11.アネーロの願い
アンテはガヨ国の子爵家の次女として生を受けた。跡継ぎは男と決まっており、女はどこかに嫁がねばならない中、アンテは一人でも生きていけるように城勤めを選んだ。
侍女として数年働いたのち、隣国のウィステリア国より公爵家の令嬢が第2王子に嫁がれるとの報せを聞き、その令嬢の傍仕えの侍女に立候補した。貴族マナーは問題もなく年齢も近いことから無事に傍仕えの侍女に合格し、輿入れの日を楽しみに待っていたが一つ不安なことがあった。
ガヨ国王家の第2王子は女癖が悪いことで有名だった。外面は大変良く、国民からも人気のある方だが城内では貴族令嬢や侍女にまで手を出し、ただれている生活の様子をよく目撃していた。
(結婚されて女癖の悪さが収まるといいのだけれど。)
誰しもがそう思ってデジール公爵家の令嬢をお迎えした。
アンテは初めてアネーロの姿を見たとき、なんて美しいのだろうと思った。
ピンクブロンドのさらさらとした絹糸のような髪、シトリンのような美しい瞳、熟れた果実のようにぷっくりとした唇。洗練された所作。おとぎ話のお姫様のようだと女ながらにしばらくの時間見惚れてしまった。
(こんな美しい方にお仕えできるなんて幸せだわ。)
アネーロは性格もとても穏やかでアンテにも優しかった。物語を読むことを好み、室内で過ごすことが多かったが式典などの衆目の場では堂々とした立ち姿で社交もこなしていた。
夫である第2王子も美しいアネーロを気に入った様子で女癖の悪さは鳴りを潜め、外面の良さを遺憾なく発揮していた。アンテから見るアネーロも幸せそうだった。
そんな二人の雰囲気が違ったものになったのはいつの頃だったか。
もともと女癖の悪い王子に大人しいアネーロは物足りなくなったようだった。美しくとも飽きてしまったらしく、以前のように女癖の悪さを見せ始めた。二人の間には子ができず、それが更に王子の女癖の悪さを助長した。アネーロはますます部屋に閉じこもるようになり、やがて社交の場にも現れなくなった。
王子は愛妾のところに入り浸り、やがてパーティなどにもその愛妾を連れ出すようになった。
アネーロは何も言わなかった。時折泣きながら手紙を書いては出すこともなく破り捨てていたことにアンテは気付いていた。
部屋の掃除をしている時、その手紙の破片を見つけたこともある。そこには実家に帰りたい。ドートンに会いたいとも書かれていた。
そんな日々が数年続いた。部屋の中に閉じこもるアネーロの世界は常に物語の中にあった。
特に大好きだと言っていた魔女のでてくるような物語や伝承の本を読み漁っていた。
気付けば第2王子と愛妾の間には子供も産まれ、城の中でも世間の中でもアネーロの存在は忘れられていた。
それでもアンテはアネーロの傍に残った。一人、また一人と侍女が去り、誰も訪れなくなってもアンテは心を病んでしまったアネーロを支えていた。
そんなある日、城の中で事件が起こった。第2王子と愛妾の子供が行方不明になったのだ。
愛妾との子供のため、大々的には探せないが城内では騒ぎとなり、アネーロの部屋にも捜索の手が伸びた。
室内を検められたがもちろん何も見つからなかった。その後も見つかったとの話は聞かず、アネーロとアンテの日々は変わらなかった。
そんなある日、アネーロが久しぶりに笑顔を見せてアンテを呼んだ。
「どうなさいました?」
呼ばれることも久々だ。アンテは嬉しくなった。
「ねぇ、アンテ。秘密よ。あなただけに教えてあげるわ。」
うふふとアネーロが無邪気に笑う。こんな顔、初めて見たとアンテは驚いた。
アネーロはアンテを手招きして顔を近付けさせ、耳元でこっそりと打ち明ける。
「私、魔女になるの。」
少女のように無邪気にアネーロは笑う。
アンテはすっと自分の体温が下がるのを感じた。
(アネーロ様は心を病んでいたけど、とうとうここまでになってしまったのね。)
確かにアネーロは魔女の物語が好きで、魔女に憧れているようだった。だけど、この世に魔女は存在しない。そんな伝承程度の存在にアネーロは縋ってしまうほど追い詰められていたのか。
