第49話 なんかデートみたいだね
ショッピングモールの自動ドアが開く。
その瞬間、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
「わぁ、涼しいね」
隣を歩く前川さんが、嬉しそうに声を漏らす。
学校帰り。
俺と前川さんは制服のまま、駅前のショッピングモールへとやって来ていた。
俺から誘ったわけではない。
後藤さんからの勧めだ。
断る理由も見つからず、気付けばここまで来ていた。
だが。
「……」
中に入った瞬間、俺は足を止めてしまう。
「真春君?」
前川さんが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「どうしたの?」
「いや……」
俺は館内を見渡す。
広い通路。
吹き抜けになった天井。
左右に並ぶ店。
そして、そこを行き交う大量の人。
制服姿の学生。
買い物袋を持った主婦。
スーツ姿の会社員。
ベビーカーを押す家族連れ。
手を繋いで歩くカップル。
平日の放課後だというのに、人が多すぎる。
「人、多くない?」
思わず本音が漏れた。
前川さんは周囲を見回す。
「そうかな? 普通だと思うけど」
「これで普通なの? 」
「うん。休日はもっとすごいよ?」
「……休日には来たくないな」
「あははっ。真春君、人混み苦手なんだね」
「得意な奴の方がおかしいと思う」
「そんなことないと思うけどなぁ」
前川さんは楽しそうに笑う。
その笑顔を見ると、少しだけ緊張が緩む。
しかし、すぐに目の前を通り過ぎる人の多さに圧倒される。
学校とは違う。
教室の中なら、人数は限られている。
誰がどこにいるかも大体分かる。
だが、ここは違う。
見知らぬ人間が次から次へと視界に入ってくる。
それだけで、妙に疲れる。
「大丈夫?」
前川さんが心配そうに聞いてくる。
「一応」
「一応なんだ」
「まだ帰りたいとは言ってない」
「それ、半分くらい帰りたいって言ってるよね?」
「そうなのかな? 」
「もう」
前川さんは頬を膨らませる。
その仕草が妙に可愛くて、俺は視線を逸らした。
「せっかく来たんだから、楽しもうよ」
「そうだね」
「うん。その意気だよ」
前川さんは満足そうに頷く。
そして。
「じゃあ、行こっ」
そう言って、自然に俺の制服の袖を掴んだ。
「……」
「あっ」
前川さんは自分の行動に気付いたのか、少しだけ目を丸くする。
「ご、ごめん。人多いから、はぐれたら困ると思って」
「いいけど」
「本当?」
「うん」
俺がそう答えると、前川さんの表情がぱっと明るくなる。
「じゃあ、このまま行くね」
前川さんは嬉しそうに俺の袖を掴んだまま歩き出す。
たったそれだけのことなのに、妙に意識してしまう。
腕を掴まれているわけではない。
手を繋いでいるわけでもない。
ただ制服の袖を軽く掴まれているだけ。
それなのに、隣に前川さんがいることを強く感じてしまう。
人混みの中を歩く。
前川さんは慣れているのか、自然な足取りで進んでいく。
俺はその少し後ろを歩く。
まるで前川さんに引っ張られているみたいだった。
「真春君、あそこ見て」
前川さんが指を差す。
中央の広場では、何かのイベントが行われているらしい。
小さなステージが設置され、子供たちが集まっていた。
「賑やかだな」
「ね。楽しそう」
「俺にはちょっと眩しい」
「眩しい?」
「平和すぎて」
「なにそれ」
前川さんは笑う。
俺も少しだけ口元が緩んだ。
こうして誰かと放課後に寄り道すること自体、俺にはほとんど経験がない。
学校が終われば、基本的には1人で帰る。
誰かと一緒に遊びに行くこともない。
ましてや、女子と2 人でショッピングモールに来るなんて、少し前の俺なら絶対に想像していなかった。
「真春君」
「なに?」
「今、楽しい?」
急にそんなことを聞かれる。
俺は少し考える。
人は多い。
落ち着かない。
できれば静かな場所に行きたい。
けれど。
「……楽しいよ」
そう答えた。
すると前川さんは嬉しそうに笑った。
「そっか。よかった」
「それでいいの?」
「うん。真春君が楽しいから私は大満足」
「本当に? 」
「うん、ほんとほんと」
前川さんは首を何度も縦に振る。
「あっ」
