第11話:試作のタルトと、思いがけない訪問者
「ふふ、とっても綺麗な赤色に焼き上がったわね」
『カフェ・シンラ』の厨房に、甘酸っぱく芳醇な香りが満ちていた。
一葉がオーブンから取り出したのは、昨日『エルム農園』から直接仕入れた『月光イチゴ』をふんだんに敷き詰めた特製イチゴタルトだ。
表面には薄く塗られたシロップが宝石のように光を反射し、香ばしく焼き上がったタルト生地からはバターの豊かな香りが漂っている。
「すごいよ、ひと姉! イチゴの形も色も、摘みたてのまま全然崩れてない!」
二葉が焼き立てのタルトを覗き込み、喉を鳴らした。
「三葉の仕込んだルビーレモンのシロップも、素晴らしい出来栄えだよ。酸味がまろやかで、タルトの甘みを引き立ててくれる」
三葉がガラス瓶に入った琥珀色のシロップをスプーンですくい、味を確かめながら手帳にメモを書き加える。
昨日の定休日に仕入れた最高級の果実とハーブは、三人の手によって『月光イチゴの特製タルト』と『ルビーレモンのフレッシュスカッシュ』という二つの試作メニューへと姿を変えていた。
「よし! それじゃあ開店前に、まずは三人で試食してみましょうか」
一葉がナイフで慎重にタルトを切り分け、三人分の小皿に盛り付ける。
サクッ、と音を立ててフォークを入れると、中からあふれ出すイチゴの果汁と、しっとりとしたクレームダマンド(アーモンドクリーム)が口の中で混ざり合った。
濃厚な甘みのあとに爽やかな酸味が広がり、疲れを一瞬で吹き飛ばすような多幸感が体中を駆け巡る。
「……美味しい! イチゴのジューシーさがそのままだから、生地の香ばしさと合わさって全然重たくないよ!」
「うん、これはお店の新しい目玉商品になるね。レモンスカッシュとの相性も抜群だ」
二葉と三葉が満足そうに顔を見合わせる。
「ええ、大成功ね。今日の開店から数量限定でメニューに加えてみましょう」
一葉が微笑み、三人は意気揚々と開店準備を進めた。
午前十一時。開店と同時に、店内は一葉たちの作る新メニューを目当てにした客で瞬く間に埋まった。
「いらっしゃいませ! 本日限定の『月光イチゴの特製タルト』と『ルビーレモンのスカッシュ』です!」
二葉が元気よく注文を取り、三葉が手際よくグラスに氷とシロップを注ぎ、一葉が丁寧にカットしたタルトを皿へ盛り付けていく。
「まあ……なんて美しいタルトなのかしら! イチゴがまるで生み立てみたいにフレッシュだわ!」
「スカッシュも爽やかで、飲むと頭がスッキリして力が湧いてくるみたいだ!」
店内のあちこちから感嘆の声が上がり、用意していた試作品は飛ぶように売れていった。
そんな賑わいを見せる店内に、カランコロンと静かなドアの音が響いた。
入ってきたのは、上質な漆黒の革鎧を身に纏い、背中に長弓を背負った一人の青年だった。
鋭い眼光と鍛え上げられたしなやかな体躯は、一目で腕利きの冒険者であることを物語っている。
青年は店内を見回すと、カウンターの空いている席に静かに腰を下ろした。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
一葉がメニュー表を差し出すと、青年は低く落ち着いた声で口を開いた。
「……ギルドで話を聞いた。ここで出しているハーブティーや果実のメニューには、優れた疲労回復効果があると」
「ええ、本日採れたてのハーブや果実を使ったお飲み物とお菓子をご用意しておりますよ」
「……では、その『月光イチゴのタルト』と『ハーブティー』を一つ頼む」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
一葉が手際よく準備を進め、数分後、青年の前に温かいハーブティーと綺麗なイチゴタルトが運ばれた。
青年は出された品をしばらく観察していたが、やがてハーブティーを静かに一口含んだ。
(……ほう。不純物が一切混ざっていない純度の高い魔力。喉を通った瞬間から、全身の筋肉の緊張が解れていくのが分かる……)
青年の瞳に微かな驚きの色が浮かぶ。続けて、フォークでタルトを口へと運んだ。
サクッとした食感とともに広がる、圧倒的な果実の瑞々しさと旨味。一口食べただけで、連日のダンジョン探索で蓄積していた体の芯の疲労が、まるで温かな湯に溶け出すように消え去っていく。
青年は無言のまま、あっという間にタルトとハーブティーを平らげてしまった。
「……美味かった。噂以上だ」
青年が満足そうに息を吐き、カウンター越しに一葉を見つめた。
