第二十章・前 それは緩慢で幸せな
魔法学院の中庭に照りつける太陽の熱を、その中心に存在する噴水の湧き讃える水が中和する。
小さな運動場ほどの大きさの中庭に立っていたのは、男女各一人。魔法使いと少女だ。
少女は集中した視線を目の前の宙に浮く水玉に向け、魔法使いはにこやかにそれを見守る。
「力の方向をイメージしてみて。自分から真っ直ぐに送り出す感じ」
「こう…ですか?」
魔法使いの落ち着いた声を受け、少女は『物体浮遊』の魔法で浮かせた小さな水玉を動かす。
常なら、授業の声か、騒ぐ初等部の子供達の声が聞こえるはずの学院に、しかし今日は穏やかな静けさがあるのみ。
「…あっ」
ふ、と集中の途切れた少女の水玉が、離散して地面に落ちた。
「すみません、失敗してしまいました…」
「ううん、初めてにしては上出来だよ」
少し残念そうにした少女の頭をヨシヨシと撫でる。
「休憩、しよっか。根を詰めてもしょうがないしね」
「そうですね、折角の休みなんですし」
魔法使いが近くにあったベンチに座り、手招きされた少女は少し遅れてその隣にちょこんと座る。
横に置いてあった鞄から魔法使いが取り出した水筒を、会釈した少女が受け取り、その中の水を小口に飲む。少し果実の味がするレモン水だ。
世界を支配しているのは、静寂と調和。そしてそれらが生み出す優しい幸福感だけ。
「夏、だね」
「夏、ですね」
学院は夏休みの真っ只中にあった。
学院の日程は、春・夏の前期と秋・冬の後期で、半年区切りにつけられている。
一期に最高三つの講義を受講し、その修了過程を以て単位取得となる。約三年掛けて、講義に割り振られた単位を一定数獲得することで、次の学部に進めるようになる。
取れる講義が制限されているのは、その分を校外活動に活かして欲しい、という思いと、リスティナに代表される、生徒でありながらどこかの要職につき、既に何かしらの役目を持っている者への配慮だ。
修了認定は講義によって様々だが、多くは筆記・実技試験だ。成績不振者の救済処置として、前後期ともに長期休暇明けの一週間がそのテスト期間となっている。つまり、「頭悪うても、休み中にしこたま努力すりゃええんやで? 頑張れるよなワレ」ということだ。
――もっとも、俺の授業は課題提出型だから、焦るようなことはないんだけどね。
魔法使いは中庭の、屋根に切り取られた四角い空を見上げてため息。
魔法使いの授業、つまり魔法応用学特別クラスは、レポートとしてそれまでの授業でしてきた魔法の開発がそのまま単位になる。
心配なのは、自分の生徒が取っている他の講義だが、
――リットはもう一年分の勉強は終わってるだろうし、リスティナは卒なくこなしてる。問題なのはファフナーぐらいか。
他の生徒も、難がありそうなのは少ない。夏休み中に自分が勉強を見てやればなんとかなる程度だ。自覚がある連中は図書館で自学もしているだろう。ただ、
――…この子はどうするかな。
傍らで水筒の蓋を閉める少女を一瞥する。
もともと、自分の目の届く範囲に置いておく、という目的で少女を自分のクラスに編入させた。授業の内容を難しくしたつもりはないし、殆ど実技だから難しくしようもない。
が、編入後に彼女が『古代語が読める『末裔』の一員のくせして魔法の初歩も知らないどころか使ったこともない』とかいう非常識な存在ということが判り、魔法の基本から教えることになった。
今でこそ魔法の腕は他の生徒と比べて遜色ない程度にはなった。上達速度で言えば驚異的と言えるだろう。だが、彼女の研究課題、つまり新しい魔法の開発はほぼ白紙状態と言っても過言ではない。今までの授業では、リットの補助や基本的な魔法が及ぼす作用の確認しか行えていない。
――別に、俺が適当にレポートを誤魔化しても良いんだけど…。
学院長に少々口聞きが必要で、借りを作ることになるが、些細な問題だ。最悪、リットとの共同研究ということにしてもいい。しかし、
「次はもっと出来るよう頑張りますね!」
「うん、その調子。最終的には気体制御まで出来れば最高だね」
――この子がやる気なんだよな。
少女は、綺麗な笑顔で頷いたあと、ブツブツと呟きながら難しい顔をする。理論の確認をしているんだろう。
――せっかくやる気になってるんだから、それを挫いちゃダメだよね。
先月の中頃にそれとなく「単位誤魔化そうか」と提案したのだが、ショボン、という擬態語が付きそうなぐらい落ち込んで、泣きそうになっていた。
――負けず嫌いの上に自信家で、その癖子供っぽい。
ああもう、と内心ニヤけながら少女の頭を撫でた。
――ホント可愛いな、こいつ。
いきなり撫でられ、困惑しながらも少女は嬉そうにはにかむ。その仕草も自分の加虐心を擽るようで、愛しいことこの上ない。
――まあ、あと一ヶ月で何とか出来ないこともないから良いんだけど。
最終手段として一週間寝ずに取り組めばどうにかなるだろう。
「お昼はどうしましょうか」
ふと気付いたように少女が問いかけてきた。
「学食で済ませてもいいけど、休み中はメニューが貧相になるからなー。専門店街で食べ歩いた方が楽しいし、そっちにしよっか」
そう答えると、少女は戸惑った風な顔をする。
「あの…私が作った方が、節約にもなりますし、えっと…」
――答え間違えたな、これは。
自分は『どうする?』を『どこで食べる?』で受け取ったが、彼女の『どうする?』は『何を作ろうか?』という意味だったらしい。
――手料理でも嬉しいし、どっちでもいいんだけど…
「ううん。せっかくなんだから食べに行こう。いつも作らせてばっかりじゃ悪いからね」
適当な店を頭に中でチョイスしておく。そこそこ洒落てて、かつこの子が気負わなくて良い店で、値段もお手頃…『リブール』か『アドリアーナ』あたりがいい。
「でも、やっぱり…」
「変更は無しだよ。これでも一応、君の主人なんだから、こういう時は従って欲しいな」
そういうと、彼女は困りつつも笑顔を見せる。
「じゃあ、そうと決まれば午前中にある程度練習しとかないとね。その方がお腹も減るし」
はい、と元気な声がしたのを聞いて、ベンチから立ち上がる。
く、とノビをすれば空からの日光が眩しい。
少女の方を振り向いて、よし、と気持ちを切り替える。
「さあ、次のステップに進もうか」
更新できないつもりでいたのに出来ちゃったよおい。
この作品、更新は遅いのに展開が早いせいで日常パートが殆どない。そのため、主人公とヒロインのやり取りが驚くほど少ない。ああもっとお互いが惚れるに至る展開を丁寧に書きたかったなあ…




