第28話 レーヴ
不意に昔のことを思い出す。
私は次男だった。
幼い頃から、兄の影として生きてきた。
剣を振れば、「兄には及ばんな」と言われ、学問で結果を出しても、「同じ年の頃、兄はもっと優秀だった」と比べられる。
何をしても、評価の基準は兄だった。
社交の場では、それがより鮮明になる。
客人は兄の周りに輪を作り、「ご立派な嫡男様ですな」「将来が楽しみです」と賛辞を惜しまない。
そして最後に思い出したように私へ視線を向け、「弟君も、お兄君を見習われるとよろしい」と笑う。
……その一言が、何より私を惨めにした。
どれほど努力しても、兄という壁は崩れない。
兄は嫡男。
私は次男。
生まれた順番だけで、人の価値は決まっていた。
だが、そんな兄は優しかった。
剣の稽古では手加減をし、転べば手を差し伸べる。
だからこそ腹が立った。
勝者だけが見せられる余裕。
勝者だけが与えられる慈悲。
私が喉から手が出るほど欲しかったものを、兄は苦労することなく手に入れていた。
ある日、父の書斎から漏れ聞こえた会話で、私は初めて"加護"の存在を知る。
選ばれた者だけが授かる神の祝福。
その言葉を聞いた瞬間、恐怖した。
もし兄が加護まで手に入れれば、私は永遠に兄の背中を追うだけの人生になる。
そんな未来は耐えられなかった。
だから私は兄を殺した。
短剣を握る手は震えていた。
兄は私を見るなり微笑み、「どうした、レーヴ」と穏やかに声を掛けた。
その優しさに胸が締めつけられた。
それでも私は止まらない。
一度。
二度。
何度も短剣を突き立てた。
兄は最後まで抵抗せず、私の名を呼び続けていた。兄の死は事故として処理され、家督は私のものとなる。父も母も涙を流し、私はその隣で悲しみに暮れる息子を演じた。
誰一人、私を疑わなかった。
当主となって知った。
名門とは、見栄で成り立つものだ。
領民は当主の威厳を見て安心し、貴族は屋敷の豪華さを見て家格を測る。
そして男たちは、当主の隣に立つ女を見る。
若く、美しい側室がいるだけで、「この家は栄えている」と信じ込む。
愚かな話だ。
だが、愚かな者どもを従わせるには、それで十分だった。
私は美しい娘ばかりを側室に迎え、家の格式を守り続けた。
それが当主の務めだと、自分に言い聞かせながら。
しかし、満たしきれないものがあった。
毎夜、側室に情欲をぶつけても。
兄を殺しても。
家督を手に入れても。
権力を得ても。
美しい娘の尊厳を踏みにじっても。
胸の奥にある渇きだけは消えない。
もっと絶対的でありたい。
誰にも見下されない存在になりたい。
そのためには加護が必要だった。
神に選ばれた証さえ手に入れば、この国の誰一人として私を侮ることはできなくなる。
その一心で、私はあらゆる手段を試した。
美しい娘を側室に迎え、甘い言葉で心を開かせ、宝石や豪奢な衣装を与え、不自由のない暮らしを約束した。
それでも足りなければ、権力をちらつかせ、脅し、欺き、屈服させようともした。
それでも加護を得られることはなかった。私が辿り着いた結論は一つだけ。
恐怖では人は心を閉ざす。
絶望は希望を奪うだけで、神の祝福を呼び寄せはしない。
ならば――。
まだ試していないものがある。
愛情だ。
これまで私の前に現れた女たちは、侯爵という地位に畏怖するか、富や権力に媚びる者ばかりで、私自身を愛した者は一人としていなかった。
だが、シノは違う。
あの娘は、リオスという小僧のためなら命さえ惜しまない。
ならば、その愛が私へ向けば――。
加護は必ず、この手に入る。
私は静かに口元を歪めた。
「……ようやく見つけた。」




