18.怖い夢
夢を見た。アイリスが住むデジール公爵家の夢だ。父と母、兄と姉達。皆が笑いアイリスを呼んでいる。
「おいで、アイリス。」
「こちらにおいで。」
「アイリス、こっちよ。」
方々から皆がアイリスを呼んでいるのに、何故かいつの間にか皆の方からアイリスを抱きしめる。だが、一人、また一人と抱きしめる人が増えるにつれ、息が吸えなくなった。
苦しい、けれど、アイリスの苦しそうな表情に皆は気付かない、いや、見ていない。
皆は笑ったまま、更にアイリスを締め付ける。
『なんて可哀想な化け物』
誰かがそう言った。
あぁ、そうだ。私は化け物だ。
ユーリの話が本当ならアイリスは生まれるべき者ではない。他人の命を犠牲にして生まれた悪魔の子供だ。父は何を思ってアイリスを娘にしたのか。
出生のことを知っているのか、知らないのか。
皆がアイリスを可哀想な化け物と呼び、それでも愛しいと苦しい程に抱きしめる。
その狂った愛の中でアイリスは息もできず、溺れていくしかなかった。
ひゅうっと息を吸い込みアイリスは目を覚ました。 夢の中の息苦しさが現実でも起きているかのように必死に空気を吸い込む。
家族の顔、言葉がやけにリアルだった。
怖かった。本当に言われたのかと思った。
上手く吸い込めず短い呼吸を繰り返す。やがて深く息を吸って吐き出せるようになり、やっと落ち着いた頃にはびっしょりと汗をかき、髪の毛が額に張り付いていた。
胸を押さえて僅かに痺れの残る指先に力を入れ、視線を動かすと自分がベッドの上に寝かされていることに気付いた。部屋の中はすでに暗く、ベッドサイドにランプの灯りがわずかにあるだけだった。
ひどく重い体をなんとか起こす。城内のどこかの部屋だろうか。誰かいないかと辺りを見回すとソファにベルフェが一人座ったまま眠っているのを見つけた。
ほっと安心したように息を吐く。
人がいることにひどく安心した。
「ユーリ殿下の話の途中で気を失ってしまったのね。」
声にだすとひどく声がかすれているのに気付いた。
水はないかと周囲を見渡すとサイドテーブルの上に水差しを見つけた。ベルフェを起こさないようにそっと水差しに手を伸ばすもギシリとベッドが軋んでしまった。
音にピクリと反応したベルフェが頭を上げ、アイリスと目が合った。
美しいアイオライトのような菫色の瞳が暗闇の中に浮かび上がる。
「よぉ、目が覚めたか。」
「私、どのくらい気を失っていましたか?」
「一時間くれぇかなぁ。まぁ、そんなに経っちゃいねぇよ。」
「ベルフェさん、付き添ってくださっていたのですか?」
「ん-まぁなぁ。怖ーい見張りのおっさんよりは俺の方がいいかと思ってなぁ。」
「ふふ。そうですね、ありがとうございます。」
ベルフェが立ち上がり、サイドテーブルの水差しに手を伸ばす。グラスに水を注ぎ、アイリスに差し出してくれた。
お礼を言い、受け取ってくぴりと水を飲み込む。ぬるいただの水だったが、美味しくてごくごくと飲み干す。
「汗でびっしょりだな。」
ベルフェが額に張り付いた髪をよけてアイリスから空のグラスを受け取り、また水を注ぐ。
どうしたのだろう、何だか優しい気がする。
「ちょっと怖い夢を見てしまいました。」
満杯のグラスを受け取り、少し口をつける。それ以上は飲む気になれず、グラスを持ったまま膝の上に手を降ろす。
「ベルフェさんは先程のユーリ殿下の話をどう思われますか。」
アイリスの心臓がどくどくと拍動する音が聴こえる。どうやら緊張しているようだ。ベルフェはどう返すだろうか。
「んー。胸糞悪い話だなぁって思った。」
「私は人間なのでしょうか。」
「お?信じるのか?」
ベルフェが意外そうに驚いた顔をする。
「わかりません。ですが、ユーリ殿下もカルミア様もそうだと思って行動しています。妄想だけで隣国の第1王子の婚約者など誘拐しないでしょうし、下手をすれば両国の関係が悪化してしまいます。」
「・・・俺にはそんなのわかんねぇなぁ。」
ベルフェがベッドの端に腰掛ける。アイリスからは背を向けた格好になり顔は見えない。 座ったということはアイリスの話を聞いてくれるということだろう。
「悪魔って本当にいるのでしょうか。なぜ叔母は魔女になりたかったのでしょうか。」
ベルフェは窓の方を見たまま黙っている。
(こんな質問、困らせてしまうわよね。)
そう思っても、不安を吐き出してしまいたかった。誰かに聞いてほしかった。
「悪魔はいるさ。魔女もいる。」
