第42話 長い一日の終わり
数人の王国騎士に縄を掛けられたレーヴを、俺は横目で見送った。
随分とタイミングのいい到着だと思い、その様子を見つめていると、それを察したのかニナが静かに歩み寄ってきた。
「事前に文を出していましたので」
そう耳打ちされる。
「最初から、この筋書きを描いていたのか?」
レーヴの悪行に気づきながらも、今回の一連の出来事を仕組んだ張本人なのか確かめたかった。ニナはまっすぐ俺を見つめ、小さく微笑む。
「ええ、そうですね。わたしたちは、ずっと機会を窺っていました」
多少の驚きはあったが、意外というほどではなかった。
短期間でレーヴを追い詰めるには、あまりにも状況が整いすぎていたからだ。
ふと視線を外し、天井を見上げる。その時、見慣れた人影がこちらへ歩いてきた。
「まさか、本当にここまでやるとは驚いたぞ」
姿を見せるなり声を掛けてきたのは、懇意にしていた情報屋だった。
レーヴの屋敷へ向かおうとしたあの日、煙草を持ってニナを訪ねろと助言した人物。あれは偶然ではなく、明確な意図があって俺を動かしたのだ。
「最初から、こうなると分かっていたのか?」
「そんなわけないさ。いくつもの偶然が、うまく重なっただけだ」
その口調は、いつものように用件だけを伝えるものではなかった。
どこか嬉しそうな響きが混じっている。
「まず、お前は何者なんだ?」
聞きたいことは山ほどあった。
これまで無駄話を交わしたことはない。互いに必要なことだけを話す関係だった。そんな相手に初めて踏み込んだ質問を投げかける。
「わたしもニナも……王国の役人だ。数年前からレーヴを探っていた」
それを聞けば、今回の出来事に関わっていた理由にも納得できる。
だが一方で、国がここまで動いていたことには疑問も湧いた。
そんな考えを見透かしたように、情報屋は苦笑する。
「細かいことは、いずれ話す時が来るだろう。以前のお前は少し変わった子供だと思っていた。だが、まさかここまでの騒動を起こし、最後までやり遂げるとは……あの頃は想像もしなかったよ」
その言葉には、これまで聞いたことのない感情が宿っていた。今になって思えば、情報屋と知り合った頃には、こんな未来など想像もしていなかった。
最後に、一つだけ尋ねる。
「なぜ俺を動かした? ニナと会わせないという選択もあったはずだ」
少しの沈黙。やがて情報屋は、静かに口を開いた。
「……この国は病に侵されている。しかも、かなり深刻にな。だからこそ、その病に染まっていない人間が必要だった。お前を利用した理由は、それだけだ」
責められると思ったのか、その言葉は珍しく歯切れが悪かった。
今回の一件には、国――あるいは一部の派閥の思惑が絡んでいたのだろう。
二度と同じことはないと信じ、それ以上は追及しないことにした。
俺の様子を見た情報屋は、小さく頷く。
「これからのことだが、一度村へ戻るといい。馬車はこちらで用意してある。レーヴ周辺の処理が済んだら、ニナから文を出させる」
「シノも連れて帰るが、問題ないか?」
「もちろんだ。今の彼女は、側室でも何でもない」
それで話は終わった。これ以上聞かされても、今の俺には整理しきれない。
情報屋は軽く手を挙げ、そのまま広間の出口へ向かう。
ニナも俺に一礼すると、その後を追って歩き出した。
最後に二人はフラウへ深く頭を下げる。
しかし、聖女候補は何も言わず、静かに見送るだけだった。
◇
閑散とした広間を見渡す。周囲の気配が落ち着くのを待っていたかのように、シノがそっと俺の顔を覗き込みながら近づいてきた。
言葉は出なかった。何かを話そうとしていたのは分かっていた。
それでも、俺の身体は先に動いていた。正面から、シノを強く抱きしめる。
――ずっと、こうしたかった。無事だと確かめるまで、気が気ではなかった。
何度、この光景を夢に見ただろう。洗礼の日から今日までの日々が、一気に脳裏を駆け巡る。
「……っ、リオス。少し……苦しい、かも」
どうやら力を入れすぎていたらしい。