「・・・・まぁ、それは怖い。アネーロ様、私をネズミに変えたりはしないでくださいませね。」
アンテはアネーロの妄言を否定することなく話を合わせておどけてみせた。
アネーロはおかしそうにクスクスと笑う。
「そんなことはしないわ。アンテは私の大切な侍女だもの。」
ふとアネーロが窓を見る。窓の外には隣国ウィステリア国に続く山脈が見えていた。
「アネーロ様は魔女になってどうなされるのですか?」
なぜ、そんなことを聞いてしまったのか。そんなことを聞いても叶うことはないのに。
アネーロは窓の外に見える山脈を見たまましばらく考えた。
「・・・そうね。魔女になったらどうしようかしら。」
結局、どうするのかは答えないままアネーロは外の景色を見続けていた。
アネーロが魔女になったと発言してから数カ月が経った。魔女になったと言い始めた時は故郷を思い出していたのか少し食欲が落ちて眠りがちだったが、1カ月もすると元通りの生活ができるようになった。
魔女の話もあれから言い出すこともなく、変わらない生活を過ごしていたが、アンテはひとつ気になることがあった。
アネーロに月の物がきていない。体調を崩していたためその影響もあるかと思っていたが3カ月、4カ月と経っても月の物はこなかった。さらにアネーロのドレスのサイズ、特にウエスト周りが合わなくなってきていた。顔や手足のサイズは変わらないのに腹部だけがふっくらとしてきている。
アンテはまるで子を孕んだ女のようだと思った。だが、その考えはすぐに否定した。そんな訳がない。アネーロはこの部屋から出ていないし誰も訪れていない。いつもアンテと二人で過ごしているのだから。
子が一人では孕めないことくらいアンテも知っている。病気だろうか、医師に相談すべきかと考えたが、なかなか行動に踏み出せないでいた。
それからもアネーロの体調は変わらず、むしろ食欲が増えたことがアンテの不安を駆り立てる。
さらに2月程経って、とうとう決定的なことが起こった。
「ねぇ、アンテ。なんだかお腹が変なの。中に何かがいるみたでポコポコとするわ。」
アネーロの腹部は以前の2倍程に膨らんでいた。ドレスのウエスト周りはもともと調節できるようになっている造りだがそれでは追いつかず、アンテが糸を解いて縫い直して着ていた。
アンテは恐る恐るアネーロの腹部に手を置いた。しばらく経つとぽこりと何かが腹を蹴った。
アンテの悪い予感が確定的なものになった瞬間だった。血の気が引くアンテとは真逆にアネーロはポコポコと動く自分の腹に手を当て面白がっている。
「アネーロ様、これはやはり・・・。」
言わなければならない。アネーロは理解していない。
「・・・お腹にお子が宿っているのでは?」
アンテの言葉にアネーロははて?と首を傾げる。
「子供?私のお腹に子供がいるの?」
「はい。私は医師ではないのではっきりとは申し上げられませんが恐らく子がいると思われます。」
「・・・そう・・・子供ができたの。」
アネーロがどう反応するのか。
「んふ。ふふふふ。・・・子供が私のお腹に・・・ふふふふ。」
なにが可笑しいのかアネーロは笑いだす。正気を失ってしまったのかとアンテは青褪めた。
「ふふふ・・・では、出産の準備をしなくては。」
ひとしきり笑うと、至極当たり前のようにアネーロは言った。その表情は喜びに満ちている。
アネーロの言葉と表情にアンテは怖気が走った。
アネーロはまだあまり膨らんでいない自分の腹部を愛おしそうに撫でる。
「男の子かしら、女の子かしら。」
「アッ、アネーロ様!子供が宿っているのですよ?驚かれないのですか?」
アネーロは口元に人差し指を当て、秘密事をする時のようにしーっと息を吐いた。
「そうなったらいいなと思っていたわ。」
「それは・・・どういう・・・?」意味ですかと問う前にアネーロの口が開いた。
「だって私は悪魔と交わったのだもの。」
ふふふとアネーロは秘密を言ってしまったわと無邪気に笑う。
「だって以前言ったでしょう?魔女になったと。」
言った。言ったが妄想の話だと思っていた。
「どうやって・・・。」
「悪魔と交われば魔女になることができるわ。」