その時だった。
前方から小さな男の子が走ってきた。
母親らしき女性が後ろから慌てて追いかけている。
男の子は周囲を見ていない。
このままだと、前川さんにぶつかる。
「危ない」
俺は反射的に前川さんの肩を引き寄せた。
「きゃっ」
前川さんの身体が俺の方へ寄る。
男の子は俺たちの前を走り抜け、そのまま母親に捕まった。
「すみません!」
母親が慌てて頭を下げる。
「いえ、大丈夫です」
俺は軽く答える。
そして、気付く。
前川さんがすぐ近くにいる。
肩を引き寄せたせいで、距離がほとんどない。
制服越しでも、体温が伝わりそうなほど近い。
「……」
「……」
前川さんも気付いたのか、顔を赤くしている。
「ご、ごめん」
俺は慌てて手を離す。
「あ、ううん。ありがとう」
前川さんは俯きながら答える。
さっきまで楽しそうに話していたのに、急に大人しくなった。
俺も何を言えばいいのか分からない。
変な沈黙が生まれる。
人混みの騒がしさだけが、俺たちの間を通り抜けていく。
「……真春君って」
「ん?」
「そういうところ、ずるいよね」
「そういうところ?」
「なんでもない」
前川さんは小さく首を振る。
そして、再び俺の袖を掴んだ。
今度はさっきより少しだけ強く。
「行こ」
「ああ」
俺たちは再び歩き出す。
心臓の音が、少しうるさかった。
しばらく歩いていると、前川さんが急に足を止めた。
「真春君、あそこ行きたい」
前川さんが指差した先には、派手な光と音が溢れる場所があった。
ゲームセンター。
入口付近にはクレーンゲームが並び、奥からは音楽ゲームのリズム音やメダルゲームの音が聞こえてくる。
「ゲームセンター? 」
「うん!」
「前川さん、こういうところ好きなのか?」
「好きっていうか、友達とたまに来るよ」
「へぇ」
「真春君は?」
「ほとんど来ない」
「やっぱり」
「やっぱりってなんだ」
「真春君、ゲームセンターで遊ぶより家で静かにしてそう」
「それは否定できないよ」
実際、その通りだ。
ゲームセンターは金を使う場所という印象が強い。
音も大きいし、人も多い。
俺にとっては、あまり積極的に行きたい場所ではない。
けれど、前川さんは目を輝かせている。
「ちょっとだけ。ね?」
「……ちょっとだけなら」
「やった」
前川さんは嬉しそうにゲームセンターの中へ入っていく。
俺もその後に続く。
中に入ると、さらに音が大きくなった。
電子音。
景品が落ちる音。
誰かの歓声。
アナウンス。
様々な音が混ざっている。
「すごいな」
「真春君、顔が固いよ」
「耳が忙しい」
「耳が忙しいって表現、初めて聞いた」
前川さんは楽しそうに笑う。
俺は周囲を見渡す。
クレーンゲームにはぬいぐるみやお菓子が入っている。
奥にはレースゲームや音楽ゲーム。
学生らしきグループも多い。
制服姿の俺たちも、特別目立っているわけではない。
それなのに、妙に周囲の目が気になる。
女子と2人でいるからだろうか。
いや、意識しすぎか。
「真春君、これ見て」
前川さんが一台のクレーンゲームの前で止まる。
中には小さな猫のぬいぐるみが入っていた。
「可愛い」
「そうだね」
「取れるかな?」
「う〜ん?どうだろう」
「真春君、得意そう」
「どこを見てそう思うの? 」
「なんとなく」
「1番信用できない理由だな」
そう言いつつ、俺は財布を取り出す。
「やるの?」
「1回だけ」
「本当? ありがとう!」
前川さんが嬉しそうにする。
その反応を見て、少しだけ後悔した。
一回で取れなかったら、期待させただけになる。
俺は100円を入れる。
クレーンが動く。
操作は単純。
だが、狙いどころが分からない。
「もうちょっと右」
「右か」
「あ、行きすぎかも」
「どっちだよ」
「ごめん、分かんない」
「正直でよろしい」
前川さんの声に合わせながら、俺はボタンを押す。
クレーンが下がる。
猫のぬいぐるみの胴体を掴む。
少し持ち上がった。
「あっ」
前川さんが声を上げる。
しかし、すぐにぬいぐるみは落ちた。
出口には届かない。
「惜しい!」
「今の惜しいの?」
「惜しいよ! もう1回!ファイト! 」
「わ、分かった」
「お願い」
前川さんが上目遣いで見てくる。
「……」
ずるい。
これはずるい。
