第63話:宿場町エルムと、広がる不調の影
深緑の谷でひと息ついた三人は、再び北へ向けて街道を歩を進めた。
谷の水脈が元に戻ったおかげか、街道沿いに吹き抜ける風にはわずかに湿り気が戻り、道端の枯れかけていた木々も心なしか生気を取り戻しているように見えた。
「谷の水が流れるようになっただけで、街道の空気まで全然違うね」
二葉が軽やかな足取りで先頭を歩きながら、大きく背伸びをする。
「そうだね。地脈や水脈がつながっている証拠だよ。あの谷の水は、この先の地域全体を養う大きな流れの一部だったんだろうね」
三葉が歩調を合わせながら周囲の様子を観察していた。
夕刻が近づくにつれ、街道の先に見えてきたのは、頑丈な木製の柵で囲まれた宿場町『エルム』だった。
北方の未開領域へ向かう行商人や冒険者が立ち寄る最後の拠点であり、普段なら活気あふれる場所のはずだった。
だが、町の門をくぐった三人が目にしたのは、どこか沈んだ空気だった。
街道沿いの市場には露店が並んでいるものの、並べられている野菜や果物はどれも小ぶりで、どこか青みが足りない。
行き交う人々や冒険者たちの表情にも、そこはかとない疲労感が漂っていた。
「……なんだか、町全体がどんよりしてない?」
二葉が声をひそめて一葉の袖を引っ張る。
「うん。建物や道路が荒れているわけじゃないのに、活気がないというか……活力が底をつきかけている感じがするね」
一葉は胸元のペンダントにそっと触れた。
結晶は拒絶や警告の光を放ってはいなかったが、まるで湿気を含んだ重い空気に触れているかのように、鈍く温かさを伝えてきていた。
三人はまず、情報収集と宿の確保を兼ねて、町の中央にある冒険者ギルドの支部へ向かった。
木造の重厚なドアを開けると、中には数人の冒険者がテーブルを囲んでいたが、いつも接するギルドの喧噪とは程遠く、どんよりとした雑談が静かに交わされているだけだった。
カウンターへ向かうと、年配の受付女性が疲れの残る笑みを浮かべて三人を迎えた。
「いらっしゃい、見慣れない顔だね。北へ向かう冒険者かい?」
「はい。街道の定期報告と、今日の宿を探しに来ました」
一葉がギルド証を提示すると、女性は受け取ったCランクプレートを確認し、驚いたように目を丸くした。
「若いのにCランクかい。……いや、助かるよ。見ての通り、この町は今ちょっとした不調に見舞われていてね」
「不調、ですか?」
三葉が身を乗り出す。
「ああ。1ヶ月ほど前からかねぇ……井戸の水量が減って、畑の作物の育ちが極端に悪くなったんだ。それに、町の人たちも特別病気というわけじゃないのに、体が重くて疲れが取れないと言い出してね。ギルドに届く依頼も、畑の害虫駆除や原因不明の体調不良に関する相談ばかりさ」
女性は深いため息をついた。
「王都や大きな都市から調査員を呼ぼうにも、北の果ての小さな町だからね。後回しにされているのが現状だよ」
「水量の低下と作物の不育……それと、人々の体調不良」
三葉が顎に手を当てて考え込む。
「深緑の谷で起きていたことと、根っこは同じかもしれないね」
「うん。谷の水脈は直したから、これから少しずつ改善するかもしれないけど……この町自体の中にも、何か原因が滞っているのかもしれないよ」
一葉が二人に向かって言った。二葉も木剣の柄を叩きながら強く頷く。
「よし、じゃあ早速調べてみようよ! 困ってる人がいるなら、放っておけないでしょ!」
「そうだね。まずは町の井戸と、一番影響が出ているという畑の周辺を見て回りましょう」
三人は受付で安めの宿を教えてもらい、荷物を預けるとすぐに町の調査へと向かった。
