第60話:一双の葉の標と、白銀の封印
白嶺山脈の旧魔導炉を停止させてから一週間が過ぎていた。
『グリーン・リーフ』の厨房では、大きな銅鍋から鶏肉と根菜のポトフが煮立つ湯気が上っていた。
一葉は木杓で丁寧にアクをすくい取り、味を調える。
「ひと姉、裏の薪割りとハーブの干し作業、終わったよー!」
勝手口のドアが元気よく開いて、二葉が飛び込んできた。
外の空気と一緒に、干し草の香ばしい匂いが店内へ流れ込む。
「お疲れ様、二葉。手を洗っておいで。もうすぐ朝ご飯だから」
「はーい!」
二葉が洗い場へ向かうのと入れ違いに、二階から三葉が降りてきた。
「おはよう、ひと姉。街道筋の掲示板を見てきたけど、北方の山の変異は完全に収まったみたい。麓の村からの追加依頼も、すべて完了扱いに変更されてたよ」
「よかった。これで村の人たちも、冬の薪拾いに安心して山へ入れるね」
一葉は出来上がったスープを深皿に注ぎ分けた。
三人でテーブルにつき、焼きたてのハーブパンをスープに浸しながら朝食をとる。
いつも通りの静かな朝の光景だった。
しかし、食後のお茶を淹れたところで、カウンターの端に置かれていた小箱へ視線が集まった。
「……で、結局それ、どうするの?」
二葉がハーブティーのカップを両手で包み込みながら、顎で小箱をしゃくった。
昨日、ギルドの定期連絡便と一緒に届いた箱だ。
宛先は「森羅一葉、二葉、三葉様」となっており、差出人の欄には名前の代わりに、見慣れない白銀の印章が押されていた。
一本の大樹の周りを、一双の葉が包み込むような図柄だ。
「鍵はかかってないけど、魔力的な封印が施されているのは間違いないね。僕が解読を試みたけど、通常の重層鍵とは構造が違ってたよ」
三葉が昨夜解読した魔力紋の構造を説明する。
「魔力流の配列が、王立図書館の古文書にある『古代環状式』にそっくりなんだ。魔力を力任せに注ぐと、中の羊皮紙ごと灰になる仕組みだよ」
一葉は小箱にそっと手を伸ばした。
表面の滑らかな木肌に指先を触れさせると、胸元の緑のペンダントが微かに温かくなった。
異物に対する拒絶反応ではなく、まるで同種の波長に触れたときのような柔らかい手応えだ。
一葉は呼吸を整え、手のひらからごくわずかな魔力を染み込ませた。
【一輪の秒芽】。
空間の固定に使う保持の魔力だが、ここでは「箱の内部の魔力状態を均一に保ち、変化を起こさせない」ために用いる。波立ちを抑えた純粋な緑の光が箱の隙間から染み込んでいくと、カチリと小さな金属音が響いた。
白銀の印章が光を失い、蓋がわずかに浮き上がる。
「解けた……! さすがひと姉!」
二葉が身を乗り出す。
一葉がゆっくりと蓋を開けると、中には一枚の厚手の羊皮紙と、小さな澄んだ結晶石がひとつ納められていた。
三葉が羊皮紙を取り出し、テーブルの上へ広げる。
そこには、崩した古代文字と、現代の共通語が混ざった独特の筆致で文章が綴られていた。
『生活の術を尊び、崩れた調和を繕う者たちへ。
サフィールに満ちた黒砂、白嶺の地下で暴走せし人工炉。これらは単なる局地的な破綻に非ず。
世界樹の根に流れる「環状魔脈」の目詰まりが、各地へ澱みとなって噴出し始めている証なり。
壊す術を持つ者は数あれど、傷を癒やし、もとの形へと繋ぎ止める術を持つ者は稀なり。
試練を越えし三つの芽吹きよ。
真なる停滞が世界を覆う前に、北極天にそびえる【世界樹の霊峰】へ至れ。
汝らの持つ「巡りの術」が、大樹の呼吸を取り戻す鍵とならん』
短い文章だった。だが、読んだ三人の間に静寂が落ちる。
「世界の目詰まり……?」
二葉が首をかしげた。
