10.婚約者の真実
ドートンの姉、アネーロは昔から物語を読むことが好きだった。特に魔女が登場する物語を好み、伝承から創作物まで幅広く読んでいた。
趣味と言えば読書くらいなものでアネーロはごく普通の令嬢だった。デジール公爵家の長子として生まれたが女だったため、弟であるドートンが産まれてからは後継の心配もなくなり、どこかに嫁げばよいということで父親の興味も失せていた。アネーロは期待も失望もされることなく静かに過ごしていた。
当時のデジール公爵当主であるドートンとアネーロの父親はアネーロの嫁ぎ先に隣国を候補に挙げた。
隣国とは十数年前まではいつ戦争が起こってもおかしくないほど緊張した状態だったが、この数年は両国王が歩み寄りの姿勢を見せていたため、交易も多少は行っていた。さらに、ガヨ国の王女がウィステリア国に嫁いできたこともあり、両国の関係は今までになく落ち着きをみせていた。
そこでアネーロの父親は娘をガヨ国王家に嫁がせることでさらなる関係の安定とともに新たな交易の拡大を図れないかと考えた。
アネーロはデビュタントを終えていたが、高位貴族にしては珍しくまだ婚約者の決定をしていなかった。父親の思惑を正しく理解していたアネーロは会ったこともないガヨ国の第2王子との婚姻を了承した。
隣国に嫁いでしまえばもう会うこともなくなる。12歳のドートンは父親に無理を言って姉の輿入れに随行させてもらうことになった。
道中では同じ馬車で過ごし、たくさんの話を姉とした。ドートンは姉がこの婚姻に対してどのように思っているのか聞けないまま、最後となる時間をできるだけ笑って過ごしたいと昔話に花を咲かせた。
姉も婚姻のことには特に触れることもなく笑顔で過ごしていた。
3日間ほどの時間をかけて、いよいよ隣国へと到着する直前、揺れる馬車の中で姉がふとこぼした。
「ねぇ、ドートン。魔女って本当にいるのかしら?」
姉の視線は窓の外の景色に固定されたままだ。遠くを見つめながら呟く姉はドートンの返事を待つことなく口を開く。
「魔女になれたらいいのに・・・。」
無表情に小さく呟く様を見て、何故かドートンは一言も話すことができなかった。遠くを見つめる目は果たしてその先の景色を捉えているのだろうか。姉はもっと先の見えない何かを見つめているような気がした。
ヒヤリと首に冷たい風が当たったような気がしてドートンはぶるりと震える。
隣国のガヨ国にはたくさんの魔女の逸話が残されていると聞く。姉は大好きな魔女の物語がたくさん見つかるといいわねと婚姻が決まった時に話していたのを思い出した。
姉は今、何を考えているのか。ドートンは何故か怖くて聞くことができなかった。
やがて一行は隣国との国境に到着した。ドートンが付き添えるのはここまでだ。
姉もガヨ国からの迎えの馬車に乗り換え王城まで向かう。
「姉様。どうか体には気を付けて、無理はしないでください。姉様ならきっとガヨ国の新たな光となりましょう。何かあればいつでも駆けつけます。どうか、、、どうか、私のことを忘れないでください。」
最後の言葉が本音だった。ドートンは寂しかった。できることなら姉とまだ過ごしていたかった。
もちろん姉の幸せも願っているが、自分のことも忘れないでほしかった。
美しい涙を流しながらアネーロは笑った。両手を広げドートンを抱きしめる。
「ありがとうドートン。私もあなたの幸せを願っています。決して忘れないわ。」
去っていく一行の後ろ姿をドートンはいつまでも見つめた。幸せを願う気持ちと寂しさと、同じくらいの不安。
魔女になりたいなどと言ったことを思い出さないくらい幸せに過ごしてほしいと、そう切に思った。
アネーロが嫁いでからというものの、隣国からは特に何の情報もなく姉からは時折状況を報告する程度の簡易な手紙のやり取りをしていただけだった。それもここ数年やり取りが止まっており、ドートンも貴族学校入学、卒業をして次期公爵として父に仕事を習っていたところ父が病気で急逝した。
あっという間のことにデジール家は揺らいだ。ドートンは若くして家督を継ぐ羽目となり、当主として死に物狂いで働いた。やがて妻を迎えて産まれた子供はまさかの三つ子で更に日々は瞬く間に過ぎていった。そうして過ごすうちに、姉のことを思い出す回数も自然と減っていった。
アネーロが嫁いで10年と少し経った頃にデジール公爵家に突然の訪問者がやってきた。
