20.告白
「私は最初、彼女の言う事が信じられませんでした。」
ガタゴトと揺れる馬車の中でヴォルヴァの声だけが静かに響く。ユージュもドートンも口を閉ざし、動くこともしなかった。
ヴォルヴァは女が差し出す物を受け取りたくなかった。
自身は今まで特に何かを感じたことも見たこともない。神に祈りを捧げたくてこの道に入っただけであり、自身には何の力もないと思っていた。
だが、女が握り締めている羊皮紙からはどす黒く禍々しい気配を感じた。
『触れてはいけない』そう本能が告げた。
こんなにも禍々しい物は未だかつて見たことがなかった。
直接触ったわけでもないのに手が、体が震えてくる。
「あっ、あなたは、そっ、そを持って、て、なっ、何ともな、いの、でしょ、か?」
口が震えて上手く言葉が紡げない。
女は意味が分からず首を傾げている。
(そうか、この女もすでに囚われている。)
我が子を失い、悲しみに、怨みに、猜疑心に囚われ、羊皮紙を握る女の手は黒く染まっている。
ヴォルヴァは神への祈りを唱えつつ、胸に掲げている十字架のネックレスを掌に巻き付けた。深呼吸をして気持ちを落ち着け、女が差し出す羊皮紙に手を伸ばした。
(恐ろしい。触りたくない。)
触れる瞬間、ビリっと静電気のような衝撃が指に伝わった。
黒い何かがヴォルヴァの中に流れ込もうとする。
必死に祈りの言葉を心の中で唱え続け、額からは汗が流れ、体はガクガクと震えた。
何が起こっているのかわからない女はなかなか受け取らないヴォルヴァに怪訝な顔をして、首を傾げたままだ。
少しの期待と希望の上に積み重なる焦燥、緊張、恐怖、後悔、無念、嫉妬、劣等感、孤独、空虚、そして憎悪。様々な感情が幾重にも積み重なり、おぞましくボコボコと膨らんで期待も希望も押しつぶし、真っ黒になっている。
だが、それとは別のものも感じた。
好奇心、快楽、支配感、興奮。色で例えるなら赤だ。
それが黒いものと交じり合うことなく、ぐにゃぐにゃと絡み合って醜く増大している。
目が回りそうになりながらも何とか羊皮紙を掴んだ。
女に説明する余力もなく、すでに満身創痍状態ではあったがぐしゃぐしゃの羊皮紙を開き、書き込まれているものを見た。
精巧に模写された魔法陣と呼ばれるものだった。これが何の魔法陣なのかわからないがミリ単位に描かれている文字や図形には描いた者の相当の執念を感じた。
(これは私の手に負える物ではない。)
自分などには到底扱えない案件だ。自分よりももっと上の、それこそ教皇にお伝えせねばならないだろうと思った。
「申し訳ないが、私にはわかりかねる。これをお預かりしてもよろしいでしょうか?」
やっとのことで声を絞り出し、女に伝えると女は縋るようにお願いしますと頭を下げた。
「情けない話ですが私はそのあと、三日間高熱で寝込む羽目になりました。それほどの力があの魔法陣にはあったのです。」
ヴォルヴァは左手をユージュとドートンに差し出した。
二人が注目したところで、くるりと掌を見せる。
そこには古い火傷の痕があった。
「これは、羊皮紙を握った掌です。十字架越しに大火傷を起こしていました。」
よく見ると掌の火傷は十字架の形の部分だけ、皮膚が正常だった。
「神がお守りくださいました。」
2人はお互いに無言のまま視線を合わせた。
ヴォルヴァはそっと掌を撫でる。
「三日寝込んだ後、私は司教へとこのことを伝えました。魔法陣の描かれた羊皮紙は厳重に当時の教皇の元へと運ばれた。そして、数年の時間を要し、やっと判明したのです。あれは本物の悪魔召喚の魔法陣だと。」
ガタゴト、ガタゴトと馬車の揺れる音がやけに耳につく。
「アネーロ様は確かに悪魔を召喚したのです。第2王子とカルミア様のお子様を生贄にして。」
「・・・本当か。」
ドートンが否定の言葉を求めて口を開く。
「間違いないでしょう。」
肯定の言葉にドートンが頭を抱える。
「そんなおとぎ話のようなこと・・・悪魔など本当にいるなど・・・。」
頭を抱えたままドートンが呟く。
「・・・姉は魔女になりたいと呟いていた。」
「悪魔と交わることで魔女になるという伝承があります。アネーロ様はそれを試したかったのでしょう。」
「姉は悪魔と交わったと?」
「でなければアイリス様が産まれた理由を説明できません。カルミア様はお子様が行方不明になってからずっとカルミア様を見張らせていた。確かにあの部屋に出入りしていたのは侍女一人だけでした。」
「そうか・・・・・。」
ドートンは頭を上げないままだ。消え入りそうな声でそうかと呟いたきり黙ってしまった。
「カルミア様はずっとアネーロ様を見張らせていましたが、さすがに妊娠には気付いていなかった。だから産まれた直後のアイリス様を侍女が連れ出したことには気付かなったのです。」
侍女は無事にデジール公爵家に辿り着き、アイリスをドートンに託してアネーロの元に戻った。
