第21話:歪みの予兆と、三人での仕込み
市場での買い出しを終えた翌朝。『グリーン・リーフ』の厨房には、昨日手に入れたフレッシュな果実と香草の香りが満ちていた。
一葉、二葉、三葉の三人は早朝から並び、新作メニューの試作と本日の仕込みに精を出している。
「三葉、このハーブの抽出、不純物の分解具合はどう?」
一葉が透明なガラスボウルを覗き込みながら尋ねる。
「うん、すごく順調だよ。【三途の葉落】でえぐみ成分だけをピンポイントで取り除けたから、果汁の甘みが綺麗に引き立ってる」
三葉が手帳に秒数と魔力配分を細かく記録しながら頷いた。
「よし! それじゃあジュースの仕上げは任せて!」
二葉が氷水の入った器にピッチャーを浸し、真剣な表情で作動させる。
「【二生の根張】……温度変化の軸を逃がさないように、冷気だけを果汁全体に固定して定着させる!」
二葉の繊細な魔力コントロールにより、フレッシュジュースは一瞬で最高の飲み頃へと冷ややかに引き締められた。
「すごい!二人とも。魔法の使い方が本当に滑らかになったわね」
一葉は優しく微笑み、空中を通じて蔓を巻くように優雅に指を動かした。
「【一輪の秒芽】……完成した風味と香りのピークを、この状態のまま固定するわ」
三人による完璧な連携の手順により、市場で手に入れたハーブと果実の旨味が限界まで引き出された特製ジュースが完成した。
「うん! すっごく美味しい! これなら今日来店してくれる冒険者や町の人たちにも喜んでもらえるね!」
二葉が嬉しそうにグラスを掲げる。三葉も満足そうに頷いた。
「うん。僕たちの魔法が、こうして料理や店の役に立っているのは本当に嬉しいよ」
だが、そんな穏やかな厨房の空気を破るように、カランコロンと店の真鍮ベルが激しく鳴り響いた。
「マスター! 一葉ちゃん! 大変だ!」
開店時間にはまだ早いというのに、飛び込んできたのは汗だくになったBランク冒険者のバルガスだった。呼吸を荒らげ、その顔には珍しく焦りの色が濃く浮かんでいる。
「バルガスさん? どうしたんですか、そんなに急いで……」
一葉がすばやく冷たいお水を用意して手渡す。バルガスはそれを一気に飲み干すと、重い口を開いた。
「森の浅層で異変が起きてる。ギルドに緊急警戒令が出されたんだ」
「緊急警戒令……?」
三葉が眉をひそめる。
「ああ。昨日から浅層に出現するモンスターの数が急増しててな。本来なら中層や深層にしか生息していないはずの狂暴な魔物が、次々と浅層へ雪崩れ込んできているらしい。ギルドは最浅層を含めた森全体の立ち入り禁止区域を広げている」
「そんな……。じゃあ、一昨日私たちが遭遇したワイルドボアも……」
二葉が顔を蒼くして思い当たる。
「ああ、間違いねえ。アレは前兆だったんだ。森の奥で何かが起きて、魔物たちが弾き出されるように外へ逃げてきてる。ギルドは近隣のBランク以上のパーティを集集して、調査隊を編制する動きを見せてるぜ」
カウンターの奥から、様子を聞いていた父の一二三が静かに足音を立てて歩み出てきた。
「バルガス殿。その異変の規模はどの程度になりそうだ?」
一二三の眼光は、普段のカフェのマスターとしての温和なものから、一瞬で物事の本質を見抜く鋭いものへと変わっていた。バルガスはゴクリと唾を呑み込み、真剣な表情で応える。
「正直、かなりヤバいです、マスター。調査隊が向かう予定ですが、もし森の奥の魔物が本格的に暴走したら……この街にも影響が出かねない」
「そうですか……情報をありがとうございます」
一二三は静かに頷くと、横に立つ母の葉と視線を交わした。葉もまた、言葉には出さないものの、深い理解と決意を込めて夫を見つめ返している。
「一葉、二葉、三葉」
一二三が子供たちに向き直った。
「今日の営業は、材料の買い出しと安全確保のため、昼過ぎまでの短縮営業としよう。お前たちも決して一人で外へ出て森に近づいてはならないよ」
「「はい、お父さん」」
二葉と三葉が真剣な表情で頷く。
一葉は両親の様子を観察しながら、胸の奥で昨日耳にした会話を思い出していた。
(お父さんとお母さんが言っていた『森の歪み』……。やっぱり、この異変のことだったんだ)
両親がただのカフェの店主ではないこと、そしてこの街を守るために何かを知っていることを、一葉は確信していた。
昼過ぎ、短縮営業を終えた『グリーン・リーフ』。
客たちが去り、静まり返った店内で、二葉と三葉は訓練の成果を確認するように自前の道具を手入れしていた。
「ふた姉、もし街に魔物が近づいてきたら……僕たちの特訓の成果、試す時が来るかもしれないね」
三葉が手帳のページをめくりながら低く呟く。
「うん。……怖くないって言ったら嘘になるけど、でもね。バルガスさんに教わったこと、絶対に無駄にはしないよ。今度は足を引っ張らないようにみんなを守るんだ」
二葉が自分の手を強く握り締める。
その二人の背中を見つめながら、一葉は静かに決意を固めていた。
(妹も弟も、こんなに頼もしく成長している。……私も長女として、二人を絶対に傷つけさせない)
一葉は自身の指先を見つめた。
【一輪の秒芽】。状態を留め、鮮度を保持するだけの小さな生活魔法。
だが、この魔法にはまだ自分も知らない可能性があるはずだ。
「二葉、三葉」
一葉が二人に優しく声をかける。
「今日の夜、少しだけ裏の庭で、三人の魔法の連携をもう一度おさらいしてみない?」
「ひと姉も一緒に!?」
二葉がパッと顔を明るくした。
「うん。二人だけに危険な思いはさせられない。もしもの時は、三人で力を合わせましょう」
「うん! ひと姉がついててくれたら百人力だよ!」
「僕も、ひと姉の【一輪の秒芽】と僕の【三途の葉落】の新しい組み合わせについて、アイデアがあるんだ」
三葉も嬉しそうに手帳を広げた。
窓の外では、森の方角から吹き込む風が、わずかに冷たく湿った匂いを運んできていた。
迫り来る暗雲と、森の奥に潜む不穏な気配。
しかし、カフェの温かな灯火の下で、森羅家の三姉弟は静かに、そして確実に絆と力を研ぎ澄ませていた。どんな嵐が訪れようとも、自分たちの日常と大切な場所を守り抜くために。
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