりと口から零れた言葉にはっとした。
あの人は何も知らないだろう。知っていればアイリスと婚約などする訳がない。
攫われてから思い出すこともなかった顔がやけに鮮明に思い出された。
『アイリス』
いつも優しく、大切に呼んでくれた名前。皆がアイリスを大切にしてくれたため、ユージュもその中の一人でしかなかったのに、何故今、思い出してしまったのだろう。
いつもアイリスの花を持って額にキスを贈ってくれる殿下の顔が頭から離れない。
この話をあの人が知ってしまったらどう思うだろうか。
アイリスのことを恐ろしいと感じるだろうか。
もうアイリスに花を贈ろうとは思ってくれないだろうか。
親愛のキスももう送ってくれなくなるのだろうか。
あの優しい笑顔が嫌悪に満ちた顔になってアイリスを見るのだろうか。
ユージュの隣に寄り添うのは自分ではなく、他の誰かになってしまうのだろうか。
「・・・ふっ・・・・うっ・・・。」
ぽたり、ぽたりと涙が頬を伝って落ちる。
もうこの婚約は破談だろう。だってアイリスは人間かどうかすらわからない。
何者かもわからない娘を王子の婚約者になど許される訳がない。
そもそも、攫われて隣国にいる自分がこの先どうなるかもわからない。もう会うことすらできないかもしれない。
「・・うぅっ・・・・うっ・・・・。」
寂しい。会えないことが今になって、こんなにも寂しく辛い。
この気持ちを何と言ったらいいのかわからない。
アイリスには恋や愛など、まだよくわからない。
けれど胸の内に燻り続けるこの気持ちに涙が勝手に流れてくる。
アイリスは夜が明けるまでとうとう涙を止めることができなかった。
ただ、ユージュに会いたかった。
夜が明け、パンとスープが配られたがアイリスは食べることができなかった。
水を少し口に含むのが精一杯で、小さな窓しかない部屋でぼーっとしているとガチャリと鍵を開ける音が聞こえた。
「こちらに来るんだ。」
騎士が二人部屋の中へと入り、アイリスの両側に立ち何の説明もないままドアの外へ連れて行かれた。
碌なものを食べておらず、ふらつく体をなんとか動かしアイリスは歩いた。
目的地は遠いのか30分程歩かされ、いつの間にか建物の外に出ていた。城の立つ敷地内ではあるのだろうが、建物もまばらとなり、やがて平地の中にポツンと灰色の塔が建っているのが見えた。どうやら、その塔に連れて行かれるらしい。
何も聞ける雰囲気ではなく無言のまま、やがて三人は塔の入口へと辿り着いた。塔の入り口のドアには頑丈そうな南京錠がかけられている。騎士の一人が腰にぶら下げた鍵の束から一つの鍵を取り出し、その南京錠に差し込んだ。
ガチャリと鈍い音を立て、南京錠が外される。
重そうなドアをギギギと開けると目の前には螺旋階段が塔の上へと続いていた。
「登るんだ。」
階段は狭く一人分程しか幅がない。今度はアイリスを中央にして縦一列で階段を上へと昇る。
コツリ、コツリと靴音が内部で反響し、埃臭く薄暗い中、しばらく登る。
やがて塔の中腹くらいだろうか、階段の途中に木のドアが現れた。階段の先はもう見えず、どうやら部屋になっているようだ。
木のドアにも南京錠がかけられており、先頭の騎士が南京錠を開け、扉を押し開ける。
開いた空間に先頭の騎士が入り、続くように後ろの騎士がアイリスの背中を押した。
そうして扉の中へと入ると目の前に牢屋があった。
牢屋と言っても貴族牢のようで、牢の内側は簡素ではあるがベッドとテーブル、ソファもあり格子付きだが窓もある。ちょっとした客室のようだった。人影は見えず、ベッドの布団が盛り上がっているのに気付いた。布団の中に誰かが潜り込んでいるようだ。
騎士に押されるがまま、中へ進むと牢の手前に昨日会ったばかりの第2王子が立っていた。
「おはよう。よく眠れたかい?」
爽やかだがアイリスの真っ赤に充血した目を見て言う言葉ではない。
完全に面白がっているのだろう。
