02
『ゆいがメンバーになればいいんだ』
なにを言っているのか理解に苦しむ。その証拠に、由比藤は顔を顰めていた。
『は……?』
『ゆいならできる』
『だからゆいって呼ぶなっつの!』
会って数分の薄い関係のわりに馴れ馴れしいリリハルをふたたび睨むが、『ゆいはゆいだろ』としれっとしている。そこで由比藤ははっとした。『アンタは誰だ』と尋ねて一方的に語られただけで、名前は教えていないと。
『ちょっと待て……、アンタなんでオレの名前を知ってるわけ?』
『俺の背中にいる間に情報を得たからだ』
『魔法を使えば簡単ですよ』
リリハルに被せるように答えるフランシスは腹から離れ、あぐらをかく由比藤の足に腰を据えた。短いふかふかの手が涙を拭っている。
『……その『魔法』とやらで得られるものは?』
『対象者の名前から生年月日というもの、身長や体重というパーソナルデータ、その他もろもろと、へそくりの隠し場所までです!』
『つまり俺たちはお前のすべてを知っているということだ。エロ本の隠し場所もな。本棚2列目、右端から3冊目より3列目6冊までが成年向けだというのもお見通しだということだ』
『ぎゃあーーーー!?』
にやりと口端を上げたリリハルに対し、由比藤は顔を真っ青に染め上げる。赤の他人にすべてを握られているこの状況を打破するのは、男子大学生ただひとりでは難しい。
『安心しろ。言い触らそうなんてバカな真似はしないし、笑い者にもしない。ただひとつ、俺の願いを聞いてくれるのなら』
打ちひしがれた由比藤に追い討ちがかかったのはすぐだ。願いを聞く前に追い出したとしても、自身のあれやこれやを誰かに言われてしまえば終わり。チビで童顔で彼女ができない自分など、正面に座る秀麗な男に勝てるはずもなかった。『イケメンは正義』という言葉もあるし、心なしかキラキラ光って見える。これでは『言うことを聞く』以外の選択肢が見付からない。
『……お前の願いは……?』
悔し涙を浮かべながら尋ね、そうして唇を噛みしめた由比藤に返るのは笑みだ。柔らかなその笑みの裏に隠されているのは、壮大な計画である。由比藤を一目見たときから練り始めたそれに、肝心要の本人を乗せなければなにも始まらないわけだ。
『言っただろ? ゆいがメンバーになればいい』
本気で言っていたのかと由比藤は唖然とし、フランシスの『こうなった魔王様は引きませんよ。なにを言おうとも』との言葉に愕然とする。
リリハルの口からもたらされた計画は無謀としか言いようがなかった。由比藤を女の子にし、オーディションに行かせる。受かるように頑張れ! ――ということなのだ。落選したならばそのときはそのときで、別の案でいくらしい。
『魔法が使えるんだから、魔法でどうにかしろよ!』
『人生を賭けてくる者もいるオーディションだ。魔法でどうにかしたら失礼に当たる』
『オレに失礼だとは思わないのか!?』
『なに言ってんだ!』とリリハルの胸倉を掴むが、やんわりと外されてしまう。勢いでフランシスは足から落ち、『いたた』と額を押さえていた。
『ゆい』と言い聞かせるようにその手を握られるが、瞬時に払い落としたのは湧き上がった怒りによる。
『失礼だとは思わないな。俺はゆいならいけると踏んだんだ。自信を持て。それに、サインをもらったらすぐに戻してやるから慌てる必要もない』
『本当だな?』
『ご安心ください、ゆい様。魔王様は有言実行をなさる男ですよ』
『解った、解りました!』
リリハルの肩に乗るフランシスの言葉に、『男に戻れるならやってやらぁ!』とやけくそに叫べば、『わぁ! 粋がいいですねぇ』と愉快そうに手を叩く。
『――では魔王様』
『ゆい』
伸ばされたその手指でふたたび手を握られれば、数分の間温かな光りに包まれた。眩しさに思わず目を瞑ってしまったが、垣間見た青や緑と変わるパステルカラーの光は虹を模したような7色であり、視覚的には申し分ない。『終わったぞ』との声に徐に目を開ければ、『どうですか?』とフランシスの顔が飛び込んできた。
『驚かせるなよ!』
漏れそうになった悲鳴を寸でのところで飲み込み、フランシスをぐいぐい押しやる。ふわふわな顔がぎゅむと潰れるが、その手からなんとか抜け出て由比藤の肩に降りた。
『も、申し訳ございません~。して、ゆい様、気分はいかがですか?』
『気分? 最悪以外はなんともないな』
