第15話:商業組合の調査と、お店の看板メニュー
昨日の一件から一夜が明け、カフェ『グリーン・リーフ』にはいつもと変わらない穏やかな朝が訪れていた。
「二葉、スコーンの生地、ダマが残らないようにしっかり混ぜてね」
「はーい、ひと姉! 任せて! 今日の焼き加減もバッチリにしてみせるよ!」
「ふた姉、オーブンの予熱も完了してるよ。ひと姉、ハーブオイルの小瓶、こっちに置いておくね」
「ありがとう、三葉。助かるわ」
仕込みの手際もすっかり板に付き、三姉弟の連携は完璧だった。
一葉たちの生活にとって、冒険者ギルドでのハーブ買取や、ゴルド商会のような不躾な訪問者はあくまで「外の世界の些事」に過ぎない。
自分たちの本業はあくまでこのカフェの営業であり、美味しくて身体に優しいメニューをお客さんに届けることなのだ。
一二三が淹れる香ばしい珈琲の香りと、葉が焼く香ばしいブレッドの匂いが店内に満ちていく。
「よし、そろそろ開店の時間だね」
一二三が真鍮の時計を見上げ、優しく目を細めた。
しかし、十時を告げる真鍮のベルが鳴ると同時に店に入ってきたのは、常連客たちではなかった。
カランコロン。
「失礼する。ここが『グリーン・リーフ』かね?」
入ってきたのは、仕立の良い紺色のスーツを身にまとった眼鏡の男と、その部下らしき二人の記録員だった。
男は襟元に商業組合の公認徽章を光らせている。
「いらっしゃいませ。当店へようこそ……ですが、お客様でしょうか?」
一葉が落ち着いた対応で出迎えると、男は胸ポケットから一冊の書面を取り出し、広げて見せた。
「私はこの街の商業組合で査察官を務めている、ヴァルターという者だ。昨日、ゴルド商会の支店長より『無許可で異次元の効能を持つ薬品を販売し、不当な利益を得ている怪しい店舗がある』との告発が提出された」
「告発……ですか?」
一葉が首を傾げると、厨房から一二三と葉も表に出てきた。
「査察官殿、我が家は正当な手続きを経てカフェを営業しておりますし、ハーブの販売につきましても冒険者ギルドを通じて正規に納品しておりますが」
一二三が穏やかに、しかし毅然と言い放つ。
「ええ、事前に提出された営業許可証と納税記録に不備がないことは確認しております。ですが、あまりに突出した評判と、ゴルド商会からの異議申し立てがあった以上、組合としても現物調査を行わないわけにはいかないのです」
ヴァルター査察官は真面目で固い表情を崩さない。
どうやらゴルドは、昨日一葉たちに撃退された腹いせに、商業組合の権力を利用して店を潰そうと画策したらしい。
「分かりました。調査でも何でも受けて立ちますよ。僕たちはおかしな薬品なんて売っていませんから」
三葉が淡々と応じると、ヴァルターは手元の書類に目を通しながら頷いた。
「よろしい。では、告発にあった『特製ミズタマリハーブティー』と、今朝焼き上げたというスコーンを一杯ずつ提供していただこう。成分と効能を直接検証させてもらう」
「お待たせいたしました。特製ミズタマリハーブティーと、焼き立てベリースコーンのセットです」
一葉が丁寧に仕立てたティーセットを、ヴァルターの前のテーブルへ並べた。
透き通ったエメラルドグリーンのハーブティーからは、まるで森林浴をしているかのような清涼感あふれる香りが立ち上っている。
一緒に添えられたスコーンからは、バターの甘い香りとフレッシュなベリーの甘酸っぱさが漂っていた。
「ふむ……見た目と香りは素晴らしいが、見たまや香かしで誤魔化す薬品も多いからな」
ヴァルターは警戒感を解かないまま、ハーブティーのカップを手に取り、静かに一口口に含んだ。
次の瞬間——ヴァルターの手がぴたりと止まった。
(な……なんだ、この芳醇な香りと、喉を通り抜ける爽快感は……!?)
