第67話:世界樹の社と、大樹の護り人
高慢なBランクパーティが撤退したのち、一葉たちは吹雪の強まる石段をひたすら登り続けた。
標高が高くなるにつれて冷気は刃のように肌を刺したが、三人の足取りは不思議なほど軽かった。
一葉の胸元にあるペンダントとポケットの中の結晶石が、共鳴するように心地よい温もりを放ち、周囲の苛烈な吹雪を穏やかに和らげているからだった。
「ひと姉、あそこ! 吹雪の奥に何か大きな建物が見えるよ!」
二葉が前方を指さした。
吹雪の幕がふっと途切れた先、山頂付近の巨大な雪原の中央に、白銀の木々と古代の石造建築が融合した神聖な社が佇んでいた。
社の背後には、天を覆うほどの巨大な幹——『世界樹』の巨大な根の一部が、地表へと力強く脈打つように露出している。
「ここが……『世界樹の社』だね」
三葉が呼吸を整えながら、周囲の空気を探る。
「下界の目詰まりとは比べものにならないほど、重厚な魔力が渦巻いているよ。だけど、不快な濁りじゃない。ただ、巡りが完全に止まりかけていて、息苦しさを感じるな」
三人が社の敷地へ足を踏み入れようとした、その時だった。
「止まれ、何者だ」
社の重厚な木門の陰から、静かだが静謐な威圧感を纏った一人の人物が姿を現した。
深い緑の外套を羽織り、背にはしなやかな弓を背負った青年だった。
その耳はわずかに先端が尖っており、透き通るような白銀の髪と凛とした佇まいを見せている。
青年が手にした弓に細い矢を番えると、鋭い視線で一葉たちを射抜いた。
「ここは人間が軽々しく立ち入る場所ではない。世界樹の『環状魔脈』が滞り、霊峰全体が変質している危険な刻だ。引き返しなさい」
「待ってください! 私たちは争いに来たのではありません!」
一葉が慌てることなく前へ踏み出た。
ポケットからあの透明な結晶石を取り出し、青年の前でそっと掲げてみせる。
「この結晶石と、白銀の印章が押された手紙に導かれてここへ来ました。私たちは『グリーン・リーフ』の冒険者……森羅一葉、二葉、三葉です」
結晶石が青年の視界に入った瞬間、青年の鋭い眼光に驚愕の色が走った。
「その結晶と印章……まさか、我が一族が各地の『調和の芽』を持つ者へ送った【招待の標】か……!?」
青年は番えていた矢を静かに収め、深々と息を吐いた。
「失礼した。私は『大樹の護り人』の一族、シルヴァンと申します。まさかこんなにも若い旅人が、招待に応えてこの霊峰を破綻させることなく登り切るとは思いませんでした」
「シルヴァンさん……!」
二葉が胸をなで下ろす。
「僕たちのことを手紙で呼んでくれたのは、シルヴァンさんの一族だったんだね」
三葉の問いに、シルヴァンは苦々しい表情で静かに頷いた。
「はい。ですが……状況は私たちが手紙を送った時よりも悪化してしまっています。世界樹の最深部、根の根底に蓄積した太古の『世界澱』が完全に固着し、大樹の呼吸を止めてしまいました。それにより、大陸全体の魔脈が逆流を起こし始めているのです」
シルヴァンは一葉たちの着衣や、二葉の木剣、三葉の手に残るかすかな魔力の残光を注意深く見つめた。
「あなた方の噂は兼ねてより聞き及んでいました。壊す術ではなく、繕い、保ち、解きほぐす『生活の術』を用いる者たちだと。ですが……相手は世界樹の根そのものを蝕む太古の澱みです。生半可な魔力では、呑み込まれて命を落とします」
「下界から来た高位の冒険者たちも、何パーティかここを通っていきましたが……みな強力な破壊魔法や力尽くの攻撃で根を傷つけ、余計に地脈を刺激して逃げ帰っていきました。力任せの破壊では、この澱みは決して払えません」
シルヴァンの言葉には、これまでの苦悩と一葉たちを案じる真摯な想いが込められていた。
「私たちは、力任せに壊すつもりはありません」
一葉は真っ直ぐにシルヴァンの目を見つめ返した。
「私たちは、世界を救うような大層なヒーローではありません。でも、この目詰まりのせいで、街の人たちが困ったり、森の生き物たちが苦しんだりしているのを見てきました。私たちが毎日積み重ねてきた魔法で綺麗にできるなら、やってみたいんです」
一葉の言葉に、二葉と三葉も頼もしく笑って頷いた。
「そうだよ! ここまで来たんだから、途中で帰るなんてナシ!」
「僕たちのチームワークなら、どんな頑固な目詰まりでも解きほぐしてみせます。日常の掃除や手入れと同じで、根気よく順番を追っていけば必ず通りますから」
シルヴァンは三人としばらく見つめ合い、やがてその口元に温かな微笑みを浮かべた。
「……素晴らしい眼差しだ。疑うような真似をして申し訳なかった。我が一族の誇りにかけて、あなた方を世界樹の最深部『根の回廊』へ案内いたしましょう」
シルヴァンが深く頭を下げ、社の奥へと続く巨大な門を開け放った。
門の先からは、温かくも重厚な、世界の深淵から響くような地鳴りの音が聞こえてくる。
回廊の壁面には巨大な幹の脈動がのぞき、黒く濁った魔力の膜がその血管のような根を覆っていた。
「ここが『根の回廊』の入り口です。この最深部に、大樹の循環を止めている最大の核が存在します」
「すごい魔力の密度……! でも、逃げ出す理由なんてないね」
二葉が木剣の帯を締め直す。
「うん。不純物の層がどれだけ厚くても、構造さえ理解できれば分解も保持も可能だよ」
三葉も落ち着いた手つきで周囲の魔力波長を観察し始めた。
一葉、二葉、三葉の三人は互いに顔を見合わせ、しっかりと頷き合うと、世界樹の根が眠る最後の試練の場へと一歩足を踏み入れ直した。
「行きましょう。世界の目詰まりを綺麗にして、みんなが元通り暮らせるように」
冷たい風と温かな地脈の鼓動が交錯する中、三人は静かに、そして力強く最深部へと進んでいった。
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