第18話:切れた灯りの下で(1)
ファミレスを出る頃には、杏里は健人に押し切られる形で連絡先を交換していた。
断りきれなかった、というのがいちばん近い。嫌だったわけではないし、感じのいい人だとも思う。結衣の兄という安心感もある。けれど、スマホの画面に新しく増えた名前を見ても、胸が高鳴るような感覚はどこにもなかった。
どちらかというと、少し疲れた。
真っ直ぐすぎる好意を向けられることに慣れていないせいか、それとも健人の距離の詰め方が早すぎたせいか。帰りの車の中、助手席の結衣がしみじみと言った。
「いやあ、うちの兄、今日わりと本気だったね」
「……そうなの?」
「そうだよ。軽いノリの時とはちょっと違ったもん」
杏里は前を向いたまま、小さく息を吐いた。
「でも、どうしたらいいのか分かんないし」
「まあ、急だもんね」
結衣はシートベルトを直しながら、横目で杏里を見る。
「お兄ちゃんのことは、杏里のペースでいいと思うよ。押す時は押すけど、本当に嫌がられたら引く人ではあるし」
「そうなんだ」
「まあ、引き際の顔はちょっと未練たらたらだろうけどね」
その言い方に、杏里は少しだけ笑った。けれど、胸の奥の落ち着かなさは消えないままだった。
結衣を送って家に帰り着く頃には、外はもうすっかり暗くなっていた。
玄関の鍵を開けて中に入る。
「ただいま」
無意識に出た声に、「おかえりなさい」と居間の方から鍋島の声が返ってきた。その瞬間、不思議と胸のざわつきが凪いでいくのを感じた。
鍋島はこたつの横に座って台本を眺めていた。そのそばで、ハヤブサが丸まっている。
「結衣さん、無事に送れました?」
「はい。いつも通り元気でしたよ」
「それはよかった」
鍋島の穏やかな笑顔を見て、杏里はコートを脱ぎながら小さく息をつく。やっぱり、外で人と会ってきた後の緊張感とは違う。家に帰ってきた、という実感がちゃんとする。
「今日はどうだったんですか?」
「今日は収録でした。ネタ見せの番組と、トーク番組を一本」
「へえ……二本も。忙しくなってきてるんですね」
「どうなんでしょう。でも、呼んでもらえるのはありがたいです」
鍋島は淡々と語るけれど、トーク番組にまで呼ばれるのは、事務所からも期待されている証拠だろう。
「林田は、朝から『今日の俺、メロい芸人ランキング入りするレベルの顔してる』って上機嫌でしたけど」
「何ですかその自信……」
鍋島が静かに言い、杏里は思わず吹き出した。
何気ない会話を続けているうちに、今日一日感じていた妙な疲れが薄れていく。けれど、そんな穏やかな時間は唐突に中断された。