「あと1回だけね」
「やった!」
結局、俺はもう1度100円を入れる。
今度はさっきより少し奥を狙う。
クレーンが下りる。
ぬいぐるみを掴む。
持ち上がる。
ゆらゆらと揺れながら、出口の方へ動く。
「いける、いける」
前川さんが小さく呟く。
俺も思わず見守る。
そして。
ぽとん。
猫のぬいぐるみが出口に落ちた。
「取れた!」
前川さんが声を弾ませる。
「本当に取れるとは思わなかった」
「真春君すごい!」
「運だろ」
「でもすごい!」
前川さんは満面の笑みでぬいぐるみを取り出す。
そして、大事そうに抱き締めた。
「可愛い」
「よかったな」
「うん」
前川さんはぬいぐるみを見つめた後、俺を見る。
「これ、もらっていいの?」
「前川さんが欲しがったんだろ」
「でも真春君が取ってくれたから」
「俺が持ってても仕方ない」
「……じゃあ、大事にするね」
前川さんはそう言って、ぬいぐるみを胸元に抱いた。
その表情が本当に嬉しそうで。
たった200円でこんな顔をされるなら、悪くないと思ってしまった。
「真春君」
「ん?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
少し照れくさくなって、俺は視線を逸らす。
その先に、別の機械が見えた。
大きなカーテン。
派手な文字。
女子高生たちが楽しそうに並んでいる。
嫌な予感がした。
いや、正確には、前川さんがそこを見つけた瞬間に察した。
「あっ」
前川さんの目が輝く。
「真春君」
「嫌だ」
「まだ何も言ってないよ?」
「言わなくても分かる」
「プリクラ撮ろう」
前川さんは猫のぬいぐるみを抱えたまま、プリクラ機を指差す。
「今日の記念に撮りたい」
「俺、そういうの慣れてないんだけど」
「大丈夫。私もそこまで慣れてないから」
「さっき友達と来るって言ってなかったか?」
「プリクラはたまにだよ」
「たまに撮ってる時点で俺より上級者だ」
「真春君、難しく考えすぎ」
前川さんは笑う。
「ただ写真撮るだけだよ」
「その写真が普通じゃないだろ」
「盛れるよ?」
「盛らなくていい」
「真春君、盛ったら絶対かっこいいと思う」
「機械に頼ったかっこよさはいらない」
「じゃあ、頼らなくてもかっこいいってこと?」
「そういう意味じゃない」
前川さんは楽しそうに笑う。
完全に遊ばれている。
「ね、撮ろう?」
「……」
「今日、初めて2人でショッピングモール来たんだよ?」
その言葉に、少しだけ返答が遅れる。
初めて2人で。
確かに、そうだ。
俺にとっても、これは初めてのことだ。
学校帰りに女子と2人でショッピングモールに来る。
人混みに圧倒されて。
ゲームセンターでぬいぐるみを取って。
そして、プリクラを撮る。
普通の高校生なら、珍しくもないことなのかもしれない。
けれど、俺にとっては違う。
少し前の俺には、きっとあり得なかった時間だ。
「分かった。いいよ」
俺がそう言うと、前川さんの顔がぱっと明るくなる。
「うん!」
こうして俺は、前川さんに連れられてプリクラ機の中へ入ることになった。
カーテンの内側は、外よりもさらに落ち着かない空間だった。
狭い。
妙に明るい。
画面には可愛らしい文字が並んでいる。
そして何より、前川さんとの距離が近い。
「真春君、こっち」
「オッケー」
「もっと真ん中」
「真ん中ってどこ? 」
「ここ」
前川さんが俺の袖を引く。
自然と肩が近付く。
「ち、近くないか?」
「2人で撮るんだから近くないと入らないよ」
「そういうものなのかな? 」
「そういうものです」
前川さんは得意げに言う。
画面の案内が進む。
撮影が始まるらしい。
『1枚目、撮るよ!』
機械の明るい声が響く。
「真春君、笑って」
「急に言われても無理だ」
「じゃあ、普通でいいよ」
「普通なら任せろ」
「それ、ちょっと悲しい」
ピカッ。
フラッシュが光る。
1枚目が撮られた。
「今の真春君、真顔だった」
「普通でいいって言ってたから」
「普通すぎるよ」
「難しい注文だな」
『2枚目、ポーズを決めてね!』
「次はピース!」
前川さんがピースを作る。
俺も仕方なく真似をする。
「もっと楽しそうに」
「これが限界だ」
「真春君らしいけど」
ピカッ。
