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01

 ――一体全体なぜこうなったのか。由比藤の頭のなかではその言葉がぐるぐる巡っている。

 パイプ椅子に座りながらぷるぷる震える由比藤を見かねた隣に座る女の子は「大丈夫だよ」と左手を握りしめた。

 温かいなと新たな言葉が頭を巡り、思わず視線を遣れば、女の子はにこりと笑みを溢す。その可愛らしい笑顔には固まるしかない。

 もしかしなくとも、やっぱり自分は場違いではないのか。ここにいる『輝く本当の女の子たち』に失礼ではないのか。

 悶々としていれば、ふたたび「大丈夫」と心地よい声が返ってくる。


「わたしも緊張してるから、同じなんだー」


 確かに緊張はしているが、それ以外の要因の方が大きい。考えるだけで頭が痛くなるし、胃だってきりきりする。

 「失礼しました」との声のあと、面接を終えたらしい女の子たちが次々目の前を通りすぎていく。


「では次……、6番から10番の方、こちらへ」


 少しの時間を置いて部屋から顔を出した女性の声にびくりと躯が跳ねる。胸の番号札は7番。つまり順番が回ってきたということだ。やばいと頭が真っ白になったとたん、『――ゆいならやればできる』と忌まわしき【あの男】の声が蘇った。

 いくらやればできると言われようが、由比藤は自ら好んで『アイドル』になろうとしているわけではない。結果として【こうなった】だけにすぎないのだ。

 ことの起こりは約半月ほど前に遡る。その日、『8月のカモミール』新規メンバーオーディションが開催されると知った。いつも使うサイトのニュース記事からである。タイトルリンクが並んだそれに、そうなのかと思っただけ。リンクを開いた先の文字を追えば、どうやらメンバー二人が脱退するようだ。進学や就職活動に精を出すらしいが、そこまで興味もない。

 バイトを終えた道すがら、小腹が空いたとコンビニに立ち寄ったのが運の尽き。肉まん片手にもさもさ歩き食いをしていれば、前方を走っていた軽自動車がスピンした。くるくる回る車は由比藤の数メートル後ろで止まる。端を歩いていたのが幸いしたのか、掠り傷ひとつもなかった。


『な……、なんだっ?』


 ぽかんと口を開けたまま、由比藤はただ前を向いていた。理解の範疇を越えた場合、人は固まるらしい。


『魔王様、ようございましたね! 力は失われていません』

『さすが俺』

『はい! さすがは魔王様です! 私としてはめんどくさいことは嫌なので、なるべく穏便に済ませてくださいね。くれぐれも、ですよ!?』

『そうだなー。サイン色紙をもらったらすぐに帰る、ぞ――……、ああ、やはり人がいたな。気配は間違いなかったか』

『本当ですね。間違いが起きなくて感激ですよっ!』


 由比藤に気が付いた男は『さすが俺』とぬいぐるみに語っている。ぬいぐるみは『もう聞き飽きましたよ』と男から離れた。ローブのようなものを纏った頭から覗く尖るふたつの耳を見るに、うさぎのぬいぐるみのようだ。だが、喋っている。しかも『魔王様』とうるさく。それはちょうど人の腰辺りの位置に浮かびながら、由比藤に近付いていた。


『お怪我はありませんか?』

『ぬいぐるみが――』


 『喋ってるんですけど!』――そう紡ぐ前に、許容範囲を越えた頭がパンクする。

 ばたりと倒れながら由比藤が聞いたのは、『大変ですよっ! 魔王様!』という慌ただしい声であった。



□ ■ □ ■



『つまり……、アンタは魔王で、えーと、なに?』

『サインをもらいにきた』

『魔王様はとてもアクティブな方なんです』

『はあ……、サインね、サイン』

『ハチルのサインを寝室に飾りたいんだ、俺は』

『異世界から遥々と、ね。って信じられるかあーーーー!』


 『8月のカモミール』のサイン色紙目当てに異世界から遥々来たと、そんな馬鹿げた話があるというのか。

 あまりの出来事に由比藤は混乱している。自分が車に巻き込まれなかったのは目の前の男――魔王であるリリハル・ノーテが由比藤の気配を感じて力を弱めたからだという。

 軽自動車も運転手も無事であり、期せずして命を救われていたようだが、納得はいかない。しかも魔王だ異世界だなどとあり得ない単語が出てきた時点で信じられない。

 テーブルをひっくり返したい衝動に駆られるが、上にはマグカップが置かれているのでそれはできなかった。かっかした頭のまま、由比藤はリリハルを睨むままだ。


『ゆい、お前はいけるぞ!』

『誰がゆいだ! つか、なにがいけるんだ!?』

『よし、決めた』

『魔王様……、そのお顔はまた良からぬことを考えておりますね? やめてくださいよ。めんどうを押し付けないでいただきたい』


 ふわふわ宙に浮いたままのうさぎのぬいぐるみは、フランシス・クロークという名の魔王のお世話係らしい。リリハルの背中で目覚めた由比藤を部屋に運ぶなり、ローブを脱いだようで全貌が明らかになる。やはりうさぎのぬいぐるみに他ならないが、身に付けているものに目を丸めるしかない。

 頭にちょこんと乗せられた小さなシルクハットには白いリボンが一周しており、バラの形をした留め具で留められている。チェック柄のベストに黒い半ズボン――見た目は完全にかの有名な児童文学に出てくる白兎である。ひとつだけ違うのは、左目に当たる部分や右腕にはハロウィンの仮装のように包帯が巻かれていることだろう。


『コスプレかよ!』

『これは魔王様が用意してくださいましたが、確かに派手ですね』

『その包帯はケガかなにかか?』

『いいえ、違いますよ。して魔王様、大事なことなので2回言いますね。めんどうを押し付けないでいただきたい!』

『なにを言うんだ。俺がいつお前にめんどうを押し付けた? ――ん?』


 『言ってみろ』と言わんばかりの笑顔にフランシスは怯むことなく、『あのときもそのときもそうですよ!』と切々と語り始める。『あのときの魔王様』はどうたら、『そのときの魔王様』はこうだったと。このお世話係は、メイドのスカート捲りの犯人にされたり、割った皿の後始末をさせられ、挙げ句その犯人にされたりしたようだ。


『大変だな』

『解っていただけますか!?』


 ずいずいと由比藤に詰め寄ったフランシスは咽び泣いていた。『ありがとうございますぅ~』と腹に抱き付き、ぐりぐり頬を寄せる。

 フランシスのお蔭で頭が冷え、状況をなんとか飲み込んだ由比藤は『――それで、アンタはなにをする気なんだ?』とリリハルを見遣るが、口端を上げるその仕草にすぐに後退った。悪い予感しかしない。


『――――』

『は……?』


 『ゆい』とがっしり肩を掴まれながら、真っ直ぐ射抜くような瞳で紡がれる言葉。

 それは最悪の手段か、それとも――最善の手段か。

 どちらにしても、由比藤には重責でしかなかった。




 


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