第31話:新たな日常と、招かれざる来訪者
『歪みの核』を粉砕し、街に平穏が戻ってから数日が過ぎた。
大森林の異常発生の脅威が去った街には、再び穏やかな時が流れている。
『グリーン・リーフ』の店内は、朝から香ばしい焼き立てパンと挽きたてコーヒーの豊かな香りに包まれていた。
「はい、お待たせしました! 特製ハーブのオムレツセットです!」
二葉が元気いっぱいの声とともに、焼きたての料理をテーブルへと運ぶ。
「お兄さん、こちらのハーブティーは三葉君特製の『魔力回復ブレンド』だよ! 飲むと頭がすっきりするんだから!」
「おお、ありがとう二葉ちゃん! これを飲むと長距離の採取依頼でも疲れにくいんだよな」
「微細な不純物を取り除き、効能成分だけを抽出していますから、吸収率が通常の二倍以上になっています」
カウンターの奥で手帳を手に静かに補足する三葉。
常連の冒険者は「相変わらず完璧な仕事だな」と満足そうにカップを傾けた。
一葉は厨房とカウンターを行き来しながら、客たちの穏やかな笑顔を見渡していた。
胸元には、父・一二三から贈られた緑の結晶のペンダントと、新しく授与された銅色のEランクプレートが並んで輝いている。
(お店に笑顔が戻って、本当に良かった……)
一葉は空中を通じて蔓を巻くように優雅に指を動かした。
「【一輪の秒芽】……!」
焼き上がったばかりのハーブカスタードパイの表面を、淡い緑色の光が優しく包み込む。パイの一番美味しい「焼き立て直後」の温も度とサクサク感が、一葉の魔法によって時間ごと完璧に保持された。
「一葉ちゃん、そのパイをひとつもらえるかい? 持ち帰って家内に食べさせたくてね。……冷めずに持って帰れるかい?」
年配の街の職人が尋ねると、一葉は柔らかく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。私の魔法で『最高の状態』をしっかり繋ぎ止めてありますから、お宅に着いても焼き立ての熱々のまま召し上がっていただけます」
「おお、そいつは助かる! 流石はEランクに昇格した森羅家の長女さんだ!」
客たちから温かい拍手と笑い声が湧きあがる。
FランクからEランクへと昇格したものの、三姉弟のやるべきことは変わらない。日常を慈しみ、店を支え、魔法の可能性を一つずつ探求していくことだ。
昼のピークタイムが過ぎ、店内に少し静けさが戻ってきた頃。
厨房から出てきた父の一二三が、手際よく片付けを進める三人の元へ歩み寄ってきた。
「三人とも、店の手伝いをご苦労様。……Eランクになってから数日経ったが、魔法の感覚に変化はあるかい?」
一二三の問いに、二葉が真っ先に木剣を抱えて答えた。
「うん! 実戦を経験してから、魔力の伸びがすごく良くなった気がするの! 地面だけじゃなくて、物に触れた時の固定の速さが全然違うよ!」
「僕も、対象の構造を解析するスピードが上がりました」
三葉が手帳を開きながら続ける。
「以前は分解するのに数秒かかっていた不純物も、今では視界に入った瞬間に構成要素を見抜けるようになってます」
一二三は嬉しそうに目を細めると、最後に一葉へ視線を向けた。
「一葉、お前はどうだ?」
一葉は胸元のペンダントにそっと触れ、自分の手のひらを見つめた。
「お父さんのお守りのおかげで、魔力の巡りが以前と比べものにならないくらい滑らかです。保持できる時間も伸びましたし、何より……ふた姉と三葉の魔法に重ねる時の『噛み合い方』が、体感覚で分かるようになりました」
「そうか。単なる知識ではなく、実戦を経て真の技術として定着しつつあるということだな」
一二三の言葉に、母の葉も厨房から優しい顔を覗かせる。
「三人で助け合って掴み取った成果ね。……でも、油断は禁物よ。Eランクになると、ギルドから回ってくる依頼の質も一気に上がりますからね」
「分かってるよ、お母さん!」
二葉が胸を張った、その時だった。
カランコロン、と店のドアベルが重々しい音を立てて鳴った。
店内に足を踏み入れてきたのは、これまでの『グリーン・リーフ』の客層とは明らかに雰囲気の異なる一行だった。
洗練された銀色の全身鎧に身を包んだ護衛の騎士たち。
その中央を歩くのは、豪奢な刺繍が施された上衣を纏い、眉間に深い皺を刻んだ初老の男だった。
胸元には王都の高級貴族を示す紋章が輝いている。
一瞬で店内の空気がピンと張り詰めた。
「ふむ……ここが噂の『生活魔法で大森林の歪みを払った』という奇妙な冒険者の店か」
男は尊大な眼差しで店内を見回し、やがてカウンター前に立つ一葉たち三姉弟へと視線を止めた。
「失礼ですが……どちら様でしょうか?」
一葉が店主の娘として、礼儀正しく前へ一歩踏み出す。
男の傍らに控えていた護衛の騎士が、厳しい声で告げた。
「控えよ! こちらは王都より下向された、カルゼル子爵家当主・ジュリアン様であられる!」
「カルゼル子爵……様……?」
二葉と三葉が顔を見合わせる。
ジュリアン子爵は胸を張り、一葉たちを見下すように冷やかな笑みを浮かべた。
「ギルドからの報告書を眉に唾をつけて読んでいたが……フン、案の定、ただの子供か。しかも扱っているのが『生活魔法』だと? くだらん。何かの間違いか、自警団の戦功をでっち上げただけだろう」
「でっち上げなんかじゃないよ!」
二葉が思わず前に出ようとするが、一葉がそっと手を出して制した。
「子爵様。お言葉ですが、私たちはギルドの正式な調査と手続を経て、Eランクの昇格と功績を認められました。決してでっち上げなどではございません」
一葉は毅然とした態度で、子爵の鋭い視線を受け止めた。
「ふん、口だけは達者なようだな」
ジュリアン子爵は鼻で笑うと、懐から一通の漆黒の封書を取り出し、カウンターの上へ乱暴に放り投げた。
「王都の貴族街では今、奇妙な病……魔力が体内で腐敗し、死に至る『魔力腐敗症』が流行しておる。いかなる高位の回復術士の魔法も効果がない代物だ」
子爵の目が、怪しげな光を帯びて三人を射抜く。
「お前たちの持つ不純物分解と状態固定の生活魔法とやらが本物ならば、この病の毒素をも分解してみせよ。これは王都ギルドとカルゼル子爵家からの正式な『指名依頼』だ」
「指名依頼……!?」
三葉が息を呑む。Eランクになったばかりの自分たちに、王都からの指名依頼が舞い込んできたのだ。
「もし受けぬというなら、お前たちの功績がでっち上げであったと王都へ報告し、冒険者資格を剥奪するようギルドへ働きかけるまで。断る選択肢はないと思え」
高圧的な吐き捨てるような言葉を残し、ジュリアン子爵と護衛の騎士たちは横暴に店を後にした。
残されたのは、カウンターの上にぽつんと置かれた黒い封書と、不穏な静けさだった。
一葉は封書を見つめ、静かに拳を握りしめた。
Eランクへの昇格——それは新たな冒険の始まりであると同時に、王都の策略と新たな試練の扉が開いたことを意味していた。
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