第73話:賑わう店内に響く、秘伝の焼き菓子
鉱山跡地での騒動から数日が過ぎ、街にはいつもの穏やかな日常が戻っていた。
カフェ『グリーン・リーフ』の店内には心地よい熱気と香ばしい匂いが立ち込め、訪れる客たちに憩いのひとときを提供している。
「はぁーっ、今日も大繁盛だねぇ!」
二葉がトレイを片手に、ほっと息をついた。
「そうだね。お茶やスープの注文が一気に増えているよ。仕込みの量も少し見直さないとね」
カウンター越しに羊皮紙へペンを走らせていた末っ子の三葉が、手元から顔を上げて微笑む。
「ふふっ、三葉は相変わらずしっかり者ね。じゃあ、私はスープの下ごしらえを始めておくわね」
長女の一葉がエプロンの紐を結び直し、厨房へと向かった。
厨房では、母親の葉が大きなお鍋で特製のスープを煮込んでおり、父親の一二三は香ばしい匂いを漂わせながら焼き菓子の生地を捏ねていた。
「お父さん、今日の焼き菓子はいつものクッキーじゃないの?」
一葉が尋ねると、一二三は嬉しそうに目元を和ませた。
「ああ、新作だよ。昔、僕が修業時代に教わった『シナモンとクルミのタルト』を作ってみようと思ってね。温かい紅茶と一緒に食べると、疲れが吹き飛んで心が和むんだ」
「わぁ、美味しそう! お父さんの作るタルト、私大好き!」
匂いにつられて厨房へ覗き込んできた二葉が、目を輝かせる。
「まだ焼く前だよ、二葉。でも、出来上がったら真っ先にみんなで試食してみようね」
一二三が優しく笑うと、二葉と三葉も顔を見合わせて嬉しそうに頷いた。
そんな穏やかな時間が流れていた店内だったが、お昼過ぎ、カランコロンとドアのベルが鳴り、一人の身なりの良い男が入ってきた。
仕立ての良さそうな上着を着ているが、その表情はどこか固く、上から目線な雰囲気を隠しきれていない。
「いらっしゃいませ! お好きなお席へどうぞ!」
二葉が元気に声をかけたが、男は店内を品定めするように見回すと、カウンターへ歩み寄ってきた。
「君がこの店の店主か?」
男は一二三に向かって、胸ポケットから一枚の名刺を取り出した。
「私は王都で大手の高級菓子店『ローズ・バウム』の支配人を務めておる、マルセルと申します」
「『ローズ・バウム』さんですか。王都でも有名なお店ですね。本日はどのようなご用件でしょうか?」
一二三は静かに礼を払い、穏やかに問いかけた。
マルセルと名乗った男は、フンと鼻を鳴らすと、カウンターの上にずっしりと重そうな革袋を叩きつけた。ジャラリと金属の重厚な音が響く。
「単刀直入に申し上げよう。先日、王都の貴族たちの間で、この店で出されているハーブティーとスコーン、それから秘伝のタルトの噂を耳にしてね。わざわざこんな地方の小さなカフェまで足を運んだのだ」
「当店の料理を気に留めていただき、光栄です」
「挨拶はいい。私が欲しいのは、君が作っている料理や菓子の『レシピ』と、特製ハーブの『仕入れルート』だ。この革袋には金貨百枚が入っている。しがない個人店の一生分の儲けよりは遥かに多額のはずだ。これと引き換えに、レシピの権利をすべて我が社に譲渡してほしい」
高圧的な提案に、店内にいた常連客たちがざわめき立った。
二葉が即座に眉をひそめ、前に出ようとする。
「なっ……! 何言ってるのよ、このおじさん! 私たちのお店の大切な味を買い取るだって!?」
「二葉、待ちなさい」
一葉が二葉の腕をそっと制したが、その瞳にも強い怒りの色が宿っていた。
マルセルは二葉を一瞥し、ニヤリと嫌味な笑みを浮かべた。
「ふん、子供には分からんかもしれんが、これが『ビジネス』というものだ。こんな辺境の小さな店で細々と売るよりも、王都の我が店で最高級品として売り出した方が、世のためにもなる。それに……断るとなれば、分かっているだろうな?」
「……と、おっしゃいますと?」
一二三の声から、すっと温もりが消え、静かな重みが宿った。
