12.アイリス
いつの間にか外は薄ら青くなっていた。もうすぐ日も昇るのだろう。
ドートンは執務室で1人タバコを咥えていた。執事に酒も用意させたがそちらは減ることもなく溶けた氷がグラスを濡らしている。
情報が多過ぎて眠ることもできず頭の中はぐちゃぐちゃだった。
とりあえずアンテと赤子を執事にまかせ休ませた。
姉からの手紙が途絶えていたことには気付いていた。だが、父の急逝や家督を継いだこと、結婚に出産とドートンの周囲はいつも落ち着いておらず、つい目を背けてしまっていた。
『魔女になれたらいいのに』
そう呟いた姉の顔が頭から離れなかった。
「本当に魔女になれると思ったのか。」
アンテの話からはアネーロが妊娠した以外は変わったことはなかったそうだ。もちろん魔女のように魔法を使うこともなかった。だが、アネーロは悪魔の子を妊娠したと思っている。
産まれた赤子の容姿がアネーロとそっくりなため、父親の特徴がまったくわからない。まさか本当に悪魔との子ではなかろう。悪魔など、この世には存在しない。アンテという侍女も1日中張り付いている訳ではないだろうから、隙をついて城内で誰かと密会でもしていたのか。
やっと最近、周囲が落ち着いてきたと思ったらとんでもない案件が転がり込んできた。
姉は悪魔召喚のために第2王子と愛妾の子供に手を掛けたのか、誰との子供を産んだのか、そして連れだされた赤子は今、ドートンの屋敷の中にいる。
「頭の痛いことだ。」
ドートンは何本目かもわからないタバコに火を点けた。煙を深く吸い込み、嫌悪する気持ちと共に吐き出す。
ゆらゆらと揺れる煙の中に姉の姿を見た。記憶の中の幼さの残る美しい姉。10年だ。10年も経っている。ドートンもすっかり成人した。貴族の役目を果たすため嫁いでいった姉。幸せを願ったが姉は幸せの外にいるようだ。心を病み、幼い頃からの憧れを今も胸に抱いている。
もっと早く気付いていられたらと後悔の念に襲われたが、気付いたところで姉は他国の王子妃だ。どちらにしろ、たいした事はできなかっただろう。
アンテによると赤子を連れ出したことはアンテの独断であり、アネーロは知らないとのことだった。
「私が戻ってからどうにか致します。」
「戻るつもりなのか?」
ドートンは驚いた。てっきり赤子と共に保護を求めていると思ったが。
「私はアネーロ様の侍女です。私がいなくなればあの方は今度こそ、一人になってしまいますから。」
赤子を抱く手が震えている。不安だろうにアンテは一生をアネーロの傍にいると決めているようだった。
ドートンは不要と判断すれば容赦なく切り捨てる心持ちで生きてきた。実際に切り捨ててきたものはたくさんある。怨みも買っているだろう。だが、そうしないとこの公爵家は守れなかったと思っている。
アネーロの子供は公爵家にとっては、まさしく不要なものだ。下手をしたらドートンだけではなく、公爵家にも害が及ぶ。
迷うことなく、切り捨てるべき案件だ。
チリリン。いつの間にか日が昇り、空がすっかり明るくなった頃、ベルを鳴らして執事を呼び出す。執事がドアをノックして入室し、一礼する。
「マリーを呼んでくれ。至急で話がある。」
妻のマリーはまだ寝ているだろう。可哀そうだが執事に起こすよう指示をだした。
「とりあえず、私の浮気ではないことを弁明しなければならないな。」
未だに疑いの眼差しを向ける執事にも、姉の子供であることは伏せて説明しなければならない。
まぁ、昔から仕えている老齢の執事にはあの赤子の容姿からある程度は勘づいているかもしれないが忠誠心の強い男だ。ドートンが言わないのに直接尋ねることはしないだろう。
妻のマリーは心根は優しいが浮気は絶対許さない。浮気をすればドートンも浮気相手も刺して自分も死んでやると見合いの席で言ってのけた強者だ。突然、赤子を見せられたら発狂されるだろうことが予想できた。刺される前に説明し、納得させなければならない。
「三つ子にもう1人妹ができるな。」
屋敷が賑やかになりそうだとドートンはなんとも言えないため息をつき、すっかり氷が溶けて薄くなったウィスキーをぐっと飲み干した。
応接間に沈黙が流れる。
ごくりと唾を呑む音がやけに響く。
(アイリスがドートン公爵の姉の子供・・・。)
何も言葉が出ないユージュを前にドートンは姉の文箱を見つめている。
