場外乱闘② 歪で甘い竜の二人
リスティナは大きく一度その翼を羽ばたかせ、朝靄の中で首を回した。
「リス、僕からやったほうがいい?」
「いや、初手はこっちでやる。ドワーフの指揮官は絵的な派手さが欲しいらしい」
傍らに控えていた人型のファフナーにそう言うと、リスティナは目の前をジッと見つめた。
――野営地には…動的目標が百以下。静的目標が無数。攻撃態勢にある者は皆無か。
その眼は、霧の中を見つめつつ、しかし映している光景は全く別のものであった。
眼球のすぐ前に展開した魔法陣により、光の屈折率を調整し、光源を増幅。霧の中であってもその先の映像をある程度は把握できるようになっていた。
もともとは、主戦場を砂漠とする竜人が蜃気楼や陽炎で不明瞭になる視界をなんとかするためのものであったが、それにリスティナ個人がある程度の改良を加えて霧にも対応できるようにしたのがこの魔法だ。
――視力そのものをあげる魔法もあることにはあったが…。
網膜だの角膜だの虹彩だので専門知識が少々面倒くさい上、体への負担が重く、最悪失明するため易々とは使えない。
――まあ、今は…。
人を殺せる魔法があればいい。
フラーレスからリスティナ、ファフナーのコンビに託された任務は一つ。眠りこけてる相手を叩き起こし、左右にほどよく壊走させろ、だ。
二人が立っているのは野営地のある崖の向かって正面。やや離れたそこは、恐らく敵の側からは全く見えていない。
リスティナは、その身に自身の甲殻以外の衣服・鎧をつけていない。しっとりと朝霧に硬い甲殻が湿り気を持ち、彼女の豊満な胸やくびれた腰、筋骨隆々とした手足や腹筋をしなやかに、艶っぽく見せる。
本来であれば、実家である北アフリカ竜人連合においてきた伝説級の防具や武具を取りに帰るべきだったが、まあそこまでの必要は今回ないだろうという判断と、この後もしかしたら邪魔になるかもしれないという危惧からの防具放棄だった。
何に邪魔になるのか、とかは置いておいて、
――ふう。
一息ついた後、霧の中に向かって仁王立ちをする。正面遠くには野営地がある。
――やるか。
霧の先を見つめ、集中を左右に開いた両手に宿す。
――効率だけを考えるなら、ありったけの魔力を込めたエネルギー弾で周囲一帯を消し炭にするのが一番手っ取り速いが…。
それだと、救出目標の少女すら殺す可能性があるし、国土が損傷したとかで神聖ローマのどこかの領主から実家に苦情が行くかもしれない。なるべく厄介ごとは避けたいものだ。
では、リスティナの選択する攻撃手段とは何か。
――空間流体に対し、一定方向の加速度ベクトルを常にかけ続ける…。
両の手の平の上で、魔力を力に変換。それを空気へと加えていき、緩やかな大気の流れを作っていく。
――発生した運動事象の規模を徐々に増大させていく。
力を掛ければ掛けるほど、その空気の対流は激しいものになり、やがて手の上で起こっていた小さな風の流れは自分の身の丈ほどのつむじ風となる。
――もっと、もっと大きく。
そして、その風の集合体は、大きさをさらに、さらに大きくさせていく。遠目から見れば、リスティナの両隣に二つの小さな竜巻が停滞しているように見えるだろう。
流れを激しくしていく空気に、周りの木々から落ち葉が舞い上がって竜巻に吸い込まれ、風圧に押されたファフナーが風でなびく服を抑え、転ばないようにと腰を低くした。
「ちょっと、リス。僕もいるんだからほどほどにしてよ!」
わかってる、とリスティナは小さく呟いた後、二つの竜巻を手と一緒に頭上に持っていく。
すると、砂埃や枯葉を巻き込んだ二つの竜巻が、ゆっくりと融合し、倍の大きさの一つの竜巻――否、なおも成長を続ける巨大な空気の渦へと変貌した。
その光景は、ある種の終末を表しているかのように見えるものだった。
一対の翼、尻尾、鱗の肌――人外の姿をした女性から、天空に向かってとてつもなく巨大な竜巻が伸びていく。
この状況だけを第三者が見るのであれば、リスティナの姿は世界に終焉をもたらす悪魔か邪神のように見えるだろう。
――『派手さ』は十分備わっている、あのドワーフの要望は満たせた。
至極冷静な顔をして、リスティナは目を瞑る。
――発動。
そして、天上に掲げた両手をゆっくりと前へ下ろした。
リスティナの手から離れた竜巻は、轟音と地響きを撒き散らし、朝霧を蹴散らして真っ直ぐに進んでいく。移動に時間はかかるだろうが、十分もせず野営地に到達するだろう。
ただの竜巻であれば、至近距離にいた発動者であるリスティナとファフナーに被害が及んだだろうが、それもリスティナが張っておいた魔力による防護壁で防いでいる。
――…つまらない。
圧倒的な強さを持って取るに足らぬ雑魚共を蹴散らす。