「侍女はうまくやりました。ですが残されたアネーロ様が産んだ子供と侍女がいないことに気付き、部屋から探しに出てしまった。それも出産後の血塗れの状態で。カルミア様の見張りがその様子を見てカルミア様に報告したのです。そしてアネーロ様の出産が第2王子の耳にも入ってしまいました。」
侍女のアンテがこっそりと王城に帰ると部屋にはアネーロの姿はすでになく、アンテも捕らえられそうになった。
アンテはどのみち殺されるとわかっていた。
きっと問いただされる。拷問などされれば黙っていることはできないだろうと思った。
洗いざらい吐かされた挙句、殺されてはアネーロ様に申し訳ない。
アンテは庭園に逃げ込んだ。アネーロが嫁いできたばかりのまだ希望を持っていた頃に訪れた庭園だ。
美しく整えられた花々の中を歩く美しいアネーロを支えたいと思っていた。自分にも希望があった。
どこで間違えてしまったのだろう、何があの人を狂わせてしまったのだろう。
自分がしたことは正しかっただろうか。
わかるのはもう傍にいることができないということ。
あの人を一人にさせてしまうということが申し訳なかった。
「アネーロ様、申し訳ございません。」
護身用に持っていたナイフを取り出し、震える手で自分の首に刃を当てた。
どうか、どうか、アネーロ様をお救いください。
初めて神に祈り、ナイフを握った手を引いた。
「侍女は庭園で自害したとのことです。」
ヴォルヴァが手を組み、祈りを捧げる。
ドートンの記憶の中の最後に見たアンテは笑っていた。あの時、アネーロを一人にしておけないと笑った侍女はもういない。
「とうとう一人になってしまったのか。」
あの時、止めていれば・・・いや、きっと彼女はそれでも主人の元へと帰っただろう。
「それで、アネーロ様はどうなったのですか?」
ユージュにとっては今までの話、全ては自分が体験したことではない。
まだ信じられない気持ちの方が強かった。
「アネーロ様は第2王子により捕らわれました。だが、すでにアネーロ様は精神を病んでおられた。話は要領を得ず、自分は魔女になったのだと言われる。ですが、魔女の力は何も確認できませんでした。アネーロ様から出てくる証拠など魔法陣や本ばかりで証拠にはならず、侍女は自害し証言もとれない。赤子も結局は見つからず、アネーロ様は幽閉されることとなったそうです。」
王城の端にある塔の中に一人幽閉され、その後はどうなったのかヴォルヴァにもわからないとのことだった。
「第2王子はそこで手を引いたようですが私達神殿はそうはいかなかった。悪魔が召喚された事実がある以上、アネーロ様が産んだはずのお子様を探す必要があった。そうして、見つけたのです。隣国のウィステリア国でアネーロ様にそっくりなアイリス様を。」
ここでドートンが頭を上げた。警戒した目でヴォルヴァを睨む。
「アイリスをどうするつもりだ?」
「私達はアイリス様を神殿で保護したい。どのような力を持っているかもわかりませんから調べることも必要だと思っております。ですが、アイリス様は公爵家が手厚く守っておられた。正面から言っても聞き入れてもらえないだろうという事で、少々手荒な手を使うことにいたしました。」
「!お前達がアイリスを攫ったのか!?」
ユージュが身構える。ドートンもヴォルヴァを睨んだままだ。
「申し訳ありません。我々も必死でございまして。攫うように依頼し、国境に近い赤の森の入り口で落ち合う手筈にしていたはずなのですが。」
ユージュがはっと気付く。アイリスを攫った者と落ち合うはずだったヴォルヴァがなぜ自分達と一緒にいるのか。さっさと自国に帰らず、協力を求めるのは何故だ。
「まさか、攫ったアイリスがまた攫われたのか?」
「馬しかいなかったのでしょう?ということは、そういうことでございましょう。」
ヴォルヴァは情けないとため息をこぼす。
「どうも神殿の中に密通者がいたようです。カルミア様あたりが諦めていなかったのでしょう。攫うとまでなるとすでに第2王子にも伝わっていると考える方が筋ですな。カルミア様に説得されたのかもしれません。」
「では、アイリスはまさか。」
「第2王子の元に連れて行かれているでしょうな。」
事態は最悪な方向へと進んでいるようだ。
「どうすれば・・・・。」
ユージュがぐっと手を握り、歯噛みする。
「我々も乗り込むしかないでしょうな。」
ヴォルヴァが仕方がないとさらりと口にする。
「なっ!そんなことをしても門前払いであろう!」
思わず身を乗り出すユージュをドートンが制する。
「何か策があるのか?」
「聖教者だからと言って皆が清廉な訳ではありません。人間はずるい生き物です。正しい事だけでは生きられない。時には都合良く、悪も正義として扱わなければならないことがあります。」
ヴォルヴァが腕を組み、頷きながら何やら言いだした。
「それはどういう意味だ?」
「今から我々がする行動は正義の行動だということです。」
穏やかな笑みを携え、目の前の聖職者が神に祈るポーズをした。




