第18話:家族の食卓と、秘められた過去
昼間の賑わいが嘘のように静まり返った夜の『グリーン・リーフ』。
営業を終えた店内の大きな木製テーブルには、温かな湯気とともに芳醇な香味が広がっていた。
今夜の夕食は、日替わりランチで客たちにも大好評だった『ワイルドボアと採れたて野菜のスープパスタ』だ。
深鉢にたっぷり装われたスープからは、完熟トマトの爽やかな酸味と、じっくり煮込まれたボア肉の力強い旨味が合わさった絶品のアロマが立ち上っている。
「さあ、みんな揃ったわね。冷めないうちにいただきましょう」
一葉が全員の前にスープボウルを配り終え、手を合わせる。
「いただきます」
家族全員の声が重なり、和やかな夕食が始まった。
父の一二三は、愛おしそうに湯気を吸い込むと、フォークで大振りのボア肉を口へと運んだ。一口噛み締めた瞬間、その表情が驚きに染まる。
「うーむ……これは素晴らしいな! ボア肉特有の力強い旨味が凝縮されているのに、嫌な筋っぽさや独特の臭みが一切ない。スープの出汁も肉の奥までしっかり染み込んでいるよ」
「本当ね。お肉がとっても柔らかくてジューシーだわ。三葉の【三途の葉落】での下処理が見事だったのね」
母の葉が嬉しそうに目を細め、三葉へと視線を送る。
三葉は少し照れくさそうにスープを一口口に含み、ホッと安堵の息を漏らした。
「うん……肉の血抜きと余分な不純物の分解が、思っていた以上にうまくいったみたい。ひと姉のスープの味付けもすごく美味しいよ」
「本当に美味しい! 苦労して森から持って帰ってきた甲斐があったなぁ」
二葉が大満足そうにボア肉とパスタを頬張り、頬を膨らませる。
その賑やかな様子を温かく見守っていた一二三が、ふとワイングラスを置き、真面目な表情で二人に向き直った。
「二葉、三葉。昼間、バルガス殿やヴァルター殿から話を聞いたよ。最浅層でワイルドボアと遭遇したそうだね」
「あ……うん。ごめんなさい、お父さん、お母さん。ちょっと油断してて……」
二葉がすまなそうに首をすくめる。一二三は静かに首を振った。
「責めているわけじゃないんだ。怪我がなくて本当に良かった。……だがな、生活魔法は本来、直接的な戦闘のための魔法ではない。それを現場の判断で、機転を利かせて乗り切ったのは立派な経験だ」
「あなたたちのアイデアと連携は、とても素晴らしかったわよ」
葉が包み込むような笑みを浮かべて付け加える。
「魔法の威力や格にとらわれず、手元にある道具や環境、そして家族との息を合わせること。私たちがこの店で大切にしている仕込みの手順と、本質は何も変わらないの」
「お母さん……」
三葉が手帳に手を添えながら、母の言葉を静かに噛みしめる。
一二三は窓の外、静まり返った森の陰に視線を遣り、どこか遠くを見るような目で語りかけた。
「バルガス殿が訓練場で練習に付き合ってくれると言ってくれたんだろう? 遠慮せず、思い切って胸を借りてくるといい。お父さんも昔、食材の採集で森に入った時は、何度も道具や魔法の合わせ技に助けられたものさ」
「えっ、お父さんも昔、モンスターと戦ったことあるの!?」
二葉が驚いて身を乗り出すと、一二三は照れくさそうに髭を撫でた。
「戦うというほど格好いいものじゃないよ。必死で足場を固めたり、地面に油を撒いて滑らせたりして逃げ回っただけさ。だがな、そうやって生き残るための知恵を絞ることが大切なのだよ」
「お父さんの昔の苦労話はまた今度ね」
葉がクスクスと笑うと、テーブルを囲む全員からどっと温かい笑い声が上がった。
一葉が食後の温かいハーブティーを全員のカップに注ぎ分ける。
「二人とも、心強い味方がたくさんいて良かったわね。焦らず、一歩ずつ学んでいきましょう」
「うん! バルガスさんとの訓練、絶対身になるように頑張るよ!」
「僕も、もっと魔法の応用を研究してみる」
二人の力強い返事に、一二三と葉は深く満足そうに頷き合った。
夕食が終わり、二葉と三葉が自分の部屋へ戻った後。
一葉が厨房で最後の食器を洗い終えると、店内には一二三と葉の二人だけが残っていた。カウンターのランプが柔らかい橙色の光を投げかけている。
「一二三さん……」
葉が静かな声で夫を呼んだ。
その表情には、先ほどまでの明るい笑みとは異なる、かすかな憂いの色が混じっている。
「……ああ、分かっているよ、葉」
一二三は重厚な木製カウンターに肘をつき、静かに溜息を漏らした。
「最浅層へのワイルドボアの出現。単なる縄張り争いによる押し出しなら良いのだが……森の奥の『歪み』が、予想以上に広がっているのかもしれない」
「ええ。子どもたちが無事だったから良かったものの……あの森の変異が本格化すれば、最浅層だけに留まらなくなるわ」
葉の言葉に、一二三はゆっくりと自分の手のひらを見つめた。かつて一線を退いた男の、静かだが鋭い眼光が一瞬だけ宿る。
「あの子たちは、自分たちの持つ『生活魔法』の本当の価値に、少しずつ気づき始めている。型にハマらない柔軟な発想と、三人揃った時の相乗効果……それは、かつての私たちが想像していた以上の可能性を秘めているよ」
「……あの子たちの未来を守るためにも、私たちはこの店でしっかり根を張って、支えてあげましょうね」
「勿論だ。バルガス殿やヴァルター殿もついている。今は焦らず、あの子たちの成長を見守ろう」
二人の会話を、二階へ続く階段の陰で静かに聞いていた人物がいた。
(森の『歪み』……?)
一葉だった。
妹と弟の寝顔を確認しに降りてきた一葉は、両親の思いがけない会話を耳にし、胸の奥に小さなざわめきを覚える。
両親が隠している昔のこと、そして森で起きている異変。
しかし、一葉は首を横に振ると、静かに足音を殺して階段を上った。
(どんなことが起きても、私は長女として二人を守る。この『グリーン・リーフ』の日常を、絶対に手放したりしない)
一葉の心に、静かだが強い決意が宿っていた。
翌朝。
澄み切った空の下、二葉と三葉は街の冒険者ギルド裏手にある広大な訓練場に立っていた。
朝露に濡れた砂利が踏みしめられる音が響く。
周囲には素振りに励む新人冒険者たちや、装備の点検を行うベテランたちの姿があった。
「おう! 来たな、二葉、三葉!」
豪快な声とともにやってきたのは、全身に使い込まれた革鎧を纏った大柄の男——Bランク冒険者のバルガスだった。その背には巨大な大剣が担がれている。
「バルガスさん! 今日はよろしくお願いします!」
二葉が元気よく挨拶し、三葉も深々と頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
「おう、頼もしい返事だ! ヴァルターの旦那から話は聞いてるぜ。お前さんたちの『生活魔法』を、実際の戦闘でどう活かすか……今日はとことん身体に叩き込んでやるからな!」
バルガスがニッと口角を上げ、木製の訓練用大剣を地面に突き立てた。
「まずは、お前さんたちの魔法の『発動速度』と『射程』、そして『組み合わせの工夫』の検証だ。準備はいいか?」
「はい!」
朝日を浴びながら、二葉と三葉の新たな試行錯誤の特訓が、いま始まろうとしていた。
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