第17話:スープパスタと、次への一手
昨日のワイルドボアとの遭遇から一夜が明けた。
『グリーン・リーフ』の厨房には、朝早くから香ばしい肉の香りと、にんにくやハーブの芳醇な匂いが立ち込めている。
一葉は仕込み台の上に置かれたボア肉の手触りを確かめ、満足そうに頷いた。
「三葉が綺麗に血抜きと不純物の除去をしてくれたおかげで、嫌な臭みが全くないわ。お肉の状態もすごく良い」
「本当? よかった……!」
三葉がほっと胸を撫で下ろす。素材の質を損なわずに下処理ができていたことに安堵したようだった。
「よし! それじゃあ今日は、このボア肉をじっくり煮込んだスープパスタを出そう!」
二葉がエプロンの紐をキュッと締め直し、腕まくりをする。
一葉は手際よく大きな深鍋にオリーブオイルを引き、細かく刻んだニンニクと唐辛子を弱火でじっくり温めて香りを引き出していく。
そこに、一口大に切り分けたワイルドボアの赤身肉を投入した。
ジューッという心地よい音とともに、香ばしい肉汁の香りが広がる。
「二葉、野菜のカットをお願いできる? トマトと玉ねぎ、セロリを大きめにね。三葉はスープの出汁をとるハーブの準備をして」
「任せて!【二生の根張】でまな板と包丁の軸を固定して……よし、均一な厚さで切るよ!」
トントントン、とテンポの良い刃音が厨房に心地よく響く。
三葉もまた、手帳を開いてハーブの香りを吟味していた。
「スープに溶け込むスパイスの抽出速度を揃えたいから……【三途の葉落】でハーブの不要なエグみ成分だけを軽く取り除いておくね」
「二人とも、すごく上手に魔法を料理に組み込めているわね」
一葉が目を細めて二人を褒めると、二葉と三葉は照れくさそうに笑い合った。
炒めた肉と野菜、そしてじっくり煮込んだスープを合わせ、隠し味に自家製の熟成醤油と白ワインを加える。
仕上げに一葉が【一輪の秒芽】を軽くかざし、スープ全体の旨味とハーブの立ち上る香りを一瞬で最高の状態に固定・調和させた。
「完成!『ワイルドボアと採れたて野菜の具だくさんスープパスタ』よ!」
一口試食した三人は、思わず目を輝かせた。
しっかりとした歯ごたえがありながらも柔らかくジューシーなボア肉。
その旨味が余すことなく溶け込んだトマトベースのスープが、もっちりとしたパスタによく絡み付いている。後味は驚くほど爽やかで、ハーブの香味が鼻を抜けていった。
午前十一時。開店の真鍮ベルが鳴ると同時に、店内は瞬く間に満席となった。
「いらっしゃいませ! 本日の日替わりランチは、獲れたてのボア肉を使ったスープパスタです!」
二葉が元気よくメニューを案内すると、カウンター席に座っていた冒険者のバルガスが目を丸くした。
「おいおい、ボア肉だって!? 最浅層じゃあ滅多にお目にかかれねえ代物じゃないか。一つ頼むよ!」
「僕もそれをいただこう。昨日のタルトも美味しかったが、肉料理も楽しみだ」
商業組合のヴァルターも興味深そうに注文した。
厨房から運ばれてきた湯気立つスープパスタがテーブルに置かれると、店内には一気に食欲をそそる芳醇な香味が広がった。
「うおっ……! なんだこの肉の柔らかさは! ボアの肉ってのはもっと硬くて臭みがあるはずだが……全く臭みがないぞ! スープの出汁も肉の旨味が強烈に出ていて、パスタに絡んで激ウマだ!」
バルガスが大口でパスタをすすり、肉を噛み締めながら絶賛する。
「ふむ……肉の不純物が実に見事に取り除かれている。それに、スープ全体の味が均一に引き締まっているな。素晴らしい出来だ」
ヴァルターも深皿を綺麗に平らげ、満足そうに息をついた。
「マスター、この肉はどうやって手に入れたんだ? 腕利きの冒険者から買い取ったのかい?」
バルガスに聞かれ、カウンター越しに仕込みをしていた二葉が少し気まずそうに苦笑いを浮かべた。
「実はね……昨日、私と三葉でトウカ草を摘みに行った時に、最浅層でバッタリ出くわしちゃって……」
「なにっ!? お前たちだけでワイルドボアに遭遇したのか!?」
バルガスが思わず声を張り上げた。周囲の冒険者たちも一斉にこちらを振り返る。
「大丈夫だったのか!? ワイルドボアはEランク冒険者がパーティで挑むような相手だぞ!」
「うん……何とか無事だったよ。魔法で突進を直接止めようとしたんだけど、全然パワーが足りなくて弾き飛ばされちゃって……」
二葉が当時の状況を話す。
「最終的には、三葉が足元の腐葉土を滑りやすくして、そのまま大木に激突して気絶したところを……なんとか肉だけ持ち帰ってきたの」
二人の話を聞いたバルガスとヴァルターは、感心したように深く頷いた。
「なるほどな……。直接力で勝てないなら、足元を奪って環境を利用する。それは駆け出しの冒険者が生き残るための正しい戦い方だぜ」
バルガスが腕を組み、真剣な表情で言った。
「だけどな、二葉、三葉。今回は運よく木にぶつかって気絶してくれたから良かったものの、相手がもっと賢いモンスターだったり、足場が悪い場所だったら全滅してたぞ」
「……うん。僕たちも身にしみて分かったよ。生活魔法をそのまま使うだけじゃ、急な戦闘には対応できない」
三葉が静かに手帳を握りしめる。
「そこでだ」
ヴァルターがメガネのフチを上げながら会話に加わった。
「二人は、魔法を『単体』で使おうとしすぎていないか? 魔法は発動の起点や、道具との組み合わせによって大きく性質を変える。特に君たちの生活魔法は、応用力が非常に高い」
「道具との組み合わせ……?」
二葉が首を傾げた。
「そうだ。例えば二葉ちゃんの【二生の根張】。自分の足を地面に固定するだけじゃなく、極小の粘着力として矢の先端やロープの端に付与できたらどうだ? 相手の関節や動きを縛ることができるかもしれない」
「あ……! 確かに、物に付与する発想はなかったかも……!」
二葉がハッとしたように目を見開いた。
「三葉君の【三途の葉落】もそうだ。対象の摩擦を奪うだけではなく、あらかじめ地面に不純物や水分を集めておいて、特定の足場だけを瞬間的に泥濘化させるようなトラップとして配置することもできるはずだ」
ヴァルターの助言に、三葉は手帳を開き、メモを書き込み始めた。
バルガスがグッと拳を握りしめ、二人にニカッと笑いかけた。
「どうだ? 次の休みにでも、俺がギルドの訓練場で二人の訓練に付き合ってやろうか?」
「本当!? バルガスさん、お願いしたいです!」
二葉が目を輝かせて即答した。三葉も深く頷く。
「ありがとうございます。僕たちの魔法で何ができるか、もっと試してみたいです」
厨房の奥で二人のやり取りを見守っていた一葉は、優しく微笑みながら温かい紅茶を二人の前に置いた。
「二人とも、無理だけはしないでね。でも……応援してる」
「うん! ひと姉!」
厨房に三人の声が重なり、店内には今日も香ばしい焼き立てパンとハーブの香りが穏やかに漂っていた。
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