第40話:認めたくない感情(2)
店を出ると、夜風が火照った肌に突き刺さった。駅へ向かう道すがら、健人は我慢できずに口を開いた。
「……またって、あんな人とよく飲みに行くのかよ」
自分でも驚くほど、不機嫌が隠せていなかった。林田は少しだけ目を丸くし、それからニヤリと口角を上げた。
「あ、妬いた?」
「は? 誰が妬くかよ」
「妬いてる顔してるって。分かりやすすぎ」
健人がぶっきらぼうに視線を逸らすと、林田は急に声を落とした。
「これでも意外と気ィ遣ってるんだよ、事務所の先輩だし。相手によって距離感は考えてる。……でも」
林田が足を止める。
「……俺がこんなに素で、気ィ許してるのは、お前だけだし」
そう言って、林田が指先で健人の額を軽くつっついた。
あまりの不意打ちに、健人は言葉を失う。冗談のような仕草なのに、林田の瞳には冗談では済まされない「温度」が混ざっていた。
「……っ、適当なこと言ってんじゃねえよ。もういい、帰る」
動揺を振り切るように踵を返し、細い路地へ逃げ込もうとした時だった。
「待って」
背後から腕を引かれ、体がぐらりと揺れる。
次の瞬間、視界が林田の肩越しに沈んだ。背中に回された腕の力が、逃げることを許さない。
抱きしめられている。
その事実を脳が処理するのに、数秒を要した。表通りの喧騒が遠のき、二人の間には互いの心臓の音だけが響く。
「……ねえ、本当に。俺にとってお前は、特別なんだよ」
林田の声が、耳元で低く震えた。いつもの調子のいい軽口とは正反対の、剥き出しの熱を持った言葉。
「……お前、相当酔ってるだろ」
絞り出した声は、自分でも情けないほどに震えていた。
「そういうことにしといてもいいけど。……だからさ、お前も自分の気持ち、ちゃんと考えといてよ」
腕の力が緩み、体が離れる。
目の前の林田は、見たこともないほど真剣な眼差しをしていた。ごまかしも笑い飛ばしも許さない、決定的な一打。
「じゃ」
林田はそれだけ言い残し、背中を向けて駅の方へと歩き出した。
残された健人は、暗い路地でただ立ち尽くしていた。
かつて杏里に向けていたはずの執着が、今は驚くほど遠い。頭の中を占めているのは、今さっき触れた体温と、耳にこびりついた「特別」という言葉ばかりだった。
「……何なんだよ、あいつ」
自分の手が、わずかに震えている。
もう、知らないふりだけはできないところまで来てしまった。
認めざるを得ない感情が、夜の静寂の中で静かに、けれど激しく拍動していた。




