第65話:霊峰の麓と、守護者の残痕
関所を越えると木々の背は次第に低くなり、地面を覆う植生も冷気に強い頑丈な苔や低木へと変わっていた。
吹きつける風は刃のように冷たく、吐く息は真っ白に広がって空へ消えていく。
「寒っ……! 関所を過ぎてから、一気に季節が飛んだみたいだね」
二葉がマフラーに顔を埋め、身を縮めながら歩く。
「標高も相当上がっているし、なによりこのあたりの大気が帯びている魔力そのものが冷たいんだ。世界の北極天に近い証拠だよ」
三葉が息を弾ませながら、道なき岩場を踏みしめていく。
二人が見上げる視線の先には、雲を突き抜けるように聳え立つ巨大な白銀の山塊――『世界樹の霊峰』が圧倒的な存在感で鎮座していた。
山肌はどこまでも白く、頂付近は鬱然とした霊気が渦巻いていて、地上からはその全貌を窺い知ることもできない。
「あそこが……目的地なんだね」
一葉は立ち止まり、胸元のペンダントにそっと触れた。
手紙と一緒に封箱に入っていた透明な結晶石は、いまや手元で眩しいほどの緑の光を放ち、目の前に迫る山道をはっきりと照らし出している。
ペンダントの鼓動も、まるで故郷に帰ってきたかのように深く静かに響いていた。
「ひと姉、あそこに何かあるよ!」
先頭を進んでいた二葉が、岩陰を指さした。
山道へ入る手前、開けた岩場の広場に、巨大な石造りの門柱が倒れていた。
かつて参道を守っていた鳥居のような建造物らしく、表面には見覚えのある刻印――白銀の印章と同じ「一本の大樹と一双の葉」の図柄が深く刻まれている。
だが、その倒れた門柱の周囲は、異様な光景になっていた。
周囲の岩肌や頑丈な苔が、墨を流したように真っ黒く変質し、空間そのものが重く歪んでいる。
歪みの中心には、打ち捨てられた古い鎧のような金属片と、濁った魔力の塊が固着していた。
「これは……『大樹の護り人』の古跡だね」
三葉が崩れた石柱へ近づき、刻印の彫りを指先で撫でる。
「手紙を差出してきた彼らの先祖か、あるいはかつての守護者たちが使っていた防衛の拠点だったみたいだ。だけど、ここも地脈の目詰まりの影響を直撃しているよ」
「黒い煤みたいなのが、石柱の刻印にこびりついて離れないんだ……。なんだかすごく苦しそうな感じがする」
二葉が木剣の先で黒い煤に触れようとすると、ちりちりと不快な弾圧音が弾けた。
「触っちゃダメだよ、ふた姉。地脈から噴き出した不純魔力が、護り人たちの残した浄化の陣とぶつかり合って、そのまま固まっちゃってるんだ。無理に剥がそうとすると、残留している陣の魔力まで壊れてしまう」
三葉が状況を慎重に見極めながら一葉へ視線を送る。
「壊さずに、こびりついた不純物だけを浮かせないとダメだね」
「うん、分かった。私たちのやり方で、綺麗に洗い流そう」
一葉は大きく深呼吸をし、リュックから小さな水筒とハーブを抽出した特製の洗浄液を取り出した。
「二葉、石柱と残っている護符の構造が衝撃で壊れないように、根でやさしく覆って固定してくれる?」
「任せて! 【二生の根張】!」
二葉が木剣を地面に突きたてると、しなやかな緑の根が伸び、崩れた門柱と周囲の古い石造物を包み込むように這い回った。
グラついていた石組みがしっかりと繋ぎ止められ、外部からの衝撃に耐える強度を取り戻す。
「固定できたよ!」
「よし、次は僕だね。【三途の葉落】」
三葉が手をかざし、微細な分解波を石柱にこびりついた黒い煤へ注ぎ込んだ。
長年固着していた地脈の不純物と、守護陣の魔力構造が分子レベルで慎重に解きほぐされていく。
岩肌に粘りついていた黒紫色の汚れが、パラパラと乾いた黒い砂となって剥がれ落ちていった。
「不純物の浮かし処理、終わったよ! ひと姉!」
「うん。仕上げるね。【一輪の秒芽】」
一葉が特製のハーブ液を石柱へ注ぎながら、柔らかな緑の光を全体へと巡らせた。
分解された汚れがさらさらと洗い流され、固定の光が残された護符の陣を優しく包み込んでいく。
次の瞬間、石柱に刻まれた「一本の大樹と一双の葉」の紋様が、かすかな白銀の光を取り戻して静かに輝き始めた。
重苦しく歪んでいた周囲の空気が一瞬で澄み渡り、冷たくも心地よい霊峰の風が吹き抜けていく。
黒く枯れていた周囲の苔も、本来の瑞々しい緑色を取り戻し始めていた。
「すごい……! 門柱の光が復活したよ!」
二葉が声を弾ませる。
光を取り戻した石柱の奥から、山頂へと続く薄暗い石段がまっすぐに伸びているのが見えた。
まるで、本来の姿を取り戻したことで、参道が三人を迎え入れてくれたかのようだった。
「これで、霊峰への道が開けたね」
三葉が手帳に状況を書き留めながら、山頂を見上げる。
一葉はポケットの結晶石を取り出した。
石の光は力強く点滅し、石段の先にある霊峰の深部へと三人を導いている。
「この先には、世界の目詰まりの根本があるんだと思う」
一葉の言葉に、二葉と三葉も強く頷いた。
「 どんな頑固な汚れだって、サクサクお掃除しちゃうからね!」
「うん。さあ、登ろう」
冷たい風の中、三人はしっかりと足元を踏みしめ、白銀に輝く『世界樹の霊峰』の石段を登り始めた。
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