「我が『ローズ・バウム』は、王都の多くの商業ギルドや流通ルートに強い影響力を持っている。もしこの提案を突っぱねるというなら……明日からこの店への食材やハーブの仕入れがどうなるか、保障はできんぞ? 職人なら、現実的な判断をすることだな」
露骨な脅し文句だった。権力と資金力を笠に着て、小さな個人店を押し潰そうとする身勝手なやり口。
二葉が悔しそうに拳を握りしめ、三葉も冷ややかな視線をマルセルに浴びせる。
しかし、一二三は慌てる様子もなく、ゆっくりと首を横に振った。
「お申し出ですが……お断りさせていただきます」
「何……! 金が足りんとでも言うのか!?」
「いいえ、お金の問題ではありません」
一二三はカウンターの革袋をそっとマルセル側へ押し戻した。
「僕たちの料理やハーブティーは、この街の人々や、疲れて帰ってくる冒険者のみなさんにホッとしていただくために作っているものです。誰かに買い占めさせたり、特定の権力者のためだけに作るつもりはありません。レシピはお売りできません」
「くッ……愚かな! 後悔しても知らんぞ! この店を潰すことなど、私にとっては造作もないこと――」
マルセルが憤慨して声を荒らげた、その時だった。
「ほう……私の行きつけのカフェを潰すだと? それは聞き捨てならんな」
重厚で落ち着いた声が店内に響き渡り、入口の扉が開いた。
入ってきたのは、上質なコートを身にまとった厳格な老紳士――王都冒険者ギルド本部の最高幹部、レオンハルト卿だった。さらにその背後には、街の商業ギルドの代表を務める重鎮の姿もあった。
「れ、レオンハルト卿……!? なぜこのような場所に……!?」
マルセルの顔色が一瞬で蒼白に変わった。
「たまたま休日に、美味しいお茶とスープをいただきに来たのだが……まさか王都の商人が、脅迫まがいの手段で店舗を荒らそうとしている現場に居合わせるとはな」
レオンハルト卿は冷徹な視線をマルセルに向けた。
「さらに、商業ギルドの代表も同行しておられる。マルセル殿、君が今口にした『仕入れルートの妨害』だが……それは商業ギルドの規約における『不当な市場独占および脅迫行為』に該当するが、分かって言っているのかね?」
商業ギルドの代表が前に出ると、厳しい表情で告げた。
「マルセル殿。『ローズ・バウム』のやり口には以前から不穏な噂があったが、まさか当街の誇るBランク冒険者の拠点に対し、そのような横暴を働こうとは。直ちに王都の本部へ連絡し、貴店の取引資格の全般見直しを請求させていただきます」
「な……ッ!? ざ、不当介入だ! 私はただ商談を――!」
「見苦しいぞ。出て行きなさい」
レオンハルト卿が一言冷たく言い放つと、マルセルはぐうの音も出ず、崩れ落ちるようにして脱兎のごとく店から逃げ出していった。
「ふん! また威張りんぼうが撃退されたね! ざまあみろ!」
二葉が胸をすかせて拳を突き上げると、店内からは客たちから大きな拍手と歓声が沸き起こった。
「レオンハルト卿、商業ギルド長、助けていただき本当にありがとうございました」
一葉が深くお礼を述べると、レオンハルト卿は先ほどまでの厳格な表情を崩し、優しく目を細めた。
「気にすることはないよ、一葉君。私たちはただ、正しい努力をしている人々を守っただけだ。……それより一二三殿、とても良い香りがしているが、新作かな?」
「ええ、シナモンとクルミのタルトです。ちょうど焼き上がったところですよ。みなさんで召し上がってください」
焼きたてのタルトがテーブルに運ばれると、店内は香ばしい甘い香りで満たされた。
「うわぁ……美味しい! 外はサクサクで、中はしっとりしてて……お父さん、最高だよ!」
三葉が一口食べて目を輝かせると、一二三は嬉しそうに三葉の頭を撫でた。
「みんなで囲む食卓が、一番のご馳走だからね」
理不尽な圧力を退け、温かな絆で結ばれた『グリーン・リーフ』。
穏やかな日常の中で、三姉弟と両親の笑顔は、温かく店内に満ちていくのだった。
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