第42話:決まりかけるもの(2)
数日後。三日月ロケットの二人は、都内のスタジオで番組収録を終えた。
楽屋の隅で荷物をまとめていた鍋島に、同じ事務所の先輩芸人がぬっと顔を出した。
「なべさん、今ちょっといい?」
「……何ですか、改まって」
その先輩は情報通で有名だった。案の定、彼が口にしたのは核心を突く話題だった。
「居候してるんだって? ……俺、いい物件知ってるよ」
鍋島の指が、スマホの画面上で止まる。
「物件、ですか」
「そう。駅近で家賃も現実的。芸人の一人暮らしには最高。でもこれ、早くしないと他の奴に取られるよ。見る?」
差し出された画面には、シンプルだが清潔感のある間取りが映っていた。条件は申し分ない。今の自分が探すべき「次の居場所」として、これ以上のものはないだろう。
「最近、三日月ロケットも忙しくなってきたしさ。いつまでも甘えてるわけにもいかないでしょ」
先輩の言葉は正論だった。
「次が見つかるまで」という杏里の言葉に甘え、先延ばしにしてきた現実。けれど、あの噂の件もあり、自分がいつまでも彼女の平穏な生活を揺らしていいはずがない。
「……連絡先を、いただいてもいいですか」
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その日の帰り道、鍋島は少し遠回りをして歩いた。
ポケットの中には、不動産屋の連絡先が入っている。連絡すれば、数日のうちに内見が決まり、そのまま引っ越しの準備が始まるだろう。
そうなれば、この「仮初めの生活」に区切りがつく。
正しいことだ。最初から決まっていたことだ。
なのに、足取りはやけに重かった。
玄関を開けた時のハヤブサの鳴き声。
キッチンから聞こえる杏里の足音。
「ただいま」と言えば、「おかえりなさい」が返ってくる当たり前。
それらを失うことが、想像以上に自分の胸を抉ることに、鍋島は気づかない振りができなくなっていた。
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家に戻ると、杏里が居間でハヤブサを膝に乗せてテレビを見ていた。
「おかえりなさい」
「……ただいま」
コートを脱ぎながら返したその声が、少しだけ震えた。
ハヤブサが足元に寄ってきて、喉を鳴らす。その温かさを感じながら、鍋島は意を決して口を開いた。
「……少し、話したいことがあるんですが」
杏里の表情が一瞬だけ硬くなった。けれど彼女はすぐに「お茶を淹れますね」と立ち上がった。
こたつの上に、二つの湯呑みが置かれる。ハヤブサも何かを察したのか、布団の上で丸くなって二人を見つめていた。
「実は、知り合いから良い物件を紹介されまして」
杏里の視線が、わずかに揺れた。
「条件も良くて、すぐ決まってしまいそうな感じで……。一度、内見に行こうと思っています」
部屋が、急に静まり返った。
ハヤブサがのんびりとあくびをする音さえ、響くような沈黙。
「……そっか。そうですよね」
杏里の声は、落ち着いていた。けれど、どこか遠い場所から聞こえてくるようでもあった。
「いい物件なら、その方がいいです。ちゃんと進めないと、だめですもんね」
精一杯の「正しい」返事。
それを見て、鍋島は胸の奥がギュッと締め付けられた。引き止めたいのか、早く安心させたいのか。自分の中でも答えが出ないまま、冷めていくお茶の湯気を見つめることしかできなかった。
「そのうち」が「現実」になった瞬間。
二人の間に流れる時間は、以前よりもずっと、もどかしく切ない色を帯び始めていた。