唇から溢れる高い声に眉を顰め、くるくる回りながら自身の姿を眺める由比藤は『これも魔法か?』とジャージから変わったスカートの端をぴろんと伸ばした。
『スカートは正義だと思わないか? 絶対領域にきゅんとなるのは俺だ!』
『絶対領域もそうですが、魔王様はツインテールもアイドルもお好きですよ。『広く浅く』が、魔王様です』
『あっそ』と短く返せば、最大級の問題に直面した。このふたりはこれからどうするのか。どこに住んで、どんな行動をするのか。
『つか、アンタらどこに住むわけ?』
『――はい? それならもう決まっていますよ』
『ここに』と宣うお世話係の言葉に、由比藤は首を傾げる。いまなんと言ったのかと。
『なんだって?』
『解りやすく言えば、居候です!』
胸を叩いて、『どんとこいや!』というような台詞でもなかろう。断りたいがしかし、こうなった手前もう後には引けない。
『……解った。もういいよ、好きにしてくれ……』
それならば――と由比藤は諦めた。諦めて、なるようにしかならないかと肩の力を抜いたのだ。『話が早いな』『そうですね』と満足げなふたりを尻目に。
――経緯を手繰り寄せても、緊張の糸は張りつめたままである。頭痛も胃痛も治る気配はなく、挙げ句耳鳴りもしてきた。『女の子』として過ごしてきたのはほんの少しである由比藤が、本家本元の『女の子』に勝てる見込みはかなり低い。それでも1次選考である書類審査を奇跡的に通ったのだから、見た目には大丈夫なのだろう。
2次選考である面接に集まったハチルメンバーを眺めては、肩身の狭さに気持ちが落ち着かなかった。他のオーディションがどうなのかは解らないが、ハチルメンバーはわざわざ書類審査から参加しているらしい。ただ座っているだけなのにメンバーは輝いて見え、その背後にはステージも見えてしまう。これが『アイドル』と『一般人』の違いだろうか。
「7番の方、顔色が悪いようですが、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……、ではない、です」
「7番さんっ!?」
ぐらりと揺れた視界の先には、慌てる人々が映し出された。
□ ■ □ ■
「――様! ……い様! ゆい様!」
「な……に……?」
うるささに目を覚ませば、視界一面にフランシスの泣き顔が映る。
「フランシス……」
「ゆい様ぁあぁ!」
「ちょっと落ち着け」
起き上がった由比藤は泣きじゃくりながら抱き付くフランシスの背中を擦り、辺りを見渡す。
「ここどこ?」
「医務室ですよぅ」
倒れたことを思い出し、カッコ悪いと項垂れる由比藤の耳に「お兄様、どうやら起きたみたい」との声が響く。入り口に視線を遣れば、メンバーのひとりが顔を出していた。セミロングの髪が印象的な彼女は、その美しい顔に微笑みを浮かべながら心配そうに訪ねる。「大丈夫?」と。
「あ、はははっ、はいっ。もう大丈夫です! ご心配お掛けしてすみません!」
フランシスを抱えながらベッドの上で深々と頭を下げる由比藤だが、「まだ目覚めたばかりなんだから、無理をしないで」との声に弾かれたように顔を上げた。失態ばかりに耳まで赤面した由比藤に、ハチルのリーダーの彼女――奈留風ななせは目を細める。【兄】の選択は間違っていなかったと。
「でも、もう少し休んだら面接のやり直しをするんだけどね。っと――お兄様、遅いですよ」
「いや、悪い。パンが美味くて」
「意味が解りませんけど」
「お兄様……? え……えっ、お兄様?」
どういうことだと口を開閉させながら目を丸める由比藤に、奈留風も目を見張る。どうやら由比藤はなにも聞いていないようだ。
「フラン、貴方はなにも話してはいないのね?」
「はい……。申し訳ございません。魔王様に余計なことを喋るなと言われていたので、そのように……」
しゅんと項垂れるフランシスを横目に呆れたようにため息を吐いた奈留風はベッドまで歩み寄り、手を差し出した。
「初めまして、由比藤環さん。私は『8月のカモミール』リーダーの奈留風ななせ――と言いたいところだけど、これは私の芸名です。本当の名前はナナリア・ノーテ。リリハル・ノーテは私の『兄』であり、『8月のカモミール』のマネージャーとして尻に敷いています」
「はあっ!?」
衝撃のカミングアウトに、由比藤はまた意識を失いかけた。




