第8話:極上の試作と、路地裏の噂
「うーん……やっぱり、お水の雑味が全然違うよ、ひと姉!」
翌日の早朝。『カフェ・シンラ』の厨房で、三葉が淹れたてのハーブティーを一口含み、目を見開いて声を上げた。
昨日ダンジョンの水場から命がけで持ち帰った『ミズタマリ草』の純水と、丁寧に傷口を処理して摘み取った『グリーンハーブ』。
そのふたつを組み合わせて淹れた温かい一杯からは、ミントに似た爽やかな香りと、果実のようなほのかな甘みが立ち上っていた。
「本当ね……。お水が変わるだけで、こんなにハーブの香りが引き立つなんて思わなかったわ」
一葉がカップに手を添え、愛おしそうに湯気を吸い込む。
「ふふ、二人とも! 私が焼いた特製ビスケットも一緒に食べてみてよ!」
二葉が焼きたてのトレーをカウンターに並べた。昨日手に入れた新鮮なハーブの茎を細かく刻み、バターたっぷりの生地に練り込んだ香ばしいビスケットだ。
サクッ、と心地よい音を立てて口の中で解けると、ハーブの清涼感とバターのコクが絶妙なバランスで広がる。
「美味しい! これなら、お店の新しい看板メニューとして自信を持って出せるね」
三葉が手帳に『ミズタマリハーブティーと自家製ハーブビスケットのセット』とペンで書き加える。
「よし! じゃあ、今日の開店からさっそくメニューに加えてみよう!」
二葉が腕まくりをしてエプロンの紐をキュッと結び直すと、三人はいつもの手慣れた手つきで店内の清掃と開店準備を進めた。
午前十時。『カフェ・シンラ』のドアに取り付けられた真鍮のベルが、カランコロンと涼やかな音を鳴らした。
「いらっしゃいませ、『カフェ・シンラ』へようこそ」
一葉がいつもの柔らかい笑みで迎えると、入ってきたのは近所に住む老婦人のマリアだった。
「あら、一葉ちゃん。おはよう。今日もいつものブレンドコーヒーを……あら?」
マリアがカウンターの黒板に書かれた新しいメニューに目を留めた。
「『本日のおすすめ:採れたてハーブティーと自家製ビスケットのセット』……新メニューを始めたの?」
「はい! 今朝仕入れたばかりのフレッシュなハーブと、特別なお水で淹れた自慢の一杯です。よろしければいかがですか?」
「まあ、それならいただこうかしら」
マリアが窓際の小さなテーブル席につき、一葉が丁寧にハーブティーを注ぐ。
澄み切ったエメラルドグリーンの液体が透明なグラスに注がれると、ふわっと爽やかな香りが店内に広がった。
「まあ……なんていい香りなのかしら」
マリアが少し驚いたように目を丸くし、カップを両手で包み込んで一口含んだ。
次の瞬間、マリアの手がぴたりと止まった。
喉を通り抜ける爽快感と、全身の細胞にしみわたるような優しい温かさ。
長年の農作業で痛んでいた肩の重荷が、まるで朝露が蒸発するようにすーっと軽く消えていく感覚に、彼女は息を呑んだ。
「これ……本当にただのハーブティーなの……? なんだか、体がとっても軽くなるような……」
「ハーブの薬効成分がしっかり抽出できるように、温度と仕込みに少しだけ気を配ってみたんです。お口に合いましたか?」
一葉が微笑む。
「合わないどころか……こんなに美味しいお茶、人生で初めていただいたわ! ビスケットとの相性も抜群ね!」
マリアは感動した様子で何度も頷きながら、あっという間にカップを空にしてしまった。
午後になると、マリアの口コミを聞きつけた近所の住民たちが、一人、また一人と店を訪れ始めた。
「マリアさんから聞いたんだけど、すごく体調が良くなる美味しいハーブティーがあるって?」
「うちの旦那も最近疲れが溜まってるから、テイクアウトできるなら買って帰りたいんだけど!」
「はい、喜んで! お持ち帰り用の瓶もご用意してあります!」
二葉が元気に注文を聞き、三葉が手際よくハーブを計量し、一葉が正確な温度でお茶を淹れていく。
狭い厨房の中での三人の動きには、一切の無駄がない。
長年のカフェ経営で培われた呼吸は、どんなに注文が重なっても乱れることがなかった。
そして夕方。噂を聞きつけた人物がもう一人、店の扉をくぐった。
カランコロン。
「噂の新メニューっていうのは、ここ……って、あら?」
店に入ってきたのは、つばの広い帽子をかぶった小柄な女性だった。
深緑色の高級なローブを身に纏い、腰には小さな細工用の短剣を挿している。
彼女は店内を見回すと、カウンターの奥にいる一葉たちを見て驚いたように目を細めた。