仮にも武人であるリスティナに、それはあまりにも退屈な作業であった。
――やるのなら、全身全霊をもって相対し、全力でぶつかりあえる強者でなければ。
これが終わった後、ハイルディかドラコと模擬戦でもやろうか、とため息をつく。
「おつかれ、リス。僕、別にいなくてもよかったかもね」
中途半端に燃え上がった闘争本能に鬱憤をためていたところで、ファフナーの声が現実へと意識を引き戻す。
――…。
リスティナはじっくりとファフナーの格好を上から下に眺めた。
黒い髪に、華奢で少年的な印象の顔。細い首。何の色気もない革で出来た鎧と服の間の服装に身を包み、背中からは小さめの黒い翼が生えている。足はその細さを浮き上がらせ、ともすると少女であるかのように錯覚させる。
「…? リス、どうしたの? 僕に何かついてる?」
少し眺めすぎたのだろう。ファフナーはワタワタと自分の体を確認しはじめた。
その姿は、あまりにも滑稽で愛らしく――
――襲いたくなるな。
ざ、と一気にリスティナはファフナーとの間に空いていた二メートルほどの距離を詰めた。
「え、なに、リス――?」
そして、すぐそばまで迫ったファフナーの後頭部に自分の左手を回し、自分の眼前にまで近づけ、
「や、リス、やめ、まだっ…!」
唇を奪った。
自分よりも背の低いファフナーは、突然のことに抗おうと体をジタバタさせるが、右手でギュウと抱きしめることによってそれを封じる。
唇を撫でるだけのキスだったのは最初だけで、その次の瞬間には相手の口内へと自分の舌を侵入させ、蹂躙する。
舌をまさぐり、歯の裏を舐めあげ、くちゃくちゃと絡まった涎が淫らに音を立てる。
「ん、や…だ…」
腕の中のファフナーはこちらの胸を押して離れようとするが、本来の体でないドラゴンが、魔法で準備運動の終わった『末裔』に力で敵うはずもない。
抵抗と抗議の呻きが、やがて喘ぎの混じった興奮の吐息に変わるにつれ、ファフナーは体から力を抜き、諦めたように身をまかせてくる。
舐めとれなかった涎が頤を伝って地面へとこぼれる。鼻頭にあたる相手の息が気持ちいい。
「ン、ハアッ…!」
数分間のキスを終え、堪えかねたようにファフナーが唇を離す。ふ、と熱い息が漏れ、興奮をくすぐる。
「ちょっと、リス、いきなり僕になにを…」
「俺とお前、二人きりだ。『僕』なんて言うのはやめろ」
少し拗ねたようにリスティナが言うと、ファフナーは紅潮させた顔を綻ばせ、
「――私だって、いろいろ我慢してるんだからね」
それでいい、と笑顔で呟いたリスティナの口を塞ぐようにして、今度はファフナーから唇を重ねる。
優しい、何かを確かめるようなキス。
口を離し、少しの間見つめあうと、途端にファフナーは悲しそうな顔をする。
「…私、もっと堂々といちゃつきたい…」
「思っていても言わなかったことを…」
はあ、とため息をついたあとリスティナはファフナーの頭を撫でる。
「そうしたいのは俺も同じだ。しかし、守るべき体面というものもある」
二人が、お互いに性別の外側と内側が違うということに気づいたのは、比較的二人が幼いころの話だった。
ファフナーについてはあまり問題はなかった。竜の姿そのままでは雌雄の差は殆どなく、人間でいう生理にあたる産卵も、十四歳では始まっていなくて当然である。雄の体であったことに気づいたのは、ファフナーの所属していた群れでは一人もいなかった。人型になれるのが他の同世代よりも早かったため、比較対象が周りにおらず、自分の股についているものにも何の違和感も覚えなかった。ただそういうものだと認識していた。自分の体が男で、心は女だと明確にわかったのはリスティナと出会い、そして恋に落ちるまでの過程の中であった。
問題はリスティナの方だった。
武力でもって共同体を率いるべき竜人連合にとって、男性的を通り越して『俺様』的なリスティナの強引さは歓迎されたし、また、変身能力を持つ『変わり者』や、両性具有の魔女など、性別が曖昧な種族と関係の深い竜人にとって、性別に問題があることは大して問題はない。だが、まがりなりにも次代の国王、ひいては種族全体を率いる長である(余談だが、この世界において必ず男が王位を継ぐべきという思想はない。それよりも、生まれ順や魔力量の大きさが影響する)。そこに、戦闘力には影響がないとはいえ精神に少しの異常があるとなれば傘下の諸部族からの信頼にかかわる。故に、リスティナの内情は徹底して隠された。
問題が表面化したのは、リスティナが思春期を迎えた頃である。
王族として伴侶、婿を迎えるべきリスティナのもとに周辺部族や貴族、軍部、遠縁の王族まで、様々な関係者から見合い・結婚の話が持ち上がってきた。無論、その縁談の相手は男である。それは、男の心を持つリスティナにとって到底受け入れられるべきものではなかった。
