第34話:甘いものと、変な顔(1)
バレンタインが近づいてきた頃、杏里は珍しく、自分からその話題を口にしていた。
休日の昼下がり。ファミレスのボックス席で結衣と向かい合い、杏里は手持ち無沙汰にドリンクバーのストローを指先で弄ぶ。テーブルの上には、少し冷めたココアと、結衣が注文した山盛りのポテト。
「……やっぱり、あげた方がいいかな」
ぽつりと呟かれた言葉に、結衣が勢いよく顔を上げた。
「なべさんに?」
「うん」
杏里は視線を泳がせながら、努めて平然を装って答える。
「普段、あんなにお世話になってるんだし。感謝のしるしというか、それくらいの礼儀は必要かなって。別に、それ以上の意味はないから」
最後の一言が、自分でも驚くほど早口になった。
結衣はじっと杏里を見つめたあと、いたずらっぽく口角を上げる。
「はいはい。相変わらず素直じゃないなあ」
「何が」
「そこまで強調すると、逆に分かりやすいんだってば。でも、なべさんなら絶対喜ぶよ。杏里が手作りチョコなんて贈ったら、あの落ち着いた顔がどう崩れるか見ものだし」
「手作りって……そんな凝ったのは無理だよ」
「大丈夫だって! 溶かして固めて、可愛いトッピング乗せるだけでそれっぽくなるから。今は百均でも優秀な材料いっぱいあるし」
結衣はポテトを一つ頬張り、少しだけ声を和らげた。
「理由なんて『あげたいから』で十分でしょ?」
その言葉に、杏里は沈黙した。
あげたい。……確かに、そうなのかもしれない。
世話になっているからという義理だけではなく、彼の喜ぶ顔が見たい。そう願っている自分を認めるのは、まだ少しだけ気恥ずかしかった。
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その日の夜。
大型商業施設のイベントブースでは、お笑いライブを終えた芸人たちが、出待ちのファンに囲まれていた。
結衣もその群衆の中に混ざり、手慣れた手つきでスマホを構えている。裏口から現れた『三日月ロケット』の林田は、今日も完璧な笑顔を振り撒いていた。
「林田さーん!」「今日も最高でした!」
黄色い歓声に、林田は軽やかに手を振る。
「どうもどうも! 今日も俺のビジュアル、絶好調だったでしょ?」
相変わらずのナルシストぶりにファンが沸く。林田は軽口を叩きながら、手渡されるチョコの袋を次々とスタッフに預けていた。
「うわ、今日もあいつ絶好調だな……」
結衣は苦笑しながらその様子を一枚撮り、すぐに兄・健人へと送りつけた。
『ねえお兄ちゃん、今日も林田さん絶好調だったよ(笑)』
数分後、健人から返ってきたのは一言。
『アホか』
予想通りの素っ気なさに結衣が吹き出している頃、駅前の雑踏にいた健人のスマホが、今度は着信を告げた。画面には『林田』の二文字。
「……なんだよ」
通話ボタンを押すと、耳に飛び込んできたのはいつもの軽い声だ。
「今からメシ行かない? 駅前来てよ」
「はあ? 急すぎるだろ」
「いいじゃん、バレンタインなんだし。とにかく待ってるから!」
一方的に切られた電話に毒づきながらも、健人は結局待ち合わせ場所へ向かった。断る理由も、他に行く当てもない。