「はい、お陰様で。ユーリ殿下もよく眠れましたか?」
「ははっ、言ううねぇ。気の強い女の子は大好きだよ。」
たった今、気が強くなったのだと言いたかったが、ユーリの値踏みするような視線に悪寒が走って口にするのをやめた。
「昨日は君が気を失ってしまって話が途中だったからね。せっかくだからこちらで話の続きをしようかと思ってね。わざわざ、椅子とテーブルを運ばせたんだ。」
そう言ってユーリは牢の格子の手前のスペースに置かれた椅子とテーブルを指差した。
「まぁ座りなよ。お茶でも飲もう。」
牢屋の前でお茶会とは趣味の悪いことだ。
アイリスはその場に立ち尽くしたままチラリと牢の中を見た。
「こちらの牢は何ですか。」
椅子に座ろうとしていたユーリがあぁ、そうだったと思い出したかのように立ち上がる。
「君の母上の牢さ。」
「・・・・!」
アイリスがばっと全身で牢を振り向き、目を凝らす。
ベッドの上でもぞもぞと動く人影を見た。布団をかぶっているため顔がわからない、寝ているのだろうか。
「ふふ。呪文を言えば起きるよ。」
ユーリが楽しそうに笑う。聞いていてねとでも言うようにウィンクした。
『お前の赤子が見つかったぞ』
声が届いた途端に布団の中に潜り込んでいた人物かガバリと起き上がり、ふらつく体でベッドから降りた。
力が入らないのかぐしゃりと足元に座り込んだが、ベッドシーツを掴んで起き上がるとふらり、ふらりと揺れながらこちらに歩いてくる。
逆光で顔が見えなかったが、牢の格子をがしりと掴んだ時、入り口のランプの光に照らされて顔をはっきりと識別できた。
「どこ?私の赤ちゃんはどこ?」
髪の毛はボサボサで指はひび割れ、爪もボロボロだ。手足はやせ細り、顔もやつれて骨が浮き出ているが声から女性だとわかった。
女性は目の前のユーリやアイリスには興味も示さず、いるはずもない赤子を探す。
「どこにいるの?」
ピンクブロンドの髪の毛、シトリンのような瞳。今は見る影もないがその顔はアイリスによく似ていた。
ユーリは女性に答えることなくアイリスを見てニヤリと笑う。アイリスの耳元に顔を寄せ、小声で囁く。
「君の母上のアネーロだよ。」
この女性が、私の母。
格子の向こうにいる女性が本当の母親だと言われても実感が湧かない。
会えば何かを感じるかとも思ったが、何も感じなかった。
牢に閉じ込められた哀れな老女のような女性が未来の自分に思えた。
アネーロはひとしきり赤子を探すが諦めたのか、ふらりふらりとベッドの中へと戻って行った。
「さぁ、まずは座って。それから話をしよう。」
ユーリは何事もなかったかのように椅子に座り、アイリスも座るように指示を出す。
「感動の親子の対面とはならなくて申し訳ない。見ての通りアネーロは正気を失っている。」
アイリスが座ると目の前に紅茶が出された。とてもじゃないが口をつける気になれない。
「いつからですか?」
優雅に紅茶を飲もうとしていたユーリの手が止まり、少し考える。
「君を産んだ時にはもう病んでいたんだろうけどね。アネーロの侍女と赤子がどこに行ったのかとか私の子供をどうしたのかとか、どうやってやったのかとか色々と聞く必要があってね。なかなか要領を得ないことばかり話すから尋問が長引いたんだ。まぁ、少し手荒にしたこともあったけど・・・。
それが疲れてしまったんだろうねぇ。気付いたらあぁなってた。まぁ仕方ないよね。」
仕方ないという一言で片付けられてしまった。尋問という不穏な言葉もでたが、ユーリはアネーロに関しては夫だという認識がないのだろうか。どれだけ長い間、放っておかれていたのか。
ユーリは大変だったんだよ、とため息をこぼして紅茶を飲む。
「何を聞いても悪魔を呼んで自分も魔女になったってことばかり言うんだ。私の子供をどうしたのか聞いたら召喚に必要だから使ったと。では魔女になったのなら力を見せてみろと言ってみても何もできない。」
口を湿らせ満足したのか紅茶のカップをソーサーに置き、腕を組んで椅子に深く腰掛けた。
