第6話:小さな喫茶店と、押し寄せる大騒動
「よしっ、夕方の開店準備、完了!」
ギルドでの大騒動から無事にお店へ戻ってきた森羅家の三姉弟は、いつものエプロンに身を包み、店内の掃除とテーブルのセッティングをテキパキと終えていた。
街の静かな路地裏に佇む小さな喫茶店『カフェ・シンラ』。普段であれば、近所の常連客が数人訪れて穏やかな時間を過ごす、落ち着いた隠れ家的なお店だ。
「ふぅ……ギルドの人たち、なんだかすごく驚いていたね」
三葉がカウンターの奥で新しいコーヒー豆の選別をしながら、首をかしげた。
「ほんとだよ! 薬草の保存も魔石のゴミ掃除も、家でやってる仕込みや庭掃除と全然変わらないのにさ。冒険者って、案外大げさなんだねぇ」
二葉が看板を外に出しながら笑う。
「ふふ、二人ともお疲れ様。でも、ギルドでいただいたお給金のおかげで、念願の新しいミルと特製の焙煎機が注文できそうだよ。お父さんもお母さんも喜んでくれるといいね」
長女の一葉が優しい笑みを浮かべ、カウンターでコーヒーカップを丁寧に拭き上げる。
三人にとって、ダンジョンでの採取や魔法の工夫は、あくまで「お店を盛り上げるためのちょっとしたバイト」に過ぎなかった。世界を震撼させるような大偉業を成し遂げたという自覚は、これっぽっちも存在しない。
カランコロン、と入り口のドアベルが涼やかな音を立てた。
「いらっしゃいませ、『カフェ・シンラ』へようこそ――」
一葉がいつもの柔らかい笑顔で迎えると、そこに立っていたのは……店内に入った瞬間に硬直した、見覚えのある人物だった。
「ひ、本当に……本当にここで店員をやっているのか……!?」
息を荒らして入ってきたのは、先ほど買取窓口でパニックを起こしていた眼鏡の女性職員と、その後ろで血走った目を輝かせている白髪の老鑑定士だった。
さらにその背後には、ギルドで三人を目撃していたベテラン冒険者たちが、恐る恐る店内を覗き込んでいる。
「あ、ギルドの職員さん! 先ほどはどうもありがとうございました。査定のお礼に、何か温かいお飲み物でもいかがですか?」
一葉が何事もないようにメニュー表を手渡そうとすると、老鑑定士がガタッと膝を突き、カウンターに手をついた。
「お嬢さん……いや、森羅の一葉殿! 頼む、教えてくれ! あの『魔力草』は一体どんな秘術を使って採取したのじゃ!? 王都の最高峰の薬草師たちすら不可能な『魔力の完全固定』を、本当にただの生活魔法でやったというのか!?」
「え、ええ……ですから、いつもコーヒー豆の鮮度を保つために使っている【一輪の秒芽】を掛けただけですけれど……」
一葉が困ったように微笑むと、老鑑定士は頭を抱えて呻いた。
「ただの生活魔法で……常識を覆すな……! ちなみに、そっちの青年! あの球体に磨き上げられた小魔石は……!?」
三葉はトングを手に持ったまま、少し申し訳なさそうに答えた。
「僕の【三途の葉落】で、不純物だけを分解したんです。普段は庭の雑草や生ゴミを分解して堆肥にするための魔法なので、魔石の表面についたゴミを削っただけで……」
「生ゴミ分解の応用で魔石の超精密加工だと……!? それができるなら、国中の魔導具技師が全員廃業してしまうぞ……!!」
店内に老鑑定士の叫び声が響き渡り、様子を見に来ていた野次馬の冒険者たちが一斉に「おいマジかよ……」「都市伝説じゃなかったのか……」とザワついた。
「あの……おじさん、大声を出したら他のお客様の迷惑になっちゃうよ」
二葉が腰に手を当ててジト目で注意すると、老鑑定士は「ハッ」と我に返り、慌てて咳払いをした。
「失礼した……。実はな、ギルドマスターから直接の言づてで参ったのじゃ。森羅の三姉弟……お主たちに、ぜひとも『ギルド専属の特別採取士・技師』として特待契約を結んでほしい! 報酬は通常の十倍、希望する設備や資材もすべてギルドが負担しよう!」
破格どころか、国一番の英雄並みの待遇提示。
野次馬の冒険者たちが「十倍!?」と口をあんぐりと開ける中、三姉弟は顔を見合わせ――
「「「すみません、お断りします」」」
ハモリながら、即答した。
「な、なにぃぃぃ!? なぜじゃ!? 金か!? 名誉か!? 何が不満なんじゃ!?」
老鑑定士が目玉を飛び出させんばかりに驚くと、長女の一葉が困ったように微笑みながら、優しく理由を語った。
「私たち、本業はこの喫茶店の店員なんです。ダンジョンに行くのも、お店の器具を新しくしたり、おいしいコーヒーやお菓子を皆様に届けるための準備に過ぎません。専属になってお店を空けることなんて、できませんから」
「そ、そんな理由で……!? 世界を激震させる魔法の才能を持ちながら、喫茶店の仕込みが優先だと……!?」
老鑑定士と女性職員は、あまりの価値観の違いに開いた口が塞がらなかった。
自分たちが命がけで挑むダンジョンの常識も、国家レベルの魔法技術も、この三姉弟にとっては「おいしいコーヒーを淹れるための日常の工夫」の延長線上に過ぎないのだ。
「……はぁ、負けたわ。本当に、ただのカフェ店員さんなのね……」
女性職員はがっくりと肩を落とし、苦笑いを浮かべた。
「でも、もしお時間があるときに、少しだけでも薬草や魔石を納品していただけたら助かります。ギルドとしても、森羅さんたちのペースを一番に尊重しますから」
「それなら喜んで! 私たちも、お店の開店前の隙間時間で少しずつ探索を続けたいと思っていますから」
一葉が嬉しそうに頷くと、カウンターから香ばしく深いコーヒーの香りが漂ってきた。三葉が丁寧にドリップした、淹れたてのコーヒーだ。
「お騒がせしたお詫びに、どうぞ。うち自慢のブレンドです」
出されたカップを口に含んだ老鑑定士と女性職員は、その一口で目を見開いた。
魔法で完璧に鮮度が保たれた豆と、精密な魔力コントロールで淹れられたその一杯は、これまで飲んだどんな高級店のものよりも、優しく五臓六腑にしみわたる絶品だったのだ。
「う、うまい……! なんだこの深い味わいは……!」
「ふふ、ありがとうございます。私たちの本業は、これですから」
一葉がいたずらっぽく微笑む。
こうして、冒険者ギルドを激震させた凄腕の新人三姉弟は、ギルドの勧誘をあっさりと蹴り、今日も街の小さな喫茶店で穏やかな日常を紡いでいくのだった。
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