第61話:北へ向かう旅路と、街道筋の歪み
白嶺山脈を抜けた先、北方の街道は風がめっきり冷たくなっていた。
広大な針葉樹林が左右に広がり、時折吹きつける風が乾燥した土埃を巻き上げていく。
一葉たちはギルドでの旅立ちの手続きを終え、世界樹の霊峰へと続く北の街道を歩んでいた。
「う〜、やっぱり北へ進むと一気に寒くなるね!」
二葉が首に巻いたマフラーに顔を埋めながら、息を吐き出す。白い吐息が空中に伸びては、冷たい風にさらわれて消えていった。
「白嶺山脈の麓よりも標高が高いし、ここから先は人里も少なくなるよ。次の宿場町『エルム』までは、順調に歩いてもあと丸二日はかかるはずだ」
三葉が広げた古い地図を指でなぞりながら、街道の先を見渡す。
「でも、お母さんが持たせてくれたスープの素があるから安心だよ。夜の野営も、温かいものが食べられれば全然平気!」
一葉はリュックの側面に括り付けた小さな手提げ鍋をポンポンと叩いた。
「そうだね。まずは明るいうちに、今日の野営地になりそうな場所を探そうか。風を遮れる岩陰か、古い祠でもあればいいんだけど」
三人は軽快な足取りで街道を進んでいたが、小一時間ほど歩いたところで、一葉の足が不意に止まった。
「……ん? どうしたの、ひと姉?」
二葉が振り返る。一葉は路肩に生えている枯れかけた針葉樹の根元を見つめていた。
胸元のペンダントが、衣類越しにごく微かな温かさを伝えてきている。
不快な拒絶感ではないが、周囲の空気が妙に引きつっているような違和感があった。
「ねえ、このあたりの空気……少し重くない?」
「空気……?」
二葉が周囲を見回し、三葉も立ち止まって街道沿いの風景を観察し始めた。
「言われてみれば、街道沿いの木々の枯れ方が不自然だね。まだ本格的な冬前なのに、葉が落ちるというより、根元から水分が抜け落ちて干からびているように見える」
三葉が路肩の土を少し手で掬い上げ、指先でこすり合わせた。
「土の湿り気も完全に消えてる。まるで、地下から吸い上げられる水分や魔力の流れが、どこかで堰き止められているみたいだ」
「地下の魔力の流れ……やっぱり、手紙にあった『目詰まり』の影響なのかな」
一葉が呟いたとき、街道の先からがたごとと不穏な車輪の音が響いてきた。
曲がり角の向こうから現れたのは、一輌の大きな荷馬車だった。
しかし、馬を御している商人の表情は引きつり、必死に鞭を振るっている。
「頼む、走ってくれ! もう少しで街道に出るんだ!」
商人の叫び声と同時に、荷馬車の後方の林から、ザザッという不気味な葉擦れの音が押し寄せてきた。
「危ない!」
二葉が即座に木剣の柄に手をかけ、街道の中央へ飛び出す。
林の陰から姿を現したのは、全身の樹皮が干からびて灰色に変質した数匹の『ウッドウルフ』だった。
本来なら森の奥に潜んでいるはずの魔物だが、その瞳は赤い濁りに染まり、明らかに正気を失っている。
「魔物自体が攻撃的になっているというより、枯れ果てた森から追い出されてパニックを起こしているみたいだね」
三葉が素早く二葉の横に並ぶ。
「倒す必要はないよ! 街道から引き離して、落ち着かせよう!」
「了解! 【二生の根張】!」
二葉が木剣を地面へ力強く突き立てた。
街道の硬い土を突き破り、緑の魔力を帯びたしなやかな根が網の目のように地面を駆け巡る。
突き進んできたウッドウルフたちの足元へ根が絡みつき、その巨体を傷つけることなく柔らかく受け止めて転がした。
「ガァッ……!?」
勢いを殺されたウッドウルフたちが地面をごろごろと転がり、身を起こそうともがく。
「三葉、お願い!」
「うん! 【三途の葉落】!」
三葉が手をかざすと、微細な分解波動がウッドウルフたちの体表を包み込んだ。
暴走の引き金となっていた体内の歪んだ不純魔力だけが、綺麗に解きほぐされて空気中へと霧散していく。
ウッドウルフたちの瞳から濁った赤みが消え、荒い息吐きが次第に静かな呼吸へと変わっていった。
「仕上げは任せて。【一輪の秒芽】」
一葉が優しく指を動かし、緑の光を放った。
落ち着きを取り戻したウッドウルフたちの状態と、周囲の乱れていた空気の波長をその場に優しく固定する。
興奮の冷めたウッドウルフたちは、一葉たちをちらりと見つめると、怯えたように深い森の奥へと走り去っていった。
「助かった……! 助かりました、冒険者さん!」
荷馬車を止めた商人が、青ざめた顔で馬車から降りてきた。
「いえ、怪我がなくてよかったです。あの魔物たち、何かから逃げるように走ってきていましたね」
一葉が商人に声をかけると、商人は深くため息をついた。
「ええ……ここから少し北へ進んだところにある『深緑の谷』あたりから、急に森の雰囲気がおかしくなりましてね。水場が干上がり、森の枯れ木が増えて、魔物たちが人里の方へ溢れ出してきているんです」
商人の言葉に、三人は顔を見合わせた。
「深緑の谷……僕たちの目的地へ向かう街道の途中だね」
三葉が地図を確認しながら言った。
「商人さん、谷の近くで何か特別なことや、変な音を聞いたりはしませんでしたか?」
「音、ですか……? そういえば、谷の奥からドスン、ドスンと、地響きのような重い音が響いていました。まるで地面の底で何かが詰まっているような……」
商人は思い出すように首をひねった。
「ありがとうございます。気をつけて街まで進んでくださいね」
一葉たちが商人を見送ると、街道には再び冷たい北風が吹き抜けた。
「ひと姉、やっぱり手紙に書かれていた通りだね」
二葉が木剣を鞘に納めながら言った。
「うん。白嶺山脈の魔導炉みたいに大きな事件じゃないかもしれないけれど、世界各地で少しずつ、こういう『小さな滞り』が起き始めているんだと思う」
「放置すれば、いずれ周りの森も街も干からびてしまうね。深緑の谷の様子、見に行ってみよう」
三葉の言葉に、一葉も深く頷いた。
「そうだね。目の前で起きていることから、一つずつ綺麗にしていこう」
三人はリュックの紐を締め直し、枯れ木の目立つ街道を深緑の谷に向けて再び歩き始めた。
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