「あなたたち……冒険者ギルドでFランク登録をしたっていう『生活魔法使い』の三姉弟ね?」
「あ……はい。森羅一葉と申します。お客様、ご注文はお決まりですか?」
一葉が礼儀正しくお辞儀をすると、女性は帽子を少し持ち上げ、鋭い目つきでカウンターの上のハーブティーセットを見つめた。
「私は王立薬草研究所に勤めている、エレノアと申します。ギルドの素材買い取り窓口で『極上のハーブが持ち込まれた』って噂を聞いてね。まさかと思って来てみたけれど……」
エレノアは窓際の席に腰を下ろすと、出されたハーブティーをじっと観察した。
透明度の高い液体、沈殿物ひとつない美しい仕上がり、そして何より漂う香りの純度。
(……おかしいわ。グリーンハーブの抽出液は、時間が経つとすぐに酸化して苦味が出るはず。それに、この水……魔導具を使ってもこれほどの純水を作るのは困難なはずよ)
エレノアは半信半疑のまま、カップを口に運んだ。
一口飲んだ瞬間、彼女の脳裏に激痛のような衝撃が走った。
「〜〜〜〜〜〜っ!?」
エレノアは思わず立ち上がりそうになり、慌てて口元を押さえた。
口の中に広がるのは、ハーブ本来の瑞々しい風味と、完璧なバランスの甘み。しかし何より恐ろしいのは、体内に流れ込んできた魔力の「純度」だった。
一般的に、薬草から抽出された魔力には微小な不純物が混ざり、体内に取り込む際に若干の負荷がかかる。
だが、このハーブティーに含まれる魔力は、完全にろ過され、なおかつ最も活性化した状態で固定されている。
(傷口を一切作らずに摘み取られ、不純物を極限まで取り除いた水で抽出され、なおかつ一番美味しい状態のまま魔力が『保持』されている……!?)
エレノアの手がかすかに震えた。
「お嬢さん……これ、本当にあなたたちが淹れたの?」
「はい。今朝、ダンジョンで仕入れてきたハーブと水を使って淹れました。お口に合いませんでしたか?」
一葉が心配そうに尋ねると、エレノアは深く息を吐き出し、ゆっくりと首を振った。
「いいえ……逆よ。恐ろしいほど美味しいわ。王宮の御用達になっている宮廷茶葉ですら、この一杯には遥かに及ばない」
エレノアはカップをそっとテーブルに置くと、真剣な眼差しで三姉弟を見つめた。
「あなたたち、自分たちが何を作っているのか分かっているの? このハーブティーは、ただのお茶じゃないわ。上効の高級ポーションに匹敵する疲労回復効果と、魔力回復効果を持っているのよ」
「えっ……? ポーション……?」
二葉と三葉が顔を見合わせる。
「僕たちはただ、美味しいお茶をお客さんに飲んでもらいたくて、いつも通りお店の仕込みの魔法を使っただけなんですけど……」
三葉が困惑したように言うと、エレノアは頭を抱えて溜め息をついた。
「『いつも通り』でこれが作れたら、国中の調合師が泣くわよ……。まあいいわ。素晴らしいお茶をいただいたお礼に、ひとつアドバイスをしてあげる」
エレノアは金貨を一枚、テーブルに置いた。
「このハーブティーの噂は、すぐに街中に広まるわ。そうなれば、質の悪い冒険者や商人が押し寄せてくるかもしれない。自分の身と、この素晴らしいお店を守る準備をしておきなさい」
「アドバイス、ありがとうございます。でも、私たちはこれからも変わらず、美味しいお茶とお菓子を作っていくだけです」
一葉が温かい笑みを返すと、エレノアは少し呆れたような、けれどどこか嬉しそうな苦笑いを浮かべて店を後にした。
夜、店を閉めた後の『カフェ・シンラ』。
「ふぅ……今日の新メニューは大盛況だったね、ひと姉!」
二葉が売上金を数えながら、満足そうに笑う。
「ええ、喜んでくださるお客様の顔が見れて本当によかったわ」
「エレノアさんっていう人、変なこと言ってたね。ポーションと同じ効果があるなんて……僕たちはただ、道具やハーブの良さをそのまま活かしただけなのに」
三葉が器具を洗いながら首をかしげる。
「ふふ、まあいいじゃない。お客様が元気になってくれたなら、それが一番だもの」
一葉が窓の外の夜空を見上げた。
自分たちの使っている魔法が、周囲からどう見られているのかは分からない。
けれど、大好きなこのお店で、三人で力を合わせて美味しいものを作り続けること。
それが、森羅家の三姉弟にとってのすべてだった。
路地裏の小さな喫茶店から始まった静かな波紋は、三人の知らぬ間に、王都全体へと少しずつ広がり始めていた。
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