2枚目。
『3枚目! もっと近づいてね!』
機械まで余計なことを言い始めた。
「あははっ」
前川さんが笑う。
その瞬間、前川さんが少しだけ俺に寄った。
肩が触れる。
「……」
「……」
俺たちは一瞬だけ固まる。
しかし、機械は待ってくれない。
ピカッ。
3枚目が撮られた。
「あ、今の」
前川さんが画面を見る。
そこには、肩を寄せ合った俺たちが映っていた。
前川さんは少し驚いた顔。
俺も微妙に固まっている。
なのに、なぜか写真としては悪くない。
「……いい感じだね」
前川さんが小さく言う。
「そうか?」
「うん」
前川さんの耳が少し赤い。
それを見て、俺まで妙に意識してしまう。
『最後だよ!』
「最後はどうする?」
前川さんが聞いてくる。
「普通で」
「また?」
「普通が一番安全だ」
「じゃあ……」
前川さんは少し考えた後、猫のぬいぐるみを俺たちの間に持ち上げた。
「これと一緒に」
「ああ、それならいいな」
「うん」
2人でぬいぐるみを見る。
前川さんが笑う。
俺も少しだけ笑えた気がした。
ピカッ。
最後の撮影が終わる。
ようやく解放されたと思ったが、まだ終わりではなかった。
次は落書きらしい。
画面に撮影した写真が表示される。
「すごいな」
俺は思わず呟く。
「何が?」
「別人みたいだ」
「盛れてるね」
「目が大きくなってないか?」
「プリクラだからね」
「怖い技術だ」
「怖くないよ。可愛いでしょ?」
「前川さんは元から可愛いだろ」
「えっ」
言ってから気付く。
前川さんが固まっていた。
俺も固まる。
しまった。
今、かなり自然に言ってしまった。
「い、いや、今のは」
「……」
前川さんは顔を真っ赤にする。
「そ、そういうこと、急に言うのずるい」
「悪い」
「謝らなくていいけど……」
前川さんは俯く。
その反応を見ると、余計に恥ずかしくなる。
落書きの時間がどんどん減っていく。
「あ、時間」
前川さんが慌ててペンを持つ。
「何描くんだ?」
「えっと、今日の日付と……」
前川さんは写真の端に日付を書く。
そして、猫のぬいぐるみの横に小さなハートを描いた。
「ハートいるのか?」
「いるよ」
「そうなのか」
「記念だから」
前川さんは当然のように言う。
さらに、俺と前川さんの間にも小さな文字を書いた。
『初ショッピングモール』
「……」
その文字を見て、俺は少しだけ胸が温かくなる。
本当に、これは前川さんにとって記念なのだろう。
ただの学校帰りの寄り道ではなく。
俺と来た、初めてのショッピングモール。
そう思ってくれているのだ。
「できた」
前川さんが満足そうに言う。
プリクラが印刷される音が聞こえる。
機械の外に出ると、前川さんがプリントされた写真を受け取った。
「わぁ」
前川さんは嬉しそうに眺める。
「いい感じ」
「俺はやっぱり別人だな」
「そんなことないよ。真春君だよ」
「そうか?」
「うん。私には分かる」
その言い方が少し照れくさかった。
前川さんはプリクラを丁寧に分ける。
そして、その一枚を俺に差し出した。
「はい」
「俺も持つのか?」
「当たり前だよ」
「なくしそうなんだけど」
「なくしたら怒る」
「それは困るな」
「じゃあ、大事にして」
前川さんは真剣な顔で言う。
俺は差し出されたプリクラを受け取る。
小さな写真。
制服姿の俺と前川さん。
猫のぬいぐるみ。
初ショッピングモールの文字。
それを見ていると、妙な気持ちになった。
自分のものではないような。
けれど、確かに今日の自分たちの時間が切り取られているような。
「……分かった。大事にする」
俺がそう言うと、前川さんは嬉しそうに笑った。
「うん」
その笑顔を見て、俺は思う。
人混みは苦手だ。
ゲームセンターも慣れない。
プリクラなんて、今でも少し恥ずかしい。
けれど。
前川さんとなら、悪くない。
そう思ってしまった。
「真春君」
「なんだ?」
「また来ようね」
前川さんが猫のぬいぐるみを抱きながら言う。
その声は、少しだけ不安そうだった。
だから俺は、なるべく自然に答えた。
「ああ。また来よう」
すると前川さんは、今日一番嬉しそうに笑った。
その笑顔を見た瞬間。
俺はまた1つ、断れない約束をしてしまったのだと気付いた。