「え?」
ベルフェは背中を向けたままのため、表情は見えない。だが、はっきりと断言したように聞こえた。
「・・・だって、あの王子、胸糞悪かっただろー。あいつの方がよっぽど悪魔だぞ。」
断言した時とは口調が違う。ベルフェがニヤニヤとしながらアイリスを振り向く。
「人間ってのは悪魔みたいなやつも魔女みたいなやつも五万といる。俺はそんな奴らを死ぬほど見てきたなぁ。まぁ、俺も依頼があってお嬢さんを攫った口だから悪魔みたいなもんだけどなぁ。」
「ベルフェさんは何だか違う気がしますね。」
「お嬢さん、あんた、ほんとに見る目ねぇなぁ。」
呆れるように言うベルフェに心が落ち着いていく。 いつも通りに接してくれているのが嬉しい。
「そういえば、ベルフェさんは狼男でしたね。」
前夜に隠れ家を出ると告げられた時にベルフェがそう言っていたことを思い出した。
「はは!そうだなぁ。狼男だったなぁ。」
思わず笑いだしたベルフェの大きな口には鋭い牙は見えない。 だが、アイリスは思い出したことがひとつあった。赤の森を馬に乗って移動中、ついうたた寝した時に感じた違和感。
「あの、ベルフェさん。狼男には心臓はありますか?」
「あ?何だ急に。あるんじゃねぇの?」
「では、心臓がない生き物って何でしょう?」
アイリスの質問の意図がわからず、ベルフェが首を傾ける。 言ってもいいのだろうか。でも、言っては駄目な気がする。
どう言葉を続けようかと俯いていると、ふわりと頭の上に手を置かれた。
「何の話かわかんねぇけど、余計なことは考えないで、聞いてみたらいいんじゃね?」
「え?」
「あのくそ王子の言ったことしかわかんねぇし、お前の生まれのことを親とかに聞いてみりゃいいんじゃね?」
「お父様に?」
心を読まれたのかと思って焦ったが、ベルフェが言っているのはアイリスの出生のことだった。
「少なくとも当事者だろ。お嬢さんが知らないこともきっと知ってる。」
「そういえば、アネーロ叔母様はどうしているのでしょうか?」
「あー、そういやそうだな。死んだのか、生きてんのか。あの王子も言ってなかったなぁ。お嬢さんが気絶しちまったから話がそこで終わっちまったし。」 「・・・そうですか。」
(お父様はどう思っているのでしょう。)
アイリスをここまで育てたのは父の力だ。過剰ではあったが確かに父の愛情も感じる場面が幾度となくあった。あの父の顔までもが嘘だと思いたくなかった。
(聞く機会があるでしょうか。)
現状、アイリスはガヨ国に捕らわれている。隣国にいる父と会う機会が今後あるのか。
この先、自分はどうなってしまうのか。
「まぁ、とりあえず、今日はここで休め。明日また王子がここに来るようなことを言ってたから、その時にまた何かわかることもあるんじゃねぇか?」
「そうでしょうか。」
ベルフェは立ち上がり大きく伸びをすると部屋のドアを内側からノックした。 ガチャリと鍵が開く音が鳴り、見張りだろうか、騎士が部屋をのぞき込む。ドアの前に立つベルフェを確認すると、手首に縄をかけて外へ連れ出してしまった。
「ベルフェさん!」
「お嬢さんが起きるまでって話でここに居たからなぁ。俺らはならず者だからなぁ、お嬢さんとは別部屋だってよ。」
またなと言って扉が閉められ、ガチャリと鍵をかけられた。
一人取り残され、静けさに膝を抱える。
また会えるだろうか。
先程、ベルフェに聞くのをためらったことを思い出す。
赤の森を馬に乗って移動中、ついうたた寝した時に感じた違和感。ベルフェにもたれかかって眠っていたためかなり密着した状態だった。下からは馬の心臓の鼓動が響いていたが、アイリスの背部にいるはずのベルフェからは心臓の鼓動は何も感じられなかった。
生物すべてに心臓は必ずあるはずだが、ベルフェには何故ないのか。 悪魔も魔女もいると言いきった時の表情は見えなかったが、なぜいると言いきれたのか。
アイリスは自分の胸に手を当て、心臓の鼓動を確かめる。確かに鼓動を感じるけれど、それだけだ。
心臓があるから人間なのだと言えるのだろうか。
ベルフェが出ていったドアを見つめてみるが、ドアが動くことはなかった。外にいるだろう見張りの騎士の気配すらわからない。
抱えた膝に顔を埋め、誰にも聞こえないように大きく息を吐き出す。
自分も、誰もかれもが人間という皮を被った何かなのかもしれない。
アイリスの見てきた世界は狭すぎる。何をもとに判断すればいいのかわからなかった。