「ああ。すまない」
腕を緩めると、俺たちの間に少しだけ距離が生まれる。だが、その距離を埋めたのはシノだった。胸元へ顔をうずめ、小さな嗚咽を漏らす。
ずっと会いたかった。もう一度、触れたかった。
シノは何度も泣きながら俺の名を呼んでいた。
その温もりを胸に感じながら、ようやく実感が湧いてくる。
――俺は、成し遂げたのだ。
どれほどの時間、そうしていただろうか。
少し落ち着いたシノへ向けて、俺は静かに口を開く。
「一緒に帰ろう」
短く、それだけを告げた。
あの夜、掴めなかった手は、今も変わらず細く白かった。
◇
屋敷の外へ出ると、シノを馬車の荷台へ乗せる。
少し離れた場所にはフラウが立っていた。
丁寧に刈り込まれた芝生の庭に佇むその姿は、一枚の絵画のように美しい。
俺が近づくと、フラウは唇に小さな笑みを浮かべた。
けれど、その笑みはどこか儚く、瞳の奥には拭いきれない寂しさが揺れていた。
「……フラウ?」
「どうしましたか、リオス。熱々の再会は、わたしの火針と比べて、どちらが熱かったですか?」
……気のせいだったのだろうか。
返ってきたのは、いつもと変わらないフラウの調子だった。
それにしても、相変わらず返答に困る質問をしてくる。
疲れていたこともあり、まともに答える気力はない。
「えっと……今回のことは、フラウがいなければどうにもならなかった。本当に助けられた」
この掴みどころのない聖女候補がいなければ、俺は途中で行き詰まっていただろう。流刑地での探索も。今日、この場での最後のひと押しも。
そのすべてを支えてくれた。だからこそ、感謝してもしきれない。
「よければ、一緒に村へ来ないか? 礼をさせてもらいたい」
「ええ。いい心がけですね、リオス。では、わたしの望むお礼をしてもらいましょうか」
再び浮かぶ、小さな笑み。次の瞬間には口角が吊り上がり、いつもの悪い顔をした笑顔へと変わっていた。背筋がぞくりとする。
さすがに常識外れの要求はされないと思いたい。
……思いたいだけだが。
「じゃあ、フラウも乗ってくれ」
馬車を指差して歩き出す。フラウも静かに後ろをついてきた。
ふと、どうしても聞いておきたいことを思い出す。
あとで取り返しのつかないことになっては困る。
「ちなみに……フラウには敬語を使ったほうがいいのか?」
こんなことを聞いていいのか迷ったが、また罪人にされるのは御免だ。
歩きながら恐る恐る尋ねる。
フラウはきょとんと目を丸くした。
「っ……ぷっはは」
堪えきれなくなったように笑い出す。
その様子を見て、俺の不安はさらに大きくなった。
そんなことも分からない国民は、非人道的な扱いを受けるのだろうか……。
「ははっ……本当に、あなたは」
笑いを落ち着かせるように息をつき、フラウは俺を見上げた。
「リオスは今のままでいいですよ。一緒に冒険して、夜も共にした仲じゃないですか」
不敬で処刑される心配はなさそうだ。
……だが、言葉だけ切り取ると妙に誤解を招く。
この空気から逃げたくて、慌てて話題を変える。
「……そういえば、一つ聞いていいか」
「はい?」
「聖女候補って、そんなに偉いのか?」
もう少し気の利いた話題を振れればよかったのだが、俺には無理だった。
結局、思いついたのはそれだけだった。
「まあ、偉いでしょうね。国の象徴ですから。地位だけで言えば……かなり上のほうですよ」
本人は何でもないことのように言う。実にフラウらしい。
だが、それを聞いた途端、村へ連れて行って本当に大丈夫なのかという不安が増した。
とはいえ、もう馬車は目の前だ。今さら撤回するわけにもいかない。
それに――振り回されっぱなしではあるけれど。
こんな関係を、俺は嫌いではなかった。
(候補っていうのが気になるな。あとで詳しく聞いてみるか……)
三人が馬車へ乗り込む。
やがて御者が手綱を鳴らし、ゆっくりと車輪が回り始めた。
屋敷を離れ、村へ向かう帰路。
ようやく、本当の意味で長い一日が終わろうとしていた。