「お気に召していただけて良かったです」
一葉が嬉しそうに微笑むと、青年は胸元から一枚の銀色のギルドプレートを取り出し、カウンターの上に提示した。
「名乗りが遅れた。俺はBランクパーティ『銀翼の風』のリーダー、アルフレッドという」
「Bランク……!」
厨房で作業をしていた三葉と二葉が思わず息を飲んだ。
Bランクといえば、王都でも数えるほどしか存在しない高級冒険者であり、数々の高難度ダンジョンを攻略してきた実力者たちだ。
「アルフレッド様ですね。本日はどのようなご用件でしょうか?」
一葉は姿勢を崩さず、いつも通りの礼儀正しい態度で向き合った。
アルフレッドはまっすぐな眼差しで一葉を見つめ、静かに本題を切り出した。
「単刀直入に言おう。我がパーティ『銀翼の風』は、近々ダンジョン『迷宮の庭』の第十層……『階層主』の討伐に挑む」
「階層主の討伐……」
三葉が手帳のページをめくる。最浅層でスライムと戦った自分たちとは違い、第十層の階層主といえば、並の冒険者パーティでは全滅を免れないほどの強力な魔物だ。
「第十層の環境は過酷で、長時間の戦闘による疲労と魔力消費が最大の敵となる。そこで、君たちが作るこのハーブティーと果実の保存技術……いや、その『調理物』を、遠征の補給物資として買い取らせてほしい」
「補給物資、ですか?」
一葉が首を傾げる。
「そうだ。一般的なポーションは即効性こそあるが、連続で使用すると身体に負担がかかり、味も悪く胃に障る。だが、君たちの作るお茶やお菓子は、体に負荷をかけることなく自然な形で魔力と体力を回復させてくれる。遠征用の保存食・補給食として、これ以上のものはない」
アルフレッドは真剣な表情で言葉を続けた。
「もちろん、相応の対価は払う。金貨十枚で、遠征に持参できる分のハーブティーの濃縮液と、保存の効く焼菓子を納品してもらえないだろうか」
金貨十枚という提示額に、二葉と三葉は驚きで固まった。Fランク冒険者の数ヶ月分の収入に匹敵する大金だ。
しかし、一葉は少し考えたあと、静かに首を横に振った。
「お話は大変ありがたいのですが……お引き受けすることはできません」
「なぜだ? 提示額が不服か?」
アルフレッドが眉をひそめる。
「いいえ、金額の問題ではありません。私たちは『カフェ・シンラ』の店員なのです。
遠征用の大量の納品をお引き受けしてしまうと、毎日お店を楽しみにしてくださる街のお客様に提供する分が足りなくなってしまいます」
一葉の言葉には、迷いやブレが一切なかった。
「それに、私たちの作っているものは、あくまでお店で美味しく召し上がっていただくための食べ物とお茶です。戦いのための『道具』として量産することは、私たちの本意ではありません」
一葉の凛とした返答に、二葉と三葉も隣に立ち、力強く頷いた。
店内が一瞬、静まり返る。
アルフレッドは一葉の目をじっと見つめていたが、やがてふっと口元を緩め、小さく笑った。
「なるほど……噂通り、ブレない店主たちだな」
アルフレッドは立ち上がり、テーブルに飲食代と大きめの銀貨を置いた。
「無理を言ってすまなかった。だが、君たちのポリシーは理解した。ならば……納品ではなく、遠征の前に全員で店へ立ち寄り、ここで茶と菓子を腹いっぱい食べてから挑むことにしよう。それなら問題ないな?」
「ええ! もちろんです。いつでも歓迎いたしますよ」
一葉がパッと表情を明るくし、温かい笑みを返した。
「楽しみにしている。……ごちそうさまだった」
アルフレッドは満足そうに頷くと、軽やかな足取りで店を後にしていった。
「ふぅー! Bランクの冒険者さんなんて初めて見たから、すごく緊張しちゃったよ!」
二葉が胸に手を当てて息を吐く。
「でも、ひと姉の言う通りだね。僕たちの本業はお店をしっかり営業することだから」
三葉も頷きながら、手帳に今日の出来事を記録する。
「ええ。どんなに強い冒険者様でも、街の小さなお客様でも、お店に来てくださる方には最高の品をお出しする……それが私たちのカフェですものね」
一葉が優しく二人の頭を撫でた。
自分たちの作った味が、街の評判を呼び、ついにBランクという高位の冒険者の耳にまで届き始めていた。
けれど、森羅家の三姉弟の足元が揺らぐことはない。
今日も明日も、美味しいコーヒーとお菓子を用意して、客の笑顔を迎えること。
その変わらぬ日常こそが、彼らの確かな歩みそのものだった。
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