第23話:それぞれの帰り道(1)
店を出たあと、帰り道は自然と二手に分かれた。
林田と健人は駅の方へ。杏里と結衣、そして鍋島は駐車場へと向かう。
「じゃ、俺らはこっちで」
林田が軽く手を上げると、結衣がすかさず兄へ念を押した。
「お兄ちゃん、もう変なことしないでよ」
「してないよ、別に」
「今日のどこが!?」
健人は肩をすくめて笑うだけだった。その横で、鍋島が静かに会釈する。
「お疲れ様でした」
「どうも。今日はありがとうございました」
健人の返しは丁寧だったが、その瞳の奥は少しも引いていない。杏里はその微妙な火花に疲れを覚えつつも、ようやく解放された安堵で息をついた。
別れを告げ、駐車場へと歩く。
車に乗り込み、エンジンをかける。助手席には結衣、後部座席には鍋島。
少し前まではこの座り位置にも気を遣っていたはずなのに、今はもう、この距離感が不思議と馴染んでいた。
「……本当、ごめん。お兄ちゃんがあんなに普通に混ざると思わなくて」
沈黙を破ったのは、助手席で小さくなっている結衣だった。
「普通ではなかったよ」
杏里の即答に、結衣がさらにしょんぼりする。
「だよね……一応、止めたんだよ? 本当だよ?」
「分かってる。分かってるけど、結果があれだったから言ってるの」
助手席で縮こまる親友の姿に、ミラー越しに見える鍋島が少しだけ笑った。
「鍋島さんも、笑ってる場合じゃないですよ」
「すみません。でも、結衣さんも大変でしたよね。ずっと止める側でしたし」
「そうなの! なべさん分かってくれる!? 私、ずっと心の中で『やめろやめろ』って唱えてたんだから!」
「心の声必死すぎる」
他愛ないやり取りをしているうちに、トゲトゲしていた空気はいつの間にか丸くなっていた。
結衣を送り届けたあと、車内には杏里と鍋島の二人だけが残った。
急に静かになった空間。前にもこんな夜はあったはずなのに、今日はなぜか、隣り合う空気がいつもより近く感じる。
「……結衣がいないと、急に静かですね」
「そうですね。今日は特に賑やかでしたから」
信号待ちの赤い光が車内を照らす。ふと思い出したように、後ろから鍋島が声をかけた。
「杏里さん」
「はい」
「もうすぐ、クリスマスじゃないですか」
唐突な話題に、杏里は少しだけハンドルを握る手に力が入った。
「……そうですね」
「ディナー、何が食べたいですか?」
言われた意味がすぐには理解できず、杏里はミラー越しに後ろを見た。鍋島は、本当に何でもないことのように穏やかな表情を浮かべている。
「え……作ってくれるんですか?」
「ええ。せっかくなので、何かちゃんと作ろうかなと。今の流れだと、そういう話になると思ってました」
当たり前のように「一緒に過ごす」前提で話が進んでいる。それが驚きで、けれど、冷えた夜の空気を溶かすように胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……ビーフシチューと」
杏里は前を向き直し、少しだけ声を落とした。
「ミートパイが、食べたいです」
後部座席で、わずかな沈黙。それから、柔らかい返事が届く。
「いいですね。……できますよ、やります」
「本当ですか?」
「ビーフシチューは時間をかければいいですし、ミートパイも、パイシートを使えばいけますから」
杏里の口元に、自然と笑みがこぼれた。
「……その組み合わせ、好きなんですか?」
「おばあちゃんが」
語り始める声は、自然と穏やかになる。
「おばあちゃんが、クリスマスになると毎年ビーフシチューを作ってくれていたんです。ミートパイは、たまにでしたけど。……だから、なんとなく、私の中の『クリスマス』なんです」
鍋島はそれ以上、何も聞かなかった。ただ、その沈黙は相手の想いを丁寧に受け取っているような、優しい時間だった。
「じゃあ、それにしましょう。杏里さんの中のクリスマスに、できるだけ寄せます」
その言い方が、あまりにも優しすぎて。
「……お願いします」
ただそれだけの約束なのに、帰り道がいつもより少しだけ、短く感じられた。
家にはハヤブサがいて、温かい灯りがあって。
そして、数日後にはビーフシチューとミートパイの約束がある。
それだけで、今夜のごちゃごちゃした疲れも、どうでもよくなってしまうのだった。




