第17話 月原家の肉食長男(1)
その日、杏里は結衣とファミレスで遅めのランチをとっていた。
休日の昼下がりで、窓際の席にはやわらかい日差しが落ちている。結衣はドリンクバーのアイスコーヒーをくるくる混ぜながら、いつもの調子で話していた。
「でさ、この前のライブ、林田さんまた絶好調だったんだよね」
「結衣、それ毎回言ってない?」
「だって毎回絶好調なんだもん」
「そうかなあ」
「でもほんとにそうなんだって。ああいう人、ちょっとずるいよね」
「林田さんって、舞台降りてもあのままなんでしょ?」
「そうそう。むしろ降りたあとのが元気」
結衣は笑って、ストローをくわえる。
「なべさんが横でちゃんと回収してるから余計に成り立つんだけどさ」
「うん」
「……へぇ? 何、その反応」
「いや、そうなんだろうなって」
「杏里、ちょっと見るとこ変わってきたよね」
「そう?」
「だって前はそこまで細かく見てなかったじゃん」
「結衣が勝手に都合よく解釈してるだけでしょ」
そう返したところで、テーブルの上のスマホが震えた。
「あ、お兄ちゃんだ」
結衣が画面を見るなり、ちょっとだけ嫌そうな顔をする。
「なに」
「たぶんまた愚痴りに来るやつ」
「誰が?」
「兄。マチアプ」
「ああ……」
「この前も、“なんで三回目のデートで急に距離置かれたと思う?”って真顔で聞かれたし」
「結衣に?」
「妹に聞くことじゃないでしょ」
結衣はそのまま数秒やり取りしてから、顔を上げた。
「兄もこっち来たいらしいんだけど、杏里、大丈夫?」
「え、今から?」
「うん。近くにいるっぽい」
「別にいいけど」
「ほんと?」
「結衣のお兄さんでしょ」
「まあそうなんだけど」
結衣はちょっとだけ意味ありげに目を細める。
「今日はたぶん、テンションがめんどくさいかも」
「なにそれ」
「会えば分かる」
「嫌な予告しないで」
それから十分ほどして、ファミレスの入口の方から背の高い男がこちらへ歩いてきた。
結衣に少しだけ似ているけれど、雰囲気はもっと大人っぽい。すらりと背が高くて、顔立ちはどこかエレガントで整っている。きれいめのシャツにジャケット、私服なのに仕事帰りみたいにちゃんとして見えた。
「おつかれ、結衣」
「おつかれ。早かったね」
「近くにいたから」
そう言ってから、健人の視線が杏里に向く。
一瞬、言葉が止まったみたいだった。
「……え」
杏里は少しだけ姿勢を正す。
「お久しぶりです」
「久しぶり、杏里ちゃん」
健人は席の横に立ったまま、まだ少し驚いた顔をしている。
「ちょっと待って」
「なに」
結衣がもう呆れた顔になる。
健人は杏里を見たまま言った。
「なんか雰囲気変わったね。前よりすごくいい」
杏里は一瞬、返事に詰まった。
「出た」
結衣が即座に言う。
「お兄ちゃん、そういうのやめな」
「いや、ほんとに」
健人は悪びれもなく席につく。
「久しぶりに会ったらびっくりするでしょ、これ」
「さっきまでマチアプの愚痴送ってきてたくせに、切り替え早すぎるでしょ」
「目の前に気になる子いたらそっち優先するだろ」
「しないよ、普通は」
「いや、する」
「しないって」
杏里は水のグラスに手を伸ばしながら、少しだけ目を泳がせた。
こういうふうにまっすぐ来られるのは、やっぱり慣れない。
「……ありがとうございます」
とりあえずそう返すと、健人は少し笑った。
「そこ、敬語なんだ」
「久しぶりだし」
「じゃあ、そのうち慣れてよ」
「早いって」
結衣がすぐに止める。
「なに自然に距離詰めようとしてんの」
「だって杏里ちゃん、普通にきれいになってるし」
「だからそのへんを毎回口に出すなって言ってるの」
「口に出さないと伝わらないじゃん」
「伝えなくていいこともあるの!」
店員が来て、健人はコーヒーを頼んだ。
その間も、結衣はじとっとした目で兄を見ている。
「で?」
結衣が腕を組む。
「今日の愚痴は」
「ああ、それ」
健人はため息まじりに椅子に背を預けた。
「昨日マチアプで会った子に、“健人さんってちゃんとしてそうですよね”って言われたんだけど」
「嫌な予感しかしない」
「そのあと、“でも恋愛って感じじゃないかも”って言われた」
「うわ」
杏里が小さく声を漏らす。
「それはちょっときついですね」
「でしょ?」
健人がすぐに食いつく。
「だから結衣に慰めてもらおうと思ったのに、来たら杏里ちゃんいるし」
「慰める気ゼロだったけど」
「知ってる」
「じゃあ何で来たの」
「妹って、そういう時に一番雑に扱ってくれるから逆に助かる」
「兄妹関係の言い方としてどうなの」
「でも今はちょっと感謝してる」
健人はさらっと言った。
「杏里ちゃんに会えたから」
結衣が無言で水を飲む。
その顔に「ほらね」が全部出ていた。




