第37話:鍋の湯気と、それぞれの距離(1)
その夜、杏里たちの家は、外の寒さを忘れさせるほどの熱気に包まれていた。
ライブ終わりの鍋島と林田、そしてライブを観届けて興奮冷めやらぬ結衣。そこに、バイト終わりの杏里と、なぜか「一番暇だったから」という理由で大量の買い出しを任された健人が合流した。
駐車場で合流した際、健人が提げていた袋ははち切れんばかりだった。
「……すごい量ですね」
杏里が呆れたように言うと、健人は「鍋なんて色々入ってた方がいいだろ」と不器用な表情で袋を持ち上げた。
「肉に野菜、それに……水餃子も入ってる」
「水餃子?」
「……林田が、こういうの好きそうだったから」
健人はそっぽを向いたが、その耳が少しだけ赤い。杏里は深く追求しなかったが、車内の空気は、目的地へ着く前からどこか「特別」な予感を含んでいた。
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家に着くと、真っ先に駆けてきたのはハヤブサだった。
「うわ、来た! 可愛い!」
結衣が歓声を上げ、しっぽを立てるハヤブサに目尻を下げる。ハヤブサは一瞬だけ大人数に驚いたものの、すぐに結衣の手に頭を擦り付けた。
「今日は機嫌がいいですね」
鍋島がコートを脱ぎながら微笑む。
「家に人が多いの、意外と平気なんだね」
杏里もホッとしたように笑い、そのまま自然な流れで、二人で台所へ向かった。
ここから、リビングの結衣を戦慄させる「光景」が始まる。
台所に立った杏里と鍋島の間には、言葉以前の「阿吽の呼吸」があった。
「杏里さん、この小皿テーブルに」
「はい」
「具材切るんで、鍋出してもらえますか?」
「分かりました。……あ、ポン酢その棚の右です」
「あ、本当だ」
会話のトーンはどこまでも低く、凪のように穏やか。しかし、互いの手の位置、食器の場所、冷蔵庫を開けるタイミングまでが、まるでパズルのピースがはまるように完璧に噛み合っている。
それを離れた場所から見ていた結衣は、手に持っていた箸を止めた。
(……え、ちょっと待って。何あの「熟年夫婦」感)
「何してるんだよ、結衣」
袋を片付けていた健人が声をかけるが、結衣は「しーっ!」と制した。
「お兄ちゃん、今すごいもの見てるから。後で話す」
「はあ?」




