雨の日
雨の音で目が覚めた。
カーテンの隙間から見える空は、昨日とは違って灰色だった。
「……雨か」
スマホを見る。
天気予報を見るまでもない。
今日は外に出るのは少し面倒そうだ。
……昔なら。
昔なら、たぶん何も思わなかった。
雨なら家にいる。
ただ、それだけ。
休日の予定なんてなかったから。
でもーー
「ヒロト!」
突然、後ろから声が聞こえる。
振り返る。
そこには、昨日買った服に着替えたアリスが立っていた。
「おはよう」
「おはよう」
「雨だね」
「そうだな」
アリスは窓の外を見る。
「人間は雨の日って何するの?」
「人によるけど……家で過ごす人も多いんじゃないか?」
「家で?」
アリスは少し考える。
「昨日みたいに出かけなくても楽しい?」
「まぁ」
俺は少し考えて答える。
「映画を見たり、本を読んだり」
「映画!」
アリスの目が輝いた。
「見たい!」
「まだ何も言ってないけど。じゃあ、今日は映画観て過ごすか」
「うん。楽しそう!」
思わず笑ってしまう。
「よし、見るか」
「うん!」
と言っても、何もない状態で映画を観るのはつまらないので、歩いて1分あれば着く近くのコンビニへ行き、飲み物とお菓子を買う。
アリスはポップコーンを見つけた瞬間、迷わずカゴに入れた。
「映画と言えばこれでしょ?」
「知識だけはあるんだな」
「ヒロトの漫画で見た!」
「やっぱり漫画か」
最近分かったことがある。
アリスは天使だけど、人間のことを知るために読んだ漫画や小説の影響をかなり受けている。
時々、現実と物語の区別が少し曖昧だ。
でも、そんなところもアリスらしいと思うようになっていた。
部屋に戻る。
テレビの前に座る。
俺の部屋にはソファなんてない。
だからベッドを背もたれ代わりにして、クッションを椅子がわりにして床に座る。
「何見る?」
「ヒロトが選んでいいよ」
「いいのか?」
「うん」
「後悔するかもしれないぞ?」
「なんで?」
「俺の観たい映画が観たいとは限らないし」
「一緒に観られれば、全部面白いよ」
その言葉に、少しだけ胸が温かくなる。
結局、昔見たことのある家族映画を選んだ。
特別有名な作品でもない。
でも、今はこれでいい気がした。
映画が始まる。
最初のうちは、2人とも画面を見ていた。
アリスは真剣だった。
面白いシーンでは笑う。
びっくりするようなところでは驚く。
初めての映画に一喜一憂するアリスに、俺は微笑ましくなる。
そんなアリスを横目で見る。
楽しい。
映画の内容も。
しかしそれ以上に、隣に誰かいることが。
物語が進む。
最初は偶然だった。
狭い部屋。
同じ画面を見る姿勢。
そんな中で、肩が少し触れる。
「あ」
アリスが小さく声を漏らす。
「肩当たっちゃったね」
「ああ。」
離れようとする。
でも。
……。
なぜか、動けなかった。
別に何か特別なことをしているわけじゃない。
肩が触れているだけ。
それだけなのに、心臓が少し速くなる。
俺は慌てて画面を見る。
映画の内容は頭に入ってこない。
近い。
近すぎる。
アリスは何も気にしていない。
ただ映画を見ている。
そのことが余計に申し訳なく感じた。
「俺、何考えてるんだ。」
小さく呟く。
もちろん、アリスには聞こえていない。
彼女は天使だ。
人間の恋愛感情なんて、きっと分からない。
それなのに。
俺だけが変なことを考えている気がした。
自分が嫌になる。
でも。
しばらくすると、その気持ちは少しずつ消えていった。
温かい。
ただ、それだけだった。
肩が触れている。
隣に誰かいる。
その事実だけで。
不思議なくらい、心が落ち着いていく。
同じくらいの身長。
同じ人間の形をした存在。
なのに。
まるで、自分よりずっと大きな何かに包まれているような安心感があった。
子どもの頃。
眠れない夜に、誰かが隣にいてくれた。
あの感覚に近い。
「……」
俺は初めて気づいた。
いや、ずっと気づいてはいたが、あえて無視していたことを思い出した。
人は、誰かと触れ合うことで安心する生き物なんだ。
何か特別なことをしなくても。
ただ、隣にいるだけで心は満たされる。
映画が終わった。
エンドロールが流れる。
アリスはまだ画面を見ていた。
「どうだった?」
俺はアリスに感想を聞く。
「良かった。」
アリスが小さく答える。
「そっか。」
自分から聞いておいたのに、それ以外の返答が思い浮かばず、なんだかぶっきらぼうな返事をしてしまう。
アリスは不思議そうに首を傾げた。
「ヒロト?」
「いや」
俺は窓の外を見る。
雨はまだ降っている。
でも、さっきまでより少しだけ優しい音に聞こえた。
その日の夜。
アリスはいつものように漫画を読んでいた。
俺はベッドに横になる。
ついこの前まで、この部屋は静かだった。
静かすぎた。
でも今は、アリスがいる。
それだけで、明らかにこの前までの自分とは何かが違う。あったかい布団にくるまりながら、夢も見ずに気持ちよく寝ているような心地よい感覚がずっとある。
この時間が、終わらなければいいのに。
お読みいただき、誠にありがとうございます。
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