「私たちが今まで片付けてきた黒い煙や毒素って、ただの古い兵器の暴走じゃなかったの?」
「完全に独立した事故ではなかった、ということだろうね」
三葉が羊皮紙の端に記された小さな地理図を指でなぞる。
「サフィールの地下水脈も、白嶺山脈の地下脈も、大陸を大きく横断する『巨大な魔力の流れ』の節目に位置しているんだ。もしその根本である世界樹の根が滞っているなら、各地で同じような変異が同時に起こり始めてもおかしくないよ」
「でも、なんで私たちの生活魔法のことを知っているんだろう」
一葉が呟いた。
「生活魔法は、特別な攻撃魔法じゃないよ。部屋を掃除したり、食べ物を傷ませないようにしたり、怪我の手当てをしたり……私たちが毎日、この店や家でやってきたことの延長でしかないのに」
その時、厨房の奧のドアが開き、父の一二三と母の葉が入ってきた。
一二三は三人が囲むテーブルと、広げられた羊皮紙を優しく見やったあと、温かい淹れたてのお茶を人数分注ぎながら腰を下ろした。
「お父さん、この手紙……」
二葉が羊皮紙を指さすと、一二三は茶碗を手にして柔らかく微笑んだ。
「困ったことが書かれていたかい?」
「ううん、困ったというか……私たちが今までやってきたことを見てくれていたみたいで」
一葉がペンダントを握りしめながら言うと、一二三は温かな眼差しで三人を見つめた。
「自分たちがこれまでやってきたことを、三人でどう受け止めるかだね。王都でもサフィールでも、お前たちは誰かに言われたから動いたんじゃなくて、目の前の暮らしや困っている人を放っておけなかったから、自分たちの魔法で綺麗にしてきたんだろう?」
一葉は頷いた。
「うん。私たちがやりたくて、手を取り合ってやってきたよ」
「なら、自分たちの気持ちに素直になればいい。どこへ行っても、お前たちが培ってきた大切なものは変わらないよ」
一二三が穏やかに背中を押すと、隣で葉も優しく微笑み、焼き上がったばかりのクッキーを皿に盛って置いてくれた。
「遠出になるなら、しっかり保存食の準備をしなくちゃね。特製スープの素も新しく仕込んでおこうかしら」
母の言葉に、二葉がパッと顔を輝かせた。
「お母さん、それって応援してくれるってこと!?」
「もちろんよ。自分たちで決めた道なら、ちゃんと温かく見送ってあげたいもの。でも、準備だけは万全にするのよ」
三葉が頷く。
「世界樹の霊峰までは、北方の山脈を越えてさらに北の未開領域だね。従来の街道マップは役に立たないから、ギルドの資料室で過去の探検記録を調べておくよ」
「それと、旅の途中で寄る街のギルドにも、立ち寄り報告を入れておかないとね」
二葉が木剣の帯を締め直しながら、フッと息を吐いた。
「よしっ! どこへ行くにしても、やることは変わらないよね。汚れてるところがあったら綺麗にして、壊れてるところがあったら治す!」
一葉は羊皮紙と一緒に箱に入っていた小さな結晶石を手に取った。
手のひらに収まるほど透明な石は、光にかざすと内側に淡い緑の脈動が見えた。
手紙に書かれていた「世界樹の霊峰」を示す方位磁石のような役割を果たしているらしい。
一葉は結晶石をポケットに収め、二人の顔を見つめた。
「二葉、三葉。買い出しと準備を始めようか。ギルドマスターへの報告も済ませておかないと」
「了解!」
「情報整理は僕がやっておくよ」
三人はそれぞれの役割のために動き出した。
『グリーン・リーフ』の窓の外では、澄んだ風が街並みを吹き抜けていた。
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