ヴァルターは日頃、朝から晩まで机に向かって大量の帳簿や申請書類を精査する生活を送っていた。そのため、慢性的な眼精疲労と、重い頭痛、そして肩こりに悩まされていたのだ。
だが、温かいお茶が喉を滑り落ちた瞬間、頭の奥にこびりついていた重いモヤが一気に吹き飛んだ。
視界が急速にクリアになり、ガチガチに固まっていた首から肩にかけての緊張が、まるで春の陽気に包まれた氷のようにスーッと解けていく。
「こ、これは……不快な薬臭さやエグみが一切ない……!? それなのに、長年私を悩ませていた眼精疲労が、嘘のように軽くなっていくぞ……!?」
「それは三葉が【三途の葉落】で茶葉の不純物を綺麗に取り除いて、ひと姉が【一輪の秒芽】で摘みたてのフレッシュさを保っているからですよ。特別な薬薬品なんて使っていません」
二葉が胸を張って説明する。
ヴァルターは震える手でスコーンを小さく一口かじった。
サクッとした心地よい食感とともに、果肉の形がしっかり残った自家製ベリージャムの濃厚な甘みが口いっぱいに広がる。ハーブティーとの相性は完璧で、口の中をさっぱりと整えてくれた。
「う……うまい……! 素晴らしい……! 魔法や薬効云々以前に、一軒のカフェのメニューとして極上のクオリティだ……!」
ヴァルターはすっかり固い表情を崩し、夢中でお茶を飲み、スコーンを完食してしまった。
「ふぅ……失礼、取り乱してしまった」
綺麗に空になった皿とカップを見つめ、ヴァルターは咳払いを一つして眼鏡の位置を直した。
「査察官様、いかがでしたでしょうか?」
一葉が微笑みながら尋ねる。
「……完全に私の不徳の致すところであった。このハーブティーにも菓子にも、有害な薬物や不当な魔術加工の痕跡は一切ない。純粋に、質の高い素材と丁寧な仕込み、そして淹れ手の技術によって作られた極上の逸品だ」
ヴァルターはきっぱりと言い切り、背後の記録員たちに記録を命じた。
「ゴルド商会からの告発は『虚偽の嫌がらせ』と認定する。あのような悪質な訴えで貴店の手を煩わせてしまったこと、商業組合を代表して深くお詫び申し上げたい」
ヴァルターは深々と頭を下げた。
「いえ、疑惑が晴れて良かったです。お仕事とはいえ、大変ですね」
一葉が優しく声をかけると、ヴァルターは少し照れくさそうに微笑んだ。
「……いやはや。それにしても、このお茶のおかげで長年の頭痛がすっかり良くなってしまった。これからは一人の客として、休みの日に通わせてもらっても構わないだろうか?」
「もちろんです! いつでも歓迎いたしますよ」
ヴァルターは笑顔で会計を済ませると、「ゴルド商会には厳重なペナルティを科しておきます」と言い残し、満足げな表情で店を後にしていった。
査察が無事に終わり、いつもの開店時間を迎えると、待ってましたとばかりに常連客たちが次々と店内に雪崩れ込んできた。
「一葉ちゃん! 今日も例のハーブティーとスコーン頼むよ!」
「トーマスさん、マリアさん、いらっしゃいませ! すぐにお持ちしますね」
「噂を聞いたぞ一葉ちゃん! 商業組合の査察官を追い返したんだって?」
「追い返したわけじゃありませんよ。ただ、うちのお茶を美味しく飲んでいただいたんです」
厨房では二葉が元気にスコーンを焼き、三葉が手際よく茶葉を用意し、一葉が一人ひとりのお客さんに笑顔でお茶を配っていく。
ゴルド商会が企んだ嫌がらせは、結果として商業組合のお墨付きを得る形となり、『グリーン・リーフ』の評判はさらに街中に広まることとなった。
だが、どれほど店が賑わおうとも、森羅家の日常が変わることはない。
「ひと姉、ふた姉、ハーブティーの注文追加! Berryスコーンもあと三セットだよ!」
「はい、すぐ用意するね!」
「任せて、三葉! 美味しく焼いてあげるから!」
大切な家族と共に、この小さなカフェで温かい一杯を届け続けること。
爽やかな風が吹き抜ける木漏れ日の中で、三姉弟の明るい笑い声が今日もカフェ全体に優しく響き渡っていたのだった。
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