町はずれにある中央井戸へ辿り着くと、そこには木桶を持った町民たちが力なく順番を待っていた。
井戸の底を覗き込むと、水面は遥か下にあり、汲み上げられる水もどこか薄濁っている。
二葉が井戸の縁に手を当て、そっと魔力を巡らせた。
「【二生の根張】……」
足元から地中へ伸びた微小な根が、井戸の深部と周囲の地層を探っていく。
「……うーん、井戸の底の岩盤に、薄い幕みたいなものが張り付いてる。水が染み出してくる隙間を、ドロドロした粘土みたいな魔力の澱みが塞いじゃってるよ」
「谷の時と同じだね。大きな破砕や暴走じゃなくて、地脈の先端にあたるこの町で、排出しきれなくなった不純物が目詰まりを起こしているんだ」
三葉が地面に膝をつき、土の感触を確かめる。
「不純物が水に混ざり込んで、それを生活用水として使っているから、町の人たちの活力まで削がれちゃっているんだね」
「原因が分かったなら、掃除するだけだね」
一葉は二人を見つめ、静かに呼吸を整えた。
「井戸の底の澱みを綺麗にして、元の水流を取り戻そう」
井戸を囲む人々が不思議そうに見守る中、三人はいつもの手際で作業に入った。
「二葉、井戸の枠組と底の岩盤が崩れないように支えて」
「任せて! 【二生の根張】!」
二葉が井戸の側壁に手を触れると、緑の根が井戸の内部を這い、古い石組みと底部の地盤を優しく包み込んで補強した。
「三葉、水に混ざった澱みの分離をお願い」
「了解! 【三途の葉落】!」
三葉が井戸の底へ向けて手をかざすと、不可視の分解波が井戸底に溜まっていた濁質へと届く。
石組みの隙間にこびりついていた不快な粘質成分が、極小単位で分解され、ただの無害な砂粒へと変質していった。
「清浄化、終わったよ! ひと姉!」
「うん、いくよ。【一輪の秒芽】」
一葉が指先から柔らかな保持の光を注ぎ込んだ。
清廉な状態へと戻った水脈と地盤の波長がそのまま固定され、空間全体の歪みが一気に払われていく。
ゴゴゴ……と、井戸の底から心地よい水音が響き渡った。
次の瞬間、湧き上がってきたのは、どこまでも透き通った清涼な水だった。
水面が一気に上昇し、井戸の半分ほどの高さまで満ちていく。水面から立ち上る風には、周囲のどんよりとした空気を吹き飛ばすような、瑞々しい生命力が宿っていた。
「な、なんだ……!? 水が、水が元通りに湧き出してきたぞ!」
「見てみろ、水が透き通ってる!」
順番を待っていた町民たちが歓声を上げ、桶で汲み上げた水を手に取る。
一口飲んだ男性が、目を見開いて叫んだ。
「冷たくて美味い……! なんだか、飲んだ途端に体が軽くなった気がするぞ!」
「本当だ! ずっと重かった頭がすっきりした!」
喜びの声が井戸の周りから町全体へと広がっていく。
作業を終えた三人は、額の汗を拭いながら互いに顔を見合わせて微笑み合った。
「よかったね、ひと姉。これでこの町も少しずつ元気を取り戻すよ」
「うん。でも、やっぱり手紙にあった通りだね。北へ向かうほど、こういう小さな滞りが増えている気がする」
一葉はポケットの中の結晶石を取り出した。
石は澄んだ光を宿したまま、変わらず北の空——『世界樹の霊峰』が存在する未開領域の先を指し示している。
「世界の根本にある目詰まりを解消しない限り、またどこかで同じことが起きちゃうかもしれない。……先を急ごう」
「そうだね。しっかり休んで、明日からも元気に進もう!」
三人は町の人々の感謝の声に背を押されながら、夕闇が包み始める宿場町エルムの宿へと足を進めた。
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