第10話 貴族
情報屋からレーヴの話を聞いてから数か月が経ち、十四歳の半ばに差しかかった時期になる。
この頃、俺は言葉にできない焦りが胸の内を掻きまわしていた。
もう少しで俺とシノは十五歳になり、この世界での成人となる。
洗礼の儀をもって成人とされ、レーヴという貴族に生きる道を決められる。
二人でいる時、俺のほうからは、あまり将来の話をしないで過ごしていた。年を重ねていく中でシノは女性らしさが増していった。
子供の頃、短かった髪は肩を超え、風が吹くたびにさらりと揺れるようになった。それを整えようと髪を耳へ掛ける仕草などは、昔になかったものだ。
周囲からも、いずれは村を出ていくことを噂されていた。
一方の俺は、歳月が進むとニキビ跡、濃い青髭が以前よりも目立つようになった。
将来のことも何も話題に出ないため、この村で生きていくことが既定路線だろう。国の慣例、周囲の声が、どことなく二人の話題を狭めていた。
この日、村に着くと、村長がやたら華美な格好をしている人物と話をしていた。
こちらに目を向けた村長が小走りで近づいてくる。
「おぉ。 シノ、どこに行っていた? こっちに来なさい」
急に呼ばれた本人は戸惑いながら、俺を見る。「行ってきな」という意図を込めて頷いた。
俺は情報屋との会話を思い出し、例の視察だと理解する。
少し離れた位置からでもわかる。貴族であろう、そいつは四十代くらいだろうか。
仕立ての良い豪華な衣服を身にまとっている。髪には丁寧に櫛が通され、顔立ちは整っていると言えるだろう。
だが、不思議と好感は抱けなかった。
シノに対して、足先から顔を舐めていくような無遠慮な視線を投げていた。顔を見つめた後、顎をさすりながらニタニタと笑っている。やたらと距離が近く、貴族の腕が動くたびに胸の中がささくれ立った。
シノの母親が小走りで合流してきた。レーヴとシノの間に、やや入り込むようにしている。笑顔こそ崩さないが、何かを熱心に訴えているようだった。
その様子を一人、ぽつんと眺める。まるで、世界から一線を引かれたような感覚を覚えて立ち尽くす。
気づいたら、一通り話は終わったようで、シノたちは家の方向に歩き出し、見えなくなったところで貴族は村長の家に向かおうとしていた。
我に返り、帰ろうとしていた時、貴族の男がこちらに向かってきた。敵意の籠もった表情で俺と目が合う。
「おい、お前。 あの娘と仲が良いそうだな? だが、勘違いするなよ。 あれはお前みたいな奴のものじゃない」
急に飛んできた好戦的な発言。
なぜ、俺がシノと過ごしていることを知っているか。気味が悪かったが、村長からでも聞いたのだろう。藪から棒に不躾な奴だと思ったが、この世界では当たり前のことだった。
『お前みたいな』という言葉の裏には、見た目の悪いお前が変な勘違いをするな。という意図が込められているのは明確だった。
「せいぜい、お子様な遊びをして、その思い出で自慰にでもふけるのがお似合いだ」
こいつが口を開くたび、その一言一句が腹の奥をグツグツと煮立たせていく。
言い返したい衝動に駆られるが、変な波風は立たせたくなかった。
そんな理性を黒く包むように、この貴族を殴りつけてやりたい感情が募っていった。
ふぅーー……落ち着け。この場は聞き流せばいい……。
呼吸を整えようとする。一方で、今の俺がしていることは何の解決にもならない。
大切な人を守れない自分への苛立ちが感情に足されていくばかりだった。
この世界でも俺は何も手に入れられないし、指をくわえて見ているだけという絶望を突きつけられた。
「ふん。 言葉も発せないとはな。 お前みたいな醜い奴では貴族の言葉が理解できんか」
侯爵は好き勝手に吐き捨てて、踵を返そうとした時
「……じゃない」
「うん? なにか言ったか不細工?」
やめておけばいいのに、俺は止まれなかった。
自分のことは、どう思われて構わない。でも、シノに対しての発言を聞き流すことはできなかった。
「シノは……『もの』なんかじゃない」
怒りで声が震えることを初めて体感した。心臓は嫌になるほど早鐘を打っていた。
「ははは! そうか! 確かに今はまだ、私のものではないな」
嘲るような笑い。
「だが、残念だったな。 私は貴族として正当な行いをしている。 それに比べてお前はなんだ?」
おかしいのは、俺のほうだと告げている。
「あれは、もうすぐ私の側室だ。 お前が手を伸ばして届くと思うな」
交差する視線。
やがて、レーヴは視線を外し
「近いうちに洗礼の儀があるな。 実に楽しみだ」
不敵に笑い、村長に案内を続けるよう促した。その場を離れようとする貴族と村長。俺は村長からも敵意の籠った視線で一瞥され、「余計なことはするな」と釘を刺される。
村のことを考えると領主である貴族と懇意にしたい気持ちは分からなくもないが。そんな反応を素直に受け入れられる心境ではなかった。
睨み返すように村長を見た後、俺は、そのまましばらく立ち尽くしていた。