夜中、ドートンが寝室で休んでいるとコンコンとドアを叩く音で目が覚めた。
「どうした?」
返事をすると執事が申し訳なさそうに入室した。
「夜分遅くに申し訳ございません。旦那様にお目通りをしたいとの申し込みでございます。」
「こんな夜分にか?」
執事が言いにくそうに口を開く。
「それが、その・・・女性なのですが着ているものを見るにガヨ国の者のようでございます。」
「ガヨ国?」
一番に頭によぎるのはガヨ国に嫁いだ姉のアネーロのことだ。
さらに執事は言いにくそうに告げる。
「それと、その女性ですが赤子を連れておりまして。女性が言うには旦那様に関係のある赤子だと申しておりますが。」
いかがいたしましょうと、執事の言葉がどんどん尻すぼみになっていく。どうやらドートンの隠し子かなにかだと思っているようだ。大変失礼である。ドートンは妻一筋なので、もちろん身に覚えはない。
「会おう。客間に通せ。」
え、会うのかと執事は一瞬驚いた様子であったが、すぐに平常時の顔に戻ると、承知しましたと扉を閉めた。
「姉上の関係か、それとも別件か。」
ここしばらくは姉のことをほとんど思い出すこともなかった。手紙のやり取りも途絶えていたが隣国から王家に何かあったようなことは聞いておらず、恙なく過ごしているのだろうと思っていたが。
(姉上のことでないといいのだが。)
ドートンの胸に不安が広がる。パジャマで会う訳にはいかないので着替えて客室へと急ぐ。
ノックをして中に入ると女が一人ソファーに座っていた。ドートンに気付いた女が急いで立ち上がり礼をとる。女はガヨ国の庶民の服装を着ており、急いで来たためか一つくくりにされた髪の毛は乱れ、服は薄汚れていた。よく見るとその腕の中にはしっかりとおくるみに包まれた赤子が眠っていた。
女が礼をとったまま動かないためドートンは座るように指示をだす。
所作が綺麗だ。どこかの令嬢だろうか。
ドートンもソファーに座ったところで女が話を始めた。
「突然の来訪、申し訳ございません。」
「よい。ドートン・デジールだ。見るからにガヨ国の者のようだが当家に何の御用か。」
「デジール公爵家当主のドートン様でいらっしゃいますか?」
いきなり当主が来るとは思っていなかったのだろう。女が驚いてドートンを見る。
ドートンがそうだと頷くと女がほろりと涙を流した。
「では、あなた様がアネーロ様の弟御様なのですね。」
(あぁ、やはり姉上のことだったか。)
嫌な予感が当たってしまった。女はほっとしたようで肩の力を抜いて眠る赤子をチラリと見てからドートンを見た。
「私はアネーロ様に仕える侍女でアンテと申します。ここに参りましたのはこの子の保護をお願いしたいからでございます。」
ドートンが赤子を見るとアンテは赤子を包んでいたおくるみを剝がし始めた。赤子は余程眠いのか少しむずがったが起きる様子はなかった。
アンテが赤子の頭にかかるおくるみを剥がすと、そこには懐かしいピンクブロンドのふわふわとした髪の毛が現れた。
「その髪の色・・・。」
ひどく懐かしい色だ。赤子は眠っているため目の色は確認できないが、まさか。
「今は見ることは叶いませんが瞳の色はシトリンのような黄金色でございます。」
アンテが優しく赤子の頭を撫でる。些細な刺激は気にならないようで赤子は眠り続けている。
「まさか、姉の子か。」
ドートンは信じられないとアンテを見る。
「はい。まさしくアネーロ様がお産みになったお子様にございます。」
アンテは断言するがドートンは信じられなかった。何故なら隣国の第2王子に嫁ぎ、今やアネーロ王女と呼ばれる立場で子供を出産したのなら隣国とは言えどもここ、ウィステリアにも一報が届くはずだ。
なのにアネーロの実家であるデジール家にも何も報せが届いていない。姉が嫁いで10年だ。一向に出産の知らせは届かず、ドートンが口をだすことでもないため手紙でもそういう内容には触れないようにしていた。10年経っての初めての子供。目出度い話のはずなのになぜ、その子供がここに隠れるようにしているのだ。
「何があった。」
みすぼらしい庶民の恰好をした侍女がたった一人で、王家の子供を母親の実家まで隠れるようにして連れてきて保護をして欲しいと願い出る。姉にとってよくない状況であることが明白だった。
ドートンは続きを話すようにアンテを促す。
アンテは一つ息をついてアネーロがガヨ国に嫁いでからの10年を話し始めた。




