第41話 最低限でいい
目の前では、レーヴが力なく座り込んでいた。
「お前は、側室に迎えた女たちを魔物に喰わせていたんだな?」
自分でも驚くほど冷静な声だった。
地下に、もう助けられる者はいないのだと悟っていたからだ。
「ふ、ふふ……ははっ」
レーヴが乾いた笑いを漏らす。
「そうだ……見てのとおりだ。あの魔物は美しい女を喰うと、上質な糸を吐き出す。それがな、高値でよく売れる。だから喰わせた」
悪びれた様子は微塵もない。
「なぜ、そんなことをした?」
「貴族が貴族であり続けるには、必要なことだ。領主という立場には、格式も金も、いくらあっても足りん」
そこにあるのは、自分本位な理屈だけだった。
「それに――」
レーヴの目に、生気が戻ったように見えた。
「私に何も与えなかった側室を再利用しただけだ。当然であろう? 貴族の家に貢献できない者など、邪魔でしかない。それを有効活用しただけだ」
レーヴはなおも言葉を続ける。
「小僧、そんな私を断罪できて、さぞ気持ちがいいのだろう。さきほどの戦いでも、貴様がそこの娘の加護を既に得ていたとはな。――なぜだ! なぜ貴様のような醜い奴が得られて、私には回ってこない! 何度も、何度も試してきたんだぞっ!」
口角に泡を溜めながら、鬱憤を吐き出すように叫ぶ。
「……お前みたいな顔の人間が」
レーヴは俺を睨みつける。
「どうしてだ。答えてみろ」
その視線は俺の顔から首に下げた認識票へ、さらに後ろに立つシノ、フラウ、ニナへと移っていった。
「醜いから、たった一人を大切にしようとした。だから結果的に得られた。それだけだ」
シノから加護を授かった理由は、本当にそれくらいだと思う。
他に理由なんてない。そして、たとえ加護がなくても、俺は同じことをした。
「はっ、綺麗事だな。そんな戯言など聞く価値もない。私の置かれた状況で、どうすればよかったのか答えられるのか?」
俺は綺麗事を語るつもりはない。
二度目の人生で辿り着いた答えを、ただ真っ向からぶつける。
「逃げれば、よかっただろう」
「……なに?」
俺を睨みつける視線が、一段と鋭くなる。
「貴族のしがらみから逃げて、生きればよかった」
一瞬、レーヴは呆気に取られたような顔をした。
次の瞬間、腹を抱えて笑い始める。
「はははっ! 逃げる? この私が? すべてを捨てろと言うのか!」
「ああ」
迷いなく答える。
「全部捨ててもいい。貴族のままで別のやり方を探してもよかった。それでも、人を喰わせるよりは、ずっとましだ」
笑い声が止まる。
レーヴの顔から感情が消えた。
「……貴様には分からん!」
「分かる必要もない。何人もの人生を削って、自分の椅子を高くする理由なんて、分かるつもりはない」
一歩、前へ出る。
「俺は今日まで逃げ続けてきた。それこそ命がけで。大切なものを守り、自分の人生を取り戻すために、この世界の理不尽から逃れる道を選び続けた」
言葉を続ける。
「醜いと蔑まれるなら、世間の無関心を手に入れるために、そして自分の言葉が届くように見た目を変えた。大切な人を失うなら、取り戻すための策に時間を費やした」
俺は戦った。
けれど、それは美談なんかじゃない。
ただ、大切な人と自分らしい時間を生きるために、必死でもがいただけだ。
――その結果が、今だ。
「戯言だな。どんな手を使ったか知らんが、いずれは今よりも容姿を良くして、好き勝手に振る舞いたくなるのだろう」
「それはない」
俺は静かに首を振る。
「俺は、もう大切なものを取り戻せたからな」
流刑地で過ごし、フラウに支えられ、見た目まで変えてもらった。
街で浴びる中傷はなくなった。
馴染みの店ができ、顔を見せたくなる店員もできた。そこで買った品を、
人と一緒に味わえるようにもなった。
そしてこれからは、誰にも指をさされることなく、シノと一緒にいられる。
だから、胸を張って言える。
「俺の見た目なんて――最低限でいい」
レーヴは、信じられないものを見るような目で俺を見つめた。
それ以上、何も返してこない。
返せる言葉など、最初から持ち合わせていなかったのかもしれない。
俺は短く告げる。
「これで、終わりだ」
その言葉と同時に、広間の入口から重い足音が響いた。
鎧が擦れ合う金属音。
駆け込んできたのは、王国の紋章が刻まれた鎧を纏う騎士たちだった。彼らは広間を一気に包囲する。
「レーヴ侯爵!」
先頭の騎士が周囲を見回し、蜘蛛の死骸と荒れ果てた会場、そして地下から救い出された女性たちを目にして息を呑む。
「……すべて、事実だったのか」
その呟きに、レーヴは肩を震わせた。
やがて力なく笑う。
「終わり……か」
その声に、先ほどまでの傲慢さはもうなかった。
あるのは、自ら築いたものが音を立てて崩れていく様を見届けるしかない、一人の男の虚しさだけだった。
騎士たちがレーヴの両腕を拘束する。
抵抗はない。ただ虚ろな目で、豪奢だったはずの広間を見渡していた。
俺はその姿を見届けると、静かに背を向けた。




