第54話 学校でもできる距離
朝の教室は妙に騒がしかった。
俺は自分の席に座ったまま、周囲から聞こえてくる声に耳を傾ける。
「なぁ、やっぱり喧嘩したんじゃね?」
「絶対そうだろ」
「昨日まであんなに一緒にいたのにな」
「今日は全然話してないし」
話題の中心は俺と前川さんだった。
どうやらクラスの連中は、俺たちが喧嘩したと思っているらしい。
無理もない。
現に。
いつもなら俺の席の近くにいるはずの前川さんの姿がなかった。
朝になれば自然と俺の席へやって来る。
授業の準備をしながら雑談して。
どうでもいい話で笑い合う。
それが最近では当たり前になっていた。
だが今日は違う。
「それでさー」
「あははっ!」
前川さんは後藤さんの席にいた。
女子同士で楽しそうに話している。
笑顔だっていつも通りだ。
誰が見ても普通に見える。
ただ1つだけ。
明らかに普通じゃないことがあった。
ちらり。
前川さんがこちらを見る。
俺と目が合いそうになる。
すると。
ぱっと視線を逸らした。
まるで悪戯を見つかった子供みたいに。
「……」
数秒後。
またちらり。
今度は俺が視線を向けていなかったからだろう。
前川さんは少しだけ長くこちらを見ていた。
その視線は完全に俺へ向いていた。
だが。
俺が何気なく顔を上げた瞬間。
また慌てて後藤さんの方を向く。
「ね、ねぇ七海! 」
「え? う、うん?」
明らかに挙動がおかしい。
後藤さんも困惑していた。
たぶん。
昨日のことを意識しているのだろう。
俺だって同じだ。
だから話し掛けられない。
だから近付けない。
だから余計に周囲からは喧嘩したように見える。
そんな時だった。
「なあ」
渡辺が前川さんへ声を掛けた。
その顔にはどこか期待が見える。
クラス中が喧嘩したと思っている。
つまり渡辺からすれば。
俺が脱落したように見えているのだろう。
「大江と喧嘩でもしたのか?」
「別に」
前川さんは即答した。
だが。
その返事と同時にちらっと俺を見る。
ほんの一瞬だけ。
それを見た俺は思う。
絶対に別にじゃない。
「でも最近ずっと一緒にいたじゃん」
渡辺はなおも食い下がる。
「今日は全然話してないし」
「だから?」
前川さんの声が少し冷たくなる。
だが渡辺は気付いていない。
むしろ脈ありだと思っているのかもしれない。
「ならさ」
渡辺はニヤリと笑った。
「大江とダメになったなら俺と――」
「うるさい」
空気が凍った。
教室中の視線が集まる。
渡辺の笑顔が固まった。
「え?」
「話し掛けてこないで」
前川さんは冷たい目で渡辺を見る。
さっきまで後藤さんと笑っていた人とは思えなかった。
「眼中にないから」
教室が静まり返る。
そして次の瞬間。
誰かが吹き出した。
「ぶっ」
「眼中にないって」
「容赦なさすぎだろ」
男子たちが肩を震わせる。
渡辺の顔はみるみる赤くなった。
「いや、俺は別にそういう意味じゃ……」
「さっきの続きだけど」
前川さんは完全無視。
視線すら向けない。
まるで最初から存在していなかったかのように。
完全敗北だった。
「……」
「……」
「渡辺、強く生きろ」
「ドンマイ」
「玉砕おめでとう」
男子たちの追撃が飛ぶ。
渡辺は何も言い返せない。
肩を落としたまま自分の席へ戻っていった。
近くにいた桜井が慰めているが、傷は深そうだった。
俺は思わず苦笑する。
すると。
前川さんがまたこちらを見た。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
目が合う。
すると前川さんの肩がぴくっと揺れた。
そして慌てたように顔を逸らす。
だが。
耳だけは少し赤かった。
「……」
「……」
学校でも。
俺たちの間には距離ができてしまっていた。
それなのに。
前川さんの視線だけは、何度も何度も俺を追い掛けていた。




