17.私は誰なのか
いつも侍女が傍に侍り、何不自由なく暮らしていた。でも、それは裏を返せば何もかも制限され、自由のない生活だった。
服は何を着るのか、装飾品はどれにするのか、なにをして過ごすのか、アイリスの意思ではなく周囲の意思ですべて決められてきた。
「可憐だ」「美しい」「可愛らしい」
皆が口々に同じ言葉を繰り返す。それが愛されている、大切にされていると思っていた。でも皆がそう言ってアイリスを愛し、大切にすればするほど、それがとても窮屈に感じていた。
だって皆、表面上を褒めるだけで中身などちっとも見ていない。一方的に与えるだけでアイリスの感情を必要としていなかった。アイリスがいつも同じ答えを返し、同じように笑うだけなのに皆、疑問に思わない。
だからアイリスは自分の感情を表す必要性を感じなくなった。ただ受け入れていれば皆が満足していた。そうして、段々と自分は人形のようだと思うようになった。
でも一方で人形のように振る舞うことに苦しさを感じていることに気付いた。
本当は何をしたいのか聞いてほしかった。ドレスも装飾品も自分で決めて、今日は何をするのか、どこへ行くのか、自由に決めて行動したい。心の底ではそう思うようになった。
けれど、思うだけで行動することが出来なかった。
だって、愛してくれなくなるかもしれない。
それが怖かった。
頭が痛い。ガンガンと頭の中で音が鳴り響き、音に合わせるように皆の顔が次々と浮かんでは消える。 誰も彼もが偽りの顔を仮面のように貼り付けている。
父だと思っていた。母だと、兄だと、姉だと思っていた。あんなにも自分を愛してくれている者達が自分とは関係のない人間だったというのか。皆は知っていたのだろうか。アイリスだけが何も知らず生きてきたのだろうか。愛を示しているのだと思っていた言葉や行動がアイリスを隠すための嘘だったというのか。
(何を信じればいいの。)
「アネーロの侍女が赤子を連れてどこかに逃げたのだろうと思っていたけど場所の特定は出来なかったんだ。だが数日後、侍女は一人でアネーロの元に帰ってきた。まるで忠臣だよね。その時に侍女を捕らえたが赤子を連れていなかった。どこかに処分したのか、誰かに預けたのかがわからない。だから詳細を尋ねることにした。」
頭の中の音に気を取られていたが、ユーリの声に意識を戻され、はっとした。
(駄目だわ、今は考えないようにしなくては。)
「そんな忠臣みたいな侍女があんたにペラペラと事情を話したのか?」
ベルフェが敢えて口を挟むとユーリは気分を害した様子もなくフルフルと首を横に振った。
「それが、喋らせる前に自害してしまった。」
ユーリは至極残念そうに息を吐く。
「けれど、ふふっ。侍女が必死に隠そうとした事実をアネーロは簡単に喋ったんだ。誰との子かと問われて『悪魔との子だ』なんて正直に言ったそうだよ。まぁ、赤子の居場所は侍女が勝手に連れ出したようで何も知らなかったけどね。」
ユーリは軍服のポケットに手を入れ、複数の折りたたまれた羊皮紙をアイリスに差し出してきた。黄色く変色した古いもののようだ。見てごらんと言われ、アイリスは続く頭の痛みに顔を歪め、震える手でそれを受け取る。
頭が割れそうで吐き気もするが気を失うわけ訳にはいかなかった。
震えは止まらず、なんとか羊皮紙を開く。そこにはたくさんの魔法陣が描かれていた。
「アネーロが言うには悪魔召喚の魔法陣らしいよ。」
円環、五芒星、見たこともないはずの古代文字が羅列している。緻密な図だ。これをアネーロが描いたのか。
「興味のあるフリをして聞いたら嬉しそうにべらべらと喋ってくれたよ。この魔法陣を使用して悪魔を召喚するには生贄が必要でね。アネーロは何を用意したと思う?」
まただ。ユーリは答えを聞くつもりもないのにアイリスに問いを投げかける。頭が痛くてもう何も考えたくない、話を聞くのがやっとだというのに。
ユーリも相変わらず答えないアイリスに怒るわけでも不機嫌になるわけでもなく、話の続きを言いたくて勝手に続けている。
「アネーロが妊娠する少し前に私とカルミアの子供が行方不明になった。まだやっと歩き始めたばかりの女の子だ。消えた子供、悪魔を召喚し妊娠したというアネーロ。どうだい?線が繋がらないかい?
アネーロはそれすらペラペラと喋ってくれたよ。生贄をどうしたのかと問うたらあの女、何て言ったと思うかい?」
『丁度良い子供がいたから生贄に使ったわ。』
ユーリの顔から失笑がこぼれる。
「子供なら誰でも良かったんだ。私達の子でなくとも良かった。なのに丁度良いという理由で私達の子が選ばれ、私達は我が子を失った。」
ユーリがゆっくりとアイリスを指差す。
おぞましい物を見るように顔を歪めて。
「アネーロの腹の中から出てきたお前は、果たして人間なのだろうか。」
アイリスはとうとう、うっとえづき、口元を手で覆ったが我慢できずに吐き出してしまった。
胃が絞られるように痛いのに何も出てこない。空の胃から空気だけが吐き出される。
ユーリはえづくアイリスを一瞥するだけだ。
「カルミアは父に認められていなかったが、私達は幸せだった。子も産まれ、私の立場は兄のスペアのままだったが、それでも満たされていたのに。あの女が全てを奪った。我が子を失い、カルミアはおかしくなってしまった。」
「な、何故、アネーロ様はそのようなこを・・・。」
頭が痛い。早く意識を手放してしまいたかった。だが、聞かなければならない。この王子とまた会える保証はないのだから。
「アネーロが言うには悪魔と交わることで魔女になれると思っていたようだよ。その副産物がお前かな?」
意識を失いそうに青褪めているアイリスを見ても、ユーリは何の表情の変化もなくぼそりと呟く。
「アネーロは何になってしまったのか。私の子供はどこに消えてしまったのか。お前は何なのか。私はそれを知りたくてお前をここに連れてきたんだ。」
(あぁ、駄目だわ。もうもたない。)
ひとしきりえづいたアイリスの意識はとうとう途切れ真っ暗になった。
その中で最後に聞こえた言葉がいつまでも頭の中でこだましていた。
『化け物め』
ユーリが言ったのか、自分がそう心の内で言ったのか、走馬灯のように見えたユージュや家族が言ったのかはわからなかった。