「私は赤子にアイリスと名前を付け、自分の娘として育てることにしました。だが、アイリスをあまり外には出したくなかった。敵がいるのか、いないのかすらわかりませんでしたから。だから溺愛しているということにして屋敷の中で大切に育てた。まぁ、殿下に見つかってしまいましたが。」
ドートンは苦笑する。
「殿下は国王までも巻き込んでアイリスと結婚したいとそれはもう熱烈に申し込んでくださいましたね。私は悩みました。アイリスの正体は妻にすら言っていない、私だけの秘密でしたから。」
妻のマリーには感謝しかない。どこの誰ともわからない赤子を本当の我が子のように愛し、育ててくれた。
「私は悪魔との子などという話は信じておりませんでした。城の誰かとの子供だろうと。ですが、アネーロの血は半分入っているのでデジール公爵家の娘としても問題ないと思い、殿下との婚約を了承したのですが・・・。」
「なんだ。まだこれ以上何かあるのか。」
ユージュは情報量の多さに考えを放棄したくなった。だが、ドートンの口は新たな情報を吐き出そうとしている。
「殿下は知らないかもしれませんが、アイリスは動物に大層好かれるのです。」
「・・・それがどうしたのだ。動物に好かれる傾向のある者はいくらでもいるだろう?」
今までの話と何の関係があるのか。娘自慢でもあるまいに。やけに深刻そうな顔する公爵にユージュは怪訝な顔をして答えた。
「猫や犬程度でしたらそうでしょうが、アイリスは獣にも好かれます。狼でも獅子にでも。」
そのような者、私は聞いたことがないとドートンが言う。それにはユージュも同意見だった。
「それはどういうことだ。」
「殿下との婚約が成った後、アイリスからの希望で婚約祝いとして屋敷にサーカスを招いたことがあるのですが、サーカスに出る動物達が調教師がいくら指示をしても従わず、アイリスの元に寄ってきました。
その時は獲物としてアイリスを認識して寄ってきているのかと思いましたがアイリスが獅子の檻に飛び込みましてね。あの時は死んだと思いましたが、慌てて駆けつけると獅子の腕の中で顔を嘗められて毛づくろいされていましたよ。」
ふふふとドートンは思い出して笑っている。
「獅子の方がアイリスから離れたがらず、離すのに苦労しました。なにせ、私達には牙を向いてくるので。」
ドートンは文箱の中から1枚の羊皮紙を取り出し、ユージュに渡してきた。
古く、黄ばんだものだ。4つ折りに畳まれている羊皮紙を破れないように慎重に開く。
そこにはいくつもの図が書き込まれていた。円環が重なり、三角や四角、五芒星とよくわからない古代文字や規則性のない螺旋や直線。何の図案だろうか。失敗したのか、上からぐしゃぐしゃと筆で殴り書きされている。
「これは?」
ドートンは紅茶のカップを口に運んでいる。口に付ける直前で止まり、ユージュを見つめた。
「悪魔召喚の魔法陣ですよ。」
ドートンは少しコップを下げてさらりと告げると再びカップを持ち上げコクリと紅茶を飲み込んだ。
ユージュは信じられない気持ちで羊皮紙をもう一度見つめた。
「殿下は魔女の性質、特徴をご存知でしょうか?」
「魔女?悪魔ではなく?いや。知らないが。」
ドートンは普通はそうでしょうねと苦笑する。まるで自分もそうだったようだ。
「まぁ、色々ありますが・・・・。魔女は動物を使役するようですよ。」
侍女の話を聞いてから、姉が魔女になりたいと呟いたあの場面を頻繁に思い出すようになった。文箱の中に見つけた図が何なのかを侍女に問うと、アネーロが描いた悪魔召喚の魔法陣の失敗したものだと言う。
侍女はお呪い程度に思っていたようだが、ドートンはどうにも気になり悪魔や魔女のことを調べていた。そうして、動物に好かれるアイリスを見て思い出した。
「姉は悪魔と交わり魔女になったと言ったが、侍女はその傾向はなかったと言いました。そこで考えられることが一つ。」
カチャリとソーサーにコップが置かれる音がやけに大きく部屋に響く。
「・・・・魔女になったのはアイリスではないでしょうか。」
ドートンは真っすぐにユージュを見つめる。
ドートン中に長らくあった疑念。誰にも話さず心の内に秘めてきた疑念を今初めて口に出した。
そんな馬鹿なと否定して欲しいのか、同調して欲しいのか、最早わからない。だが、吐き出すことの安堵感を確かに感じていた。
そして聞かなければと思っていたことも口から溢れてしまう。
「殿下。アイリスが魔女だとしても、あなたはあの子を愛せますか。」
カチャリという音が幻聴のようにユージュの頭の中でいつまでも響いていた。