では、悪魔と交わり子を宿したというのか。
「悪魔はどうやって呼びだしたのですか。」
アネーロは答えない。
ただ微笑んでアンテを見ている。
アンテは自分の頭の中を探った。
悪魔を召喚する方法・・・召喚する方法・・・・
アネーロは魔女に関する本をよく読んでおり、時折アンテにも話して聞かせてくれていた。
思い出せ・・・思い出せ・・・
掌に汗をかく。アンテは必死に記憶を探った。
そして、ある1つの方法に思い至った。
まさか・・・・そんなことが・・・・
アンテは込み上がる吐き気に溜まらず口元を抑えた。
ダッと走り、手洗い用の容器に顔を突っ込む。うぇっと嘔吐したが唾液しか出なかった。
「アンテ?大丈夫?」
少し離れたソファーに腰掛けたままアネーロが心配そうに声を掛ける。
「・・・はい。」
アンテは続く吐き気に胸を押さえ、やっとのことで返事をした。
悪魔を召喚する方法の1つに生贄を捧げるというものがある。
数カ月前に第2王子と愛妾の子供が行方不明になった事件があった。子供はまだ見つかっておらず、捜索も打ち切りになったと聞いた。
(生贄は若ければ若いほど良いと聞いたことがある。まさか・・・まさか・・・)
消えた子供、悪魔を召喚し交わったと言うアンテ。これらが繋がってしまった。
口元をハンカチで拭き、震える足でアネーロの元に戻る。
アネーロは変わらずいつものように穏やかな顔でお腹を撫でている。
怖い。本当かどうか確かめる術がないことが余計に恐怖を駆り立てる。
アンテはそれ以上アネーロに何も聞くことができなかった。
お腹を撫で、楽しそうなアネーロとは反対にアンテは1人取り残されたような気持ちになっていた。
「アネーロ様は心を病んでおられました。私はアネーロ様が言ったことは何もかもが妄想だと信じたかった。ですが日々、アネーロ様のお腹は膨らんでいきました。」
アンテが赤子を撫でながらポツリポツリと話を続ける。その顔は助けを求めることができずに一人耐えた疲労が滲んでいた。
ドートンは口を挟むことなくアンテと赤子を見ている。視線を感じたアンテは赤子に視線を固定し、あともう少しでこの話が終わると心の内で自分を励ました。
アンテは子を孕んだアネーロのことを結局誰にも言う事ができなかった。悪魔と交わり子供を孕んだなどと誰が信じてくれるだろうか。
信じてくれずとも子を孕んだことで不義であることは間違いない。知られればアネーロも腹の子もアンテも処刑されるだろう。
アンテは一人覚悟を決めるしかなかった。アネーロも自分も助かる道はこれしかなかった。
「産気づいたアネーロ様からこの子を取り上げたのは私でございます。出産は何の問題もなく驚くほどに安全でございました。しかし、あのまま赤子がいたのでは早々に周囲に知られてしまいます。」
赤子の泣き声はよく響く、泣けばすぐに知られてしまうのを恐れたアンテは赤子を誰かに託すことにした。だが、アンテの実家は頼れない。今や第2王子の寵愛を失ってしまったアネーロの見方をしたところで危険しかないからだ。
「もう、これはアネーロ様の御実家を頼る他ないと思い、この子を連れてこちらまで辿り着いたという次第でございます。」
アンテが赤子を抱えたまま一緒に持っていた荷物袋の中から見覚えのない黒塗りの文箱を取り出してテーブルの上に置いた。
「これは?」
「アネーロ様の文箱です。」
アンテが鍵も一緒に差し出す。
「その中にはアネーロ様の思い出の品が詰まっております。その中に弟君からの手紙も弟君に向けた手紙もございました。出すことができなかったようですが大切にとっておられました。私はその手紙に書かれた情報を元にこちらになんとか辿り着いたのでございます。」
どうか、と、アンテは深く頭を下げる。
「公爵様、この子をお助けください。もうあなた様にしか頼るお方がいないのです。アネーロ様のお子をどうか、どうかお救いください。」
眠り続ける赤子の頬に頭を下げたアンテの涙が1つ、2つと零れ落ちる。
赤子はそれに気付くことなく、乳を飲む夢でも見ているのか口をもぐもぐと動かし、すやすやと眠り続けていた。