アイリスを見てにこりと笑う。
「いつも同じようなことしか言わないからもう無理かと思っていたんだが、ある日急に別の事を言い始めた。」
「別の事?」
アイリスが思わず反応してしまったことに気をよくしたのかニヤリと笑う。
「悪魔と交われば魔女になれるはずだったのにおかしいと、魔女の力が使えないことにアネーロもやっと気付いたんだろうね。ある日言ったんだ。『産んだ赤子に魔女の力が宿っているから自分は魔女になれていないんだ』と。」
ふふふふとユーリは何が可笑しいのか笑い始める。
「なんかもう可笑しいよね。妄想もここまでくれば小説家とか劇作家になれるんじゃないかと思ったよ。私ももう信じてあげたくなってしまう程に彼女はそう信じていた。けれど、どうやら神殿が動き出したらいいという情報を私の影が手に入れた。しかも教皇だ。神殿のトップだよ?神殿はどうやってアネーロのことを掴んだのか知らないけれど、何度か面会を申し込んできた。まぁ、もちろん断ったけどね。」
「それであなたは信じたのですか?」
うーんとユーリは考える素振りをする。
「私もね、色々と疲れたんだよ。私は第2王子だ。どうやったって兄には敵わないし、この国の国王になることもない、現状第1王子のスペアだ。美しい妻を妃として迎えたと思ったら子供は産めない、大人しくてつまらない。愛した恋人は結ばれることもなく産まれた子供は行方不明になった。恋人もおかしくなってしまうし、妻はどこの誰ともわからない赤子を産んでしまった。さらには悪魔を召喚したなどと到底信じられないようなことを言う始末だ。」
自分に非はなく、すべてが周りの者のせいだとでも言うようだ。
「だが、教皇が動いたことで信憑性がでてきてしまった。アネーロの消えた赤子などどうでもよかったが、もしや役に立つのではないかと思ってね。」
気付くとアネーロの背後に騎士が2人立っていた。両肩をそれぞれの騎士が押さえつけ動けなくする。
「アイリス。」
アイリスの視線が騎士へと逸れたことが気に入らなかったのかやや不機嫌そうに王子が呼んだ。
「アイリス。お前が魔女であるなら一体何ができる?」
「私は魔女ではありません。そんな力、知りません。」
「本当に?」
背後の騎士が肩を押さえる力が強まる。
痛みにアイリスの顔が曇ろうともユーリは気にしない。
「不思議だなぁと思ったことはない?」
「そんなことありま・・・。」
思い出したことが一つある。赤の森で過ごした間、異様に動物が懐いてきたうえにアイリスに意思を汲み取ったかのように動いてくれたことだ。
思い出した瞬間、アイリスはしまったと思った。不自然に言葉と表情を止めてしまった。
慌ててユーリを見たが既に手遅れだったのを理解した。
ユーリは獲物を見つけた猛獣のように目を充血させ、口は弧を描いていた。
「アイリス。時間はたくさんあるんだ。そうだ、アネーロとここで過ごせばいい。初めての親子の触れ合いを存分に楽しんでくれ。そうすればアネーロも少しはまともな事を言うかもしれない。」
王子は笑いながら最後の紅茶を飲み干すと立ち上がってアイリスの元に近付いてきた。
アイリスはいまだに押さえられ動けない。
ユーリはアイリスの耳元で囁く。
「私はもう自分の子は諦めたんだ。子を失いカルミアも心を壊した。私には何が残る?」
ユーリがサラリとアイリスの髪を撫でたと思ったら、そのまま髪を掴み後ろに下げ降ろす。
つられてアイリスの頭が後ろに引っ張られ、息が詰まった。
「私を国王にする魔法がわかったら是非とも教えてくれ。」
ハハハと笑う声が塔の中に響き渡る。
ユーリが満足したのか手を離した。合わせるように騎士も押さえつけていた手を緩める。
アイリスは何も言う事ができず、冷え切った紅茶のカップをただ見つめるしかなかった。
似ても似つかないはずのユージュの顔がユーリに重なる。
化け物とユージュが言ったような気がした。