見合い話を断り続けて一年。リスティナがシチリアへ友好部族との軍事教練に出かけるタイミングが合った。当然、その時の夜会にはリスティナと親交を深めたいその土地の有力者たちがこぞってアプローチを掛けてくる。
連日の口説き文句に辟易したリスティナは、教練の休日にシチリアの山間部、ドラゴンの生息地へと出かけた。鬱憤晴らしにドラゴンと喧嘩でもしようか、という乱暴な理由である。
そして、そこで一人と一匹が出会うこととなる。
出会った瞬間に、互いの体を、熱とも電流とも欲情とも言えぬ、何かの熱さが駆け巡った。
それは、一目惚れなどという甘い言葉で表せるのではなかった。二人の魂が強制的に共鳴しあい、惹かれ合い、否応なしに結びついてしまうような、そんな魔性の愛だった。
そこから数時間の記憶は、二人には曖昧にしか残っていない。
自分達の心の奥底から溢れ出てくる肉欲にまかせ、竜の姿で、人の姿で混じり合った。獣と土の臭いが、二人が初めて交わった洞窟の中を満たし、まどろみと気怠さの混じった快楽が二人を包みこんでいた。
本来なら忌むべき同性の生殖器を、進んで受け入れ、異形・異生物とも言える姿形の違いの相手と結ばれる。異常ともいえる行動の中で、しかし二人の愛は確かに結ばれた。
――…実家の秘密書庫に、それらしい書物を見つけたが…。
その古い記録によれば、伝説ともいえるほど昔の時代、竜人と竜は魂の共鳴し合う者同士で文字通り一心同体で戦い、地上を跋扈していた悪しき魔物たちと戦っていたらしい。
その魂の共鳴が、何かの因果によって強制されたものなのか、信頼や結びつきで偶発的に発生するものなのかはわからない。だが、
――今、俺とファフィがここにいて、そして愛し合えるという状況があるだけで満足だ。
ふ、と臭いセリフを心の中で思い、リスティナは自分の腕の中のファフナーをギュウと抱きしめた。自分の豊満な胸は戦いにおいて邪魔以外の何物でもないが、ファフナーの熱や感触を顕著に伝えてくれるところだけは良いところだ。
背の低いファフナーは、リスティナの胸に顔をうずめながら目線をあげてリスティナの顔をじ、と見つめる。
「私も、こんな胸欲しいなぁ…」
「来期に、確か肉体改造系魔法を含む授業を受講できただろう。その時に本格的に性転換のことを考えような」
前知識から察するに、一時的に姿を変えるだけの魔法だろうが、性交渉ぐらいはそれぞれ本来の性別でやってみたい。十分受講する価値はあるだろう。
拗ねたように伏し目がちになるファフナーが可愛らしく、黒い髪をよしよしと撫でた。
――…ちょっと、ヤバいな。
戦闘で高まった興奮に、可愛いファフナーがあまりにも挑発的な振る舞いをする所為で、我慢するのが厳しい。ああ、尻を振るな。撫でまわしたくなる。いや、撫でまわさない理由がないな。
小さい尻に手を伸ばすと、ん、と高くてそそる嬌声がファフナーの口から漏れでる。
――今日はこれから、お外で昼間から楽しむとするかな。
クールに保ったはずの唇が、緩みかけるのをなんとか堪える。リスティナの内面としては、英雄色を好むの言葉の通り、かなりのスケベ爺なおっさんだ。
頬を赤らめ、期待の表情で目を閉じたファフナーを押し倒そうとして、
「ガオアアアァァァァ!!」
遠くから響いた獣の叫びに、雰囲気も昂ぶりも全て吹き飛ばされた。
チ、と舌打ちし、その雄叫びが聞こえてきた方向、野営地の方を見る。
そこには、数匹の竜が空中を飛行し、今まさにこちらに向かってきている光景があった。数分もしたら接敵する距離だろう。
――なるほど。敵の司令官はなかなかに優秀なようだ。
早朝の奇襲、部隊はほぼ半壊というのに、こちらに少々いちゃつく時間も与えず即応部隊を派遣してきた。ある程度のカリスマ性か、統率力を持っているのだろう。
――だが。
こちらにむかってきているドラゴンたちの体長は、十メートルから十五メートルの間。竜型のファフナーの半分程度の大きさということになる。
「うるせぇコバエどもが。数だけ揃えたな」
ファフナーだけでも互角に渡り合える戦力比であり、リスティナが本気を出せば圧倒できる。
それならば、だ。
「課題で作った魔法の試運転と、アレを実戦で試してみたい。いいか?」
「うん。リスの準備がいいならね」
よしよし、ともう一度ファフナーの頭を撫で、ハグをやめる。
二人で顔を見合わせたあと、襲い来るドラゴン達の方をまた見る。
背中には各一人ずつ乗り手を乗せ、色は緑。竜甲冑は頭部と胸部のみ。粗暴的な軍隊ではよく見る装備だ。戦術クラスは軽竜兵だろう。
楽勝、と呟き、空を見上げる。
「竜落としを始めようか」
一応、オネショタという扱いなのかな…?




