第38話 再会
短い時間になるかもしれない。――それでも、話したかった。
俺が一歩踏み出すと、シノもそっと距離を縮め、小さく口を開いた。
「少し……変わったね」
俺は少し首を傾げる。
「そう……だな」
シノは小さく頷き、俺の顔を見つめた。
「顔……かな」
「ああ。いろいろあって……」
思ったより、伝えたいことが言葉にならない。目が合う。その瞳は涙で濡れていた。それでも、シノは笑っていた。
「でも、目は変わってない。それに、やることなすこと全部、リオスって感じ」
俺は何も返せなかった。
「ずっと、来てほしいって思ってた」
「……ああ」
「でも、本当に来てくれるとは思ってなかった」
「どっちだ」
シノが泣き笑いのような顔で笑う。
「両方だよ」
会場はまだざわめいていた。使用人たちが慌ただしく駆け回り、レーヴは何かを叫び続けている。
その喧騒の向こうから、硬いものが石床を叩く音がかすかに響いた。
…………カツ……
何かが移動している。ニナが言っていたことだろう
ゆっくりと、それでいて確実にこちらへ近づいてきている。
残された時間は、もう長くない。
「あのね」
シノは小さく息を整えて続けた。
「聞いてほしいことがある」
「ああ」
「ここに来てから、ずっと考えてた」
一度俯き、震える息を吐く。
「リオスのこと、忘れようとするたびに思い出した。森で遊んだこと。魔物に飛び込んでいったこと」
「……ああ」
ゆっくりと顔を上げる。涙に濡れた瞳が、真っ直ぐ俺を捉えていた。
その声が、わずかに震えた。
「だから、そこだけは曲げないでいようとした……どんな結果になったとしても」
婚姻の宣言を固辞したことを言っているのだろう。胸の奥が締めつけられた。
何か言わなきゃいけない。そう思うのに、俺は言葉が見つからない。
「それなのに、リオスが――また、追いついてくれた」
シノはそっと俺の胸へ額を預けた。何も言わず、その細い肩へ静かに腕を回す。腕の中の身体は驚くほど細かった。
ここでどれほど苦しい日々を過ごしてきたのか。その細さだけで胸が痛くなる。
それでも、その身体には確かな温もりが宿っていた。
胸元から、くぐもった声が聞こえる。
「やっぱり……リオスだけは、追いついてくれるんだね」
俺は答えなかった。答える必要なんてなかった。
遠くで今度は石を叩く音が響く。
カツ……カツ……ドォン……。
さっきより近い。この会場のすぐ近くまで来ている。それでも今だけは、この温もりを離したくなかった。
でも、どうしても伝えたいことが一つだけあった。
先が見えない道に身を投じ、ここまで歩いてきて、ようやく気づけた想いだった。
「シノ」
「うん」
「俺は――」
喉まで出かかった言葉が、そこで止まる。
するとシノは俺の服をそっと掴み、小さく微笑んだ。
「ゆっくりでいいよ」
俺は静かに目を閉じた時、
カツ……カツ……ギチ……カツ……
はっきりと、その音が聞こえた。会場にいる全員にも同様の音が聞こえ、顔を上げていた。
燭台の炎が揺れ、豪奢なシャンデリアがかすかに軋む。
「何の音だ……?」
誰かが不安げに呟く。
ギチ……カツ……ギチ……
振動と音が規則正しく、しかし確実にこちらへ近づいてくる。そのたびに床石が震え、貴族たちの顔から血の気が失われていった。
その直後だった。
ガリッ――。
石壁を鋭い爪で引っかくような、耳障りな音が廊下の奥から響いた。
広間にいた全員が息を呑む。
ガリ……。
音は一度途切れ、静寂が訪れる。
だが次の瞬間――。
ガリガリガリッ――!
今度は石壁を削り取るような不快な音が、ゆっくりと近づいてきた。




