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三日月ロケット、居候中  作者: あしゅ太郎


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第22話:増えた一人と、変な空気(2)

 最初の乾杯だけは、驚くほど平和だった。


「とりあえず、お疲れ様でーす!」


 結衣が無理やり明るい声を出し、グラスを持ち上げる。林田がそれに続き、健人もにこやかに、鍋島も静かに後に続いた。


 杏里だけが、まだこの異様な状況に心が追いついていなかった。


 運ばれてきた料理に箸をつけるが、会話は結衣が必死に回している状態だ。


「今日、ライブはどうだった?」


「林田さん、相変わらずだったよ」


「相変わらずって雑だな! でも褒め言葉として受け取っておくわ」


 林田が機嫌よく笑う。けれど、その向かいで健人がさらりと爆弾を投げ込んだ。


「へえ、そんなに人気なんだ。……鍋島さんは、そういう林田さんをずっと横で見てるわけですよね」


「まあ、そうですね。慣れました」


「慣れ、ですか。一緒に住んでいても慣れないことって、わりとあると思うんですけどね?」


 その言葉に、杏里の背筋が凍る。結衣は「うわ……」と小さく呟き、林田は完全に面白がる顔になった。


 鍋島は一度箸を置くと、やわらかく、けれど一切目を逸らさずに笑った。


「それはありますね。人と一緒に暮らしていると、思った以上に発見が多いですから。毎日同じようで、意外と違いますし」


 そう言って、鍋島がわずかに杏里の方へ視線を向ける。その「共有している日常」を匂わせる言い方に、杏里は心臓が跳ねた。


 料理を取り分けようと、杏里が皿に手を伸ばした瞬間。


「杏里ちゃん、それ取る? はい」


 健人が自然な動作で皿を寄せる。


「あ、ありがとうございます……」


 言いかけた直後、反対側から別の小皿が差し出された。


「こっちもどうぞ。好きでしたよね」


「……ありがとうございます」


(なんで二人とも今なの!?)


 心の中で叫ぶが、言葉にはできない。


 右に健人、左に鍋島。挟まれた杏里は生きた心地がしなかった。向かい側では林田が笑いを堪えて口元を押さえ、結衣は今にも顔を覆わんばかりの表情だ。


「杏里……忙しいね」


「全然、嬉しくないんだけど」


 杏里の低い声に、結衣が本気で「ごめん」と手を合わせた。


 健人は空気を気にする風もなく、グラスを置いて杏里に向き直る。


「そういえば、杏里ちゃん。最近、仕事は忙しいの?」


 何気ない問いかけ。だが、杏里が答えるより先に、鍋島の静かな声が響いた。


「最近はそこまで遅くないですよ。前よりは落ち着いている日が多いです」


 健人の目が、ゆっくりと細くなる。


「……詳しいですね」


「一緒に住んでいるので。そのへんは、自然と」


 杏里は完全に固まった。


(何その返し!? なんでそんなに真正面からぶつかりに行くの!?)


 健人の笑みが少しだけ薄くなる。


「そっか。……なるほどね」


「いやー、でも健人さんもすごいっすね!」


 わざとらしい林田の声が沈黙を破る。


「普通、妹の友達がいる飲み会に飛び込みで来る? 俺だったら遠慮しちゃうなー」


「遠慮してない自覚はありますよ。でも、気になったから」


「何が?」と結衣がジト目で聞くと、健人はさらっと言い放った。


「杏里ちゃんの同居人。ちゃんと顔を見ておこうと思って」


 ついに本音をぶちまけた健人に、結衣が額を押さえる。


「うわ……最悪。お兄ちゃん、最悪」


「本音だし、仕方ないだろ」


 その横で、鍋島が一瞬だけ沈黙した。


 けれどすぐに、どこまでも穏やかすぎる声で言った。


「ご期待に添えているかは分かりませんが」


「いや、思っていたより『ちゃんとしてる人』だなと思ってますよ」


「それはどうも。杏里さんに変な迷惑をかけるわけにはいかないので」


 言葉は丁寧だが、一歩も引かない。


 健人は笑顔のまま探り、鍋島は穏やかなままそれを受け流し、跳ね返す。


「……なんで二人とも、そんな感じなんですか」


 とうとう杏里がこぼすと、結衣が勢いよく同意した。


「それ! 私もさっきから思ってた!」


「そんな感じ、って?」と健人は余裕の顔。


「普通ですよ?」と鍋島まで言い張る。


「普通じゃないから言ってるんです! なんか、静かにずっと変なんですよ!」


 杏里の叫びに、ついに林田が吹き出した。


「ははっ! 杏里ちゃん大正解! 鍋島、お前こんなに分かりやすいことあるんだな!」


「……何がだよ」


「いやもう全部! 図星だろ?」


 健人がようやく椅子にもたれ、あからさまな探りをやめた。


「まあでも、安心はしたよ。杏里ちゃんが、無理して一緒にいる感じじゃなかったから」


 その言葉は、兄としての本心なのだろう。けれど、次に続いた言葉が再び場を凍らせた。


「でも、俺は普通に杏里ちゃんのこと気に入ってるから。そこは別ね」


「……っ」


 杏里は鍋島の方を見られなかった。見たら、どうにかなってしまいそうだった。


 けれど、見なくても分かる。さっきまで静かだった鍋島の空気が、一変した。


「……なるほど」


 鍋島が小さく、けれど重みのある声で呟く。


「はい。だから今日来たのも、半分はそのためです」


「残り半分は?」


「妹の様子見。でも、杏里ちゃんのことが目当てだったのは本当だよ」


 そこでようやく、鍋島が健人をまっすぐに見据えた。


「それなら、なおさら――杏里さんを困らせないであげてください」


 テーブルの上の空気が、一瞬で止まった。


 結衣は固まり、林田だけが笑いを堪えて肩を震わせている。


「……ちゃんと見てるね」


「見てますよ。一応、同居人なので」


 その返しに、林田がついに顔を伏せて噴き出した。


「だめだ……面白すぎる……ッ!」


「林田さん!」


 結局、その後の会話は結衣の必死の努力でどうにか「普通の飲み会」の体裁を取り戻した。


 帰り際、健人は最後に杏里へ向けて、やわらかく言った。


「今日は来てよかった。ちゃんと顔、見られたし」


 店の外で待っていた鍋島は、何も言わなかった。


 いつもの穏やかな顔に戻っていたが、あの妙な空気の余韻がまだ微かに残っている。


 外に出ると、夜風が冷たかった。


 カオスだった。本当に、何だったんだろう今日は。


 疲れ果てて小さく息を吐いた杏里だったが、胸の中には、言葉にしにくい熱が居座っていた。


「困らせないであげてください」


 あの時、自分を守るように放たれた鍋島の言葉が、冷たい風の中でもずっと、消えずに残っていた。

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