第64話:未開領域の境界と関所の影
宿場町エルムを後にして二日。
街道は急速に幅を狭め、踏み固められた土道から、岩と枯れ草が混ざり合う荒れ道へと姿を変えていた。
左右にそびえる針葉樹の森は一層深く濃くなり、日中でも木漏れ日すら届かない暗がりが広がっている。
「ここから先が、ギルドの地図でも『未開領域』に分類されているエリアだね」
三葉がリュックから取り出した羊皮紙の地図を指で叩く。
地図の北側半分は白紙になっており、ただ山脈の輪郭と「極北未開地」という古い文字が記されているだけだった。
「街道っていうより、ただの獣道みたいになっちゃってるね。馬車もここまでは入ってこられないわけだ」
二葉が足元のゴツゴツした岩を踏みしめながら、周囲の暗い森を見回す。
「風の匂いも変わってきたわ。冷たさの中に、何か古い金属と湿った土が混ざったような匂いがする……」
一葉が足を止め、鼻先をかすめる風を静かに感じ取る。
胸元のペンダントは、静かだが確かな温かさを保ったまま、北の空へと向かう三人の歩みに応えるようにかすかに明滅していた。
「見て、あそこに何か見えるよ」
二葉が指さした街道の先、崩れかけた石壁と錆びついた鉄格子が姿を現した。
かつて王国と北方の未開地を隔てていた古い関所の跡地だった。石造りのアーチは半ば崩落し、ツタや苔に覆われている。
しかし、関所の門をくぐろうとした瞬間、三人は特有の圧迫感を肌に感じた。
「……待って。門の周辺の空間、少し変だよ」
三葉が即座に足止めをかける。
「崩れているのに、古代の防衛結界の残骸が不完全に働き続けているみたいだね。結界の核になっている魔力が長年放置されたことで腐敗して、周囲の空気と混ざり合って歪みを生み出している」
「だからこんなに空気が重くて、肌がピリピリするんだね」
二葉が木剣の柄に手をかけ、警戒を強める。
関所の門を覆うツタの隙間から、紫がかった不気味な霧がじわりと滲み出し、地面を這うように広がり始めていた。
その霧に触れた枯れ草は、一瞬で黒く変質し、崩れ去っていく。
「放置された古い魔法の残骸……これも、世界全体の魔脈が滞っているから、排出しきれずにここに留まっちゃっているんだね」
一葉は小さく頷いた。
「破壊して吹き飛ばすのは簡単かもしれないけれど、それだと周囲の森に腐敗した魔力が飛び散っちゃうわ。結界の核を慎重に解体して、綺麗に整えましょう」
「了解! 僕が結界の構造を解析するよ」
三葉が空間へ手をかざし、目に見えない魔力の糸を繊細に伸ばしていく。
「結界の核は、崩れたアーチの中央にあるあの黒ずんだ宝珠だね。長年の不純物が溜まって、魔力の巡りが完全に逆流している。二葉、アーチが崩れないように固定してくれる?」
「任せて! 【二生の根張】!」
二葉が木剣を古い石壁の隙間に突き刺した。
緑の光をまとった根が生き物のように石壁を駆け巡り、今にも崩れ落ちそうだった石造りのアーチをガッチリと固定する。
グラグラと揺れていた巨大な石組みが、しっかりと安定を取り戻した。
「よし、アーチは固定したよ!」
「ありがとう! それじゃあ、結界の解体に入るね。【三途の葉落】」
三葉が分解の波動を放つ。
アーチ中央の宝珠にまとわりついていた黒紫色の腐敗魔力と、不完全に残っていた古い結界の構文が、極小単位でパラパラと解きほぐされていく。
残骸となっていた魔法の構造が消え去り、濁った霧が急速に薄れていった。
「不純物の解体、完了! ひと姉!」
「うん、空間を清浄にして固定するね。【一輪の秒芽】」
一葉が両手を広げ、柔らかな緑の光を関所の門全体へと巡らせた。
分解された魔力の痕跡を綺麗に洗い流し、清らかな空気の波長をその場にぴったりと固定していく。
不快な圧迫感がすっと消え去り、関所の門を潜り抜ける風が、澄み切った秋の冷気へと変わった。
ツタに覆われていた古い石壁も、どこか穏やかな佇まいを取り戻している。
「ふぅ……。これで無事に関所を通り抜けられるね」
二葉が額の汗を拭い、八重歯を見せて笑った。
「古い時代の残骸が、地脈の滞りによって予期せぬ害をなす……北へ進むにつれて、こういう場所が増えてくるのかもしれないね」
三葉が手帳代わりの羊皮紙に、今解除した関所の位置と状況をサッと書き留める。
「でも、私たちの生活魔法なら、どんな古い歪みでも綺麗に直していけるよ。一つずつ丁寧に進んでいこう」
一葉がポケットから透明な結晶石を取り出すと、石の光は未開領域の奥深く——雲の切れ間からかすかに覗く、真っ白な霊峰のシルエットを指し示していた。
「あの山の麓まで、あとどれくらいかな」
「この足なら、あと三日か四日というところだね。ここから先は本当に人里がないから、野営の準備をしっかり整えて進もう」
「うん。お母さんが仕込んでくれたスープの素、今夜も大活躍しそうだね!」
二葉が明るい声を響かせ、三人は関所の門をくぐり抜けた。
静寂に包まれた未開の森へと、三人の足音が力強く響いていく。
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