第59話:旅路の余韻と、日々の温もり
白嶺山脈での旧魔導炉浄化から数日が経過し、故郷の街はすっかり穏やかな日常を取り戻していた。
朝の清々しい光が『グリーン・リーフ』の木製窓から差し込み、店内には挽きたてのコーヒーと焼き立てのハーブパンの香ばしい薫香が広がっている。
「ふはぁ……! やっぱり、お母さんの焼くパンとハーブスープが一番美味しいや!」
二葉が焼きたてのパンを頬張りながら、幸せそうに頬をゆるませる。
「急いで食べると喉を詰まらせるわよ、二葉。ちゃんとスープも一緒に飲みなさい」
一葉は優しく苦笑しながら、空中を通じて蔓を巻くように優雅に指を動かした。
【一輪の秒芽】——。
一葉の手のひらから解き放たれた柔らかで淡い緑の保持魔力が、焼き上がったばかりのパンの絶妙な温度と香ばしい食感、そしてスープの温かな旨味を、そのまま店内全体へと柔らかく定着させていく。
王都の『魔力腐敗症』、アルトリスの『大魔脈』、サフィールの『オアシス』、そして北方の『旧魔導炉』。
数々の困難な現場を潜り抜けてきた一葉の保持魔法は、もはや無駄な魔力消費を一切感じさせないほどに自然で、空間そのものと美しく調和していた。
「ひと姉の保持魔法、スープの湯気やパンの香りの固定まで、まるで最初からそうであったかのように空間に馴染んでいるよ」
三葉が満足そうに目を細めた。
「北方の旧魔導炉での実戦データを解析し直したけど…、僕の【三途の葉落】で分子レベルの不純物と毒素を精密分離し、ふた姉の【二生の根張】で荒れ狂う力場を包み込んで鎮静化させ、ひと姉の【一輪の秒芽】でその清浄な状態を時間ごと固定する……」
「ふふ、三葉ったら、朝から難しい解説になっちゃってるわね。でも、本当に三人で力を合わせてきたからこそ、ここまで来られたのよね」
一葉はそっと胸元のペンダントに触れた。
父・一二三から受け継いだその緑の結晶は、北方の戦いを終えて以来、より一層澄み渡り、温かな光を優しく宿している。
昼過ぎ、『グリーン・リーフ』のドアベルが清々しい音を響かせた。
カランコロン——。
店内に足を踏み入れたのは、ギルドマスターのヴァルターだった。
その手には、ギルド本部から届いたばかりの羊皮紙の書簡が握られている。
「やあ、一葉さん、二葉ちゃん、三葉君。すこし時間はあるかね?」
「ヴァルターさん! いらっしゃいませ。どうぞカウンターへ」
一葉が淹れたての温かいハーブティーを差し出すと、ヴァルターはそれを一口含み、深々と息を吐いた。
「いつも素晴らしいお茶をありがとう。……実はな、北方の旧魔導研究所跡地に関するギルド本部からの最終報告書が届いたのだよ」
ヴァルターは書簡をテーブルの上に広げた。
「君たちが完全に停止・浄化してくれたおかげで、白嶺山脈一帯の生態系は急速に回復へ向かっているそうだ。麓の村々からの感謝状はもちろん、ギルド本部の評議会からも『過去の禁忌兵器による災害を、最小限の被害で完璧に解決した』として、最高度の称賛が贈られている」
「わあ……! 本部の人たちも褒めてくれてるんだ!」
二葉が八重歯を覗かせて喜ぶ。
「ええ。それと同時に、今回の討伐・浄化依頼に対する特命報酬の確定通知も届いている」
ヴァルターが差し出した袋には、ぎっしりと詰まった金貨とともに、一つの美麗な木箱が納められていた。
箱を開けると、そこには王室や最高級ギルドでのみ使用される、極上のハーブや茶葉の詰め合わせが入っていた。
「報酬の金貨もさることながら、君たちが何を一番喜ぶか、本部も分かっているようだね」
「まあ……! こんなに貴重で綺麗な茶葉をいただけるなんて!」
一葉は目を輝かせ、三葉も嬉しそう手を広げた。
「ヴァルターさん、ありがとうございます。」
一葉が控えめだが凛とした眼差しで答えると、ヴァルターは満足そうに何度も頷いた。
「ああ、分かっている。君たちが、Cランクになってもその謙虚な心を失わないことこそが、最大の強みなのだよ」
ヴァルターが去った後、三人はお店の手伝いと仕込みを再開した。
厨房では父の一二三が静かな手つきで大きな肉を切り分け、母の葉が特製ダレの仕込みを行っている。
二人の無駄のない動きと温かな空気感こそが、一葉たちの『生活魔法』の原点だった。
「お父さん、お母さん。ギルド本部から最高級のハーブティーを貰ったよ。今夜、みんなで一緒に飲みましょうね」
一葉が声をかけると、一二三は包丁を止め、穏やかな眼差しを向けた。
「うん、楽しみにしている。……一葉、二葉、三葉。大きな仕事を終えたあとの日常こそ、一番大切に磨かねばならないものだよ」
「うん、お父さん!」
「任せてよ! どんなに有名になっても、私の本業は『グリーン・リーフ』の看板娘なんだから!」
二葉が胸を張り、三葉も「僕も仕入れと計算の手伝いは欠かさないよ」と笑みを浮